ディープフェイクの進化 映像や画像が証拠にならない未来へ
何かの事件があった時には、色々な種類の証拠が残る。
推理小説においては色々な種類の証拠が描かれている。
それは指紋であったり、血液であったり。
髪の毛一本からDNA鑑定をすることもある。
筆跡や状況についても証拠になったりする。
他にも目撃情報やアリバイ、様々なものが積み重なって犯人を絞っていく。
そして、現在動かぬ証拠として突き出されるものの一つとして「画像・映像」がある。
映像という証拠、画像という証拠。
これらを突き出されたら、もはや動かぬ証拠として観念をするということも多いかもしれない。
監視カメラにある映像であったり、スマホに映る映像であったり。
どれだけ言葉で言いつくろうとしても、映像にはかなわない。
そしてカメラによる映像は、誰もが簡単に撮影が可能な時代。
だからこそ、何かがあっても巻き込まれても、自分が悪くないことを示すために映像を残すこともよくある事。
この映像があるから、証拠になる。
とはいえ、技術が進んだ時代において、そんなこといつかは幻になるかもしれない。
それは、ディープフェイクがとても簡単に作ることが可能になってきたから。
ディープフェイク、それは現実と見分けがつかない嘘画像・フェイク映像。
明らかに本物と比べて見劣りが少なく、パッとしたときに見分けがつかない。
生成AIでしのぎを削っている世界は、完全に本物と見分けがつかないような工夫をどこまでもしてくるに違いない。
もちろん、編集履歴の情報などが残ってしまったり、違和感がわずかにでも生まれる場合は、まだまだ見分けることが可能で、多少は大丈夫かもしれない。
しかしながら、現在のAI技術の進化からすると、その部分はあっという間に違和感がないようになってきてしまうに違いない。
編集されて作られている証拠が無くなるとどうなるか。
完全に本物とニセモノが同じものになるとどうなるのか。
もしディープフェイクが当たり前になる世の中になったのならば。
何が本物か、映像ではもはや判断出来ない。
つまり映像や画像が証拠にならないということ。
誰が撮影したからホンモノとか、そういうことすらわからなくなってしまう。
その結果、自分が本当に目の前に見るものしか信じられなくなるかもしれない。
何もかもがフェイク、99パーセント以上がニセモノという状態も、もしかしたら近いのかもしれない。
そうなったら、どのような世の中に変わっていくのだろうか。
いくらでも人が怒るような映像が作れてしまう。
それにより、簡単に大衆は動いていく。
フェイクによって動かされて、フェイクによって踊らされて。
いよいよ訳が分からない時代に突入するかもしれない。
政府や有識者はそのような未来にならないように、もちろん先手先手で規制をするのだろう。
AIで作ったものには「Made by AI」みたいな形で証拠に残すように仕向けるかもしれない。
そして破ったものに対しては、重い責任を問うようになるかもしれない。
しかしながら、もはやそれがあったとしても果たしてルールが守られるような状態になるようなものには感じられない。
人間の良心だけに依存している状態では、かなり厳しい状態になるに違いない。
実は本物だけれど、フェイクとして扱われることも増えるかもしれない。
逆にフェイクなのに、本物として扱われて、冤罪も増えるかもしれない。
もはや人間ではどうしようもないレベルになってきたのかもしれない。
何を持って証拠とされるのか。
そもそもそれが全て思い込みとされる状態であったならば、それは証拠にならないということもあるかもしれない。
編集の証拠すら簡単に消滅されることが出来る時代。
何を持って本当に証拠と言えるのだろうか。
とても難しい時代になってきたような気がする。
まずは自分の目だけを信じること、それこそが一番のフェイクから逃れる手法になるに違いない。
ありがとうございました。