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マインド重視から、ハート重視へ

ハートは心、マインドは頭脳。

2つは同じ「考える」という場面でにおいて扱われることが多いものの、イメージはかなり異なる。

ハートは直感や、感情がイメージされるもの。

マインドは理性的であり、論理的なものがしっかりしているイメージ。

それぞれが機能として明確に分け合っていることで、上手く自分自身が機能している気がする。

もしかしたら左脳と右脳という言い方をしてもいいかもしれない。

とはいえ、個人的にはハートとマインドと分けたほうがよりしっくりくるような気がする。

言葉においても、ハートウォーミング、マインドショックなどといったものからもなんとなく想像できる。

ハートショックは聞かないし、マインドウォーミングは全く聞いたことがない。

現代は頭で考えるものが優先されていて、ハートを感じるが少ないように感じてしまう。

それは、頭脳が優先されて、ハートが後回しになっているということ。

頭脳の優先、それは多くの恩恵をもたらしたことも間違いない。

ロジカルを優先することで、物理世界ではより豊かに便利になってきた。

合理的であることは素晴らしいものでははあるものの、一方でで何となく寂しいものも感じる。

何かが足りないのではないか、色々と逃しているものがないか。

一抹の不安を覚えることもあるかもしれない。

そんなときこそ、ハートを優先していくことが大切であるように感じる。




ハートを優先すること、それは心を優先するということ。

心を優先、それは自分自身が本当に思ったことそのままのことをすること。

論理的に考えるのではなく、ただひたすら心の声に従う。

直感で浮かんでくる、ふとしたいいなと思うことをすぐに実施する。

頭脳の声が叫んでくるのを無視して、いかに心の赴くままの行動が出来るかどうか。

それをしたところで、どうってことない。

それは、ハートに従えばマインドは後から勝手についてくるから。

ハート部分で物事を突破してしまえば、マインドは全て結果論として整えてくる。

だからこそ、もっともっとハート部分を優先してもいいような気がする。




もちろんハートとマインド、どちらを優先するのも場面次第であり、どちらも大切なことも間違いない。

心動くドキドキした経験よりも、合理的な安定性を求めること。

心がワクワクする場面よりも、予定調和で確実なものを得るようにすること。

心が動いてヒヤリとする環境よりも、未来を先読みして危険を先回り回避すること。

心がズーンと沈むような場面よりも、平穏無事に自分の感情と事実を切り分けていくこと。

どちらを良しとするのかは、その場面場面で異なってくる。

とはいえ、ハートの動きの有無、それは生きている実感そのものに直結する生きている時にしか経験出来ないこと。

ハートが優先されていないことで、目に見えない色々なものが失われていることもよくあること。

人の心や感情の動きが失われることは、大きな損失であるようにも感じる。

心が動いてこそ、ハートが上下方向に躍動してこそ、人間であることを楽しんでいると言えるような気がするこの頃。

心が躍動するような物事を望むよりも、頭脳・ロジックが正しいとされるものを優先し続けることは本当に幸せなのか。

もっともっとマインド重視からハート重視へ、そろそろ転換していってもいいのではないのだろうか。

感情に素直に、もっと思うがままに、子供のようにわがままに。

大人になってきたからこそ、大切にした方が良いことも多くあるに違いない。




ありがとうございました。

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