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「絶対に押すなよ」に対して、なぜ押したくなるのか

ダチョウ俱楽部の鉄板ネタである、熱湯風呂。

「押すなよ、絶対に押すなよ」と繰り返し何度も言うものの、しっかりと押されて熱湯風呂の中に落下。

あるあるといった定番ネタであり、昔からずっと親しまれてきた。

ただ、似たようなことは日常でも良く起きていることでもある気がする。

○○するなよと言われれば言われるほど、○○したくなる。

それはなぜなのか。

それは、「発された言葉と脳内のイメージ」が強く結びつくから。




言葉そのものは音に過ぎない。

ただ、その音から何かをイメージする。

なにも音が鳴っていない状態であれば、そもそも全くイメージもわかない。

しかしながら、もしある言葉が音として出現した時、そしてそれがイメージとして理解できるとき、肯定文・否定文どちらであっても、その言葉が示イメージが脳内に出てくる。

その結果、実施する行為であってもしない行為であっても、イメージそのものは反射的に湧く。

その結果、湧いたイメージを肯定・否定するにかかわらず、自動的に行動に結びついてしまう。

特に音・言葉が繰り返されれば繰り返されるほど、そのイメージは強さを増していく。

結果として、繰り返し何度も言葉そのものとしてリピートされることで、ついに行動・やってしまうということとなる。

大人になっていれば否定語をより理解してイメージを打ち消すことが何とかできるかもしれないが、特にまだ幼い子供である場合はイメージがより強いまま残る。

既にその行為をしている場合、仮に否定語を用いられたとしても、ますます言葉そのもののイメージが先行してしまう。

その結果、「走らないで」はさらに走るようになり、「押すなよ」は押す結果になるし、「しゃべらないで」はおしゃべりがさらに増えていく。

もちろん、時には子供側として親や周囲を困らせて楽しむという要素もあるにはあるかもしれない。

ただ、それ以上に言葉が繰り返され、その結果としてイメージが増強されたとしてその行動が起きていると考えてもいいかもしれない。

だからこそ、親として的確な指示をするときには「走らないで」ではなく「歩いてor止まって」になるし、「押さないで」は「離れて」に変換する。

そうすることが出来れば言葉とイメージがうまく結びついて、多少は子供の暴走が収まるに違いない。




否定語を使うことが逆効果であること、それは否定される言葉そのものが使われることで、言葉のイメージが先に湧いてくるから。

となると、なんとなく使ってしまいがちな言葉についても色々なものが見えてくる。

「負けるな」と選手を応援すること、それは負けを想起させることだから、応援で使うことはかなりまずいかもしれない。

「もう頑張るな」と言って落ち着かせようとしても、もしかしたら頑張るが想起されて全く落ち着くことがないかもしれない。

人生に迷っている人に「死ぬな」と声をかけるのは、かなりまずいかもしれない。

否定語ではないが、「お疲れ様」という言葉が使われると、疲れがイメージされて疲れてしまうというものもあるかもしれない。

このように、言葉そのものが負の要素を持っていたりすると、気が付いたら負の状態になっている。

だからこそ、負をイメージさせる言葉についてはより取り扱いを気を付けたほうがいいかもしれない。




言葉とイメージ、それは簡単に結びつくもの。

そして、扱いについても使い慣れているように感じているかもしれない。

しかしながら、その言葉が持つパワー、イメージの力は半端ない。

今一度自分自身が使っている言葉について思い返すのも、たまにはいいかもしれない。




ありがとうございました。

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