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「褒める達人」で溢れるコミュニティがあれば

褒められることは、誰にとってもとても嬉しいこと。

強い賛同や賞賛は、もらえる側はとても誇りに思う。

成し遂げた仕事に対する賞賛。

何年もかけてやり遂げた物事に対する承認。

無事に合格したことに対して褒められること。

時間や労力を積み重ねたことに対して、その労を労ってもらえることはとても嬉しい事。

やってよかったなと思えることが多くあるに違いない。

それがあるだけで、それまでの苦労も全て拭い去られる。

だからこそ、その快感を求めて多くの人が仕事をやり遂げたり、大きなことを達成する。

まさに大きなインセンティブであり、それがあるからこそ人類が進んでいったように感じる。

褒めることや賞賛、大袈裟かもしれないがそれは歴史を進めるためのとても大きなことにつながるように感じる。

とても良いことだ。




人によっては、自分は賞賛しないけど賞賛されたいという気持ちを持っていたりもする。

賞賛することに対して抵抗感を持つ人もいる。

その心はどのようなものか。

賞賛すると、その人に負けたような気持ちになるからなのか。

褒めることは、とても恥ずかしい事に感じるからなのか。

認める事は、とても悔しいことにつながる事なのか。

自分自身の賞賛が軽いと思われてしまう事を恐れるからなのか。

それぞれさまざまな複雑な思いが絡んでいる事は何となくわかる。

とはいえ、いちどその気持ちを手放して、どんな時でも賞賛してみるというのは、いかがだろうか。

相手が称賛しないからこちらも称賛しないのではなく、こちらから積極的に称賛して承認する。

それが出来るだけで、世の中側の態度は大きく変わってくるに違いない。




賞賛し合うコミュニティというものは、とても素敵な環境。

お互いに素晴らしいことや、ちょっとした成果を公表して認め合う。

それによって存在意義を感じられると共に、お互いがお互いの人生を認め合える。

価値観に沿った幸せをお裾分け出来る。

それはそれで幸せだが、もしその中から「褒める達人が出来てきたらどうなのか。

それは賞賛がとても得意な人。

その人のどのようなところを認めることが出来るか、常に見てくれている人。

そのような人が一人でもいるだけで、そのコミュニティはものすごく活性化するに違いない。

ますます多くの成果を出せるようになるに違いない。

そして、褒める達人という人こそが、最も褒められる人になるかも知れない。

それはとても素敵なこと。




褒めること、認めること、それは他の人を応援することにも繋がる。

その応援の効果はものすごい。

褒める達人が溢れるコミュニティは、他の人への応援で溢れた環境。

そのような環境に所属することができたのならば、何と幸せなことか。

そして、そのような環境を作ることに貢献できたら、何と嬉しいことか。

人からではなく、まずは自分自身が褒める達人になること。

それが出来るだけで、その人の人生は満ち足りたものになるに違いない。




ありがとうございました。

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