「死なないこと」が優先される社会、それに逆行する生き方をすればいい
始まりがあることは、終わりがやってくる。
生まれた瞬間から、死のカウントダウンが始まる。
誰もがいつかは経験する死というもの。
それがいつやってくるのかは、多くの人は知ることがない。
そしてそもそも死ぬ瞬間を認識出来ないことから、死を知ることは正確には出来ないのかもしれない。
交通事故など不慮の事故で亡くなる。
心筋梗塞・大動脈解離など突然死によっていなくなる。
包丁を振り回す誰かに襲われて命を落とす。
戦場で木っ端みじんに砕け散る。
想定している未来が全く描くことが出来ずに、あっという間に終わってしまう事の恐怖。
これがあるからこそ、死はとても恐れられているものでもあるように感じる。
死が恐れられるということ、それは未知であり不可逆なものであるから。
経験するという意味では未知の世界であるからこそ恐怖が付きまとう、ある意味当たり前なのかもしれない。
そもそも今生きている人の中で、死を実際に経験出来た人というものは、特殊な事例を除いてない状態。
一度死んだら戻ってこれないというのがごく当たり前のこと。
だからこそ、絶対に死という状態にならないようにすることが、生きることの一番の価値として生きるという考えになるのもある意味自然なのかもしれない。
とはいえ、それが行き過ぎるとどのようになるのか。
それこそが3日生きるために何億円もの薬や治療法を頼るという人が当たり前にいるような世界になっている。
死んだら一貫の終わり、死は敗北以外の何物でもない。
医療においては、いかに死なないことが重要かという観点で治療が行われることが多い。
どれだけ苦しんだとしても、生きていることが最優先。
その考え方は果たしてどうなのだろうか。
一時期に比べると、死に対する考え方や捉え方は変化してきたようにも感じる。
それこそホスピスや安楽死がしっかりと語られるようになったのは大きいことかもしれない。
終末期にチューブに繋がれるだけの状態よりも、自分に残された時間でやりたいことをやりきる。
いかに生きるか、自分で終わりを決めて精一杯生きるのか。
その部分に気が付くことが出来るのは、とても素晴らしいことであるに違いない。
死を認識すること、メメントモリ。
それによって本当の意味で生きることが出来るという意味では、タイムリミットとしての死は悪くない。
いつその時がやってきても後悔しないように、物事を先延ばししない。
やりたいと思ったことは、出来るだけ早めに達成しておく。
一度でも死にかけた経験がある人は、この意識がものすごく強いに違いない。
そしていつ死んでも後悔しないように今を生きる。
「死なないこと」が優先され、「いかに生きるか」が後回しになる社会に逆行する生き方。
それが出来ているならば、なにも後悔をすることは無いに違いない。
ありがとうございました。
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