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「枠を外した究極の理想」と、「避けられない目の前の現実」を行き来すること

物事はどんどん変化する。

その速度は時間と共に加速していく。

少し前まで当たり前だった常識が、簡単にひっくり返る。

正しいとされてきたことが、大きな間違いであることに気が付く。

価値観がどこまでも変わり続ける時代。

その中において、常に想定内の範囲を広げておくことが求められる。

それが有るか無いかによって、その人の心の中における安心感は全く異なる。

そのために必要なものは何なのか。

それは理想と現実をしっかりと行き来することであること。

それを行うことで、色々なものが見えてくるようになる。

ただ、そのままの理想と現実を行き来するだけでは、まだまだ足りない。

今の時代に必要なのは、「枠を外した究極の理想」と、「避けられない目の前の現実」行き来することであるように思う。




「枠を外した究極の理想」とは何か。

それは各個人が想定する中で、どこまでも発想を飛ばした理想状態。

現実離れをどこまでできるのかということが大切。

そのために今目の前にあるものにコントロールされることなく、どこまでも自分が何を望んでいるかという点に純粋でいること。

それを広げていくためには、前提とする知識はもちろん、それを超えるだけの発想力・想像力が大切。

その発想力・想像力こそがAIを超えて行く力になることもある。

もし○○が××だったらを、どこまでも枠を超えて考えてみる。

こんなことが出来たら、さらにこんなことが出来る。

そもそも全く別の次元として、こんなことも考えられる。

そして、基本的にはその内容は荒唐無稽・夢物語のように人によっては聞こえてしまうかもしれない。

しかしながら、それであっても問題ないレベルまで理想を追求することが出来るかどうか。

その範囲が広ければ広いほど、何があったとしても動じない心になるに違いない。




一方で必要なことは、「避けられない目の前の現実」を考えること。

忠実に、ありのままに、目の前の現象を捉えること。

何か直面することが嫌で、現実を見過ごした状態でいることを避ける。

見たくないようなこと、出来れば認識したくないことまで見てみる。

具体的に数字に表れているものであったり、抱えている本当の悩みというのももちろん全て受け入れる。

世界中で起きている事実に対して、色眼鏡を加えずに事実に触れること。

割り増しした状態で見るのでもなく、差っ引いて見るのでもない。

体験という事実を通して、出来るだけ多くの物事に触れること。

そこから見えてくる現実として認識できるもの。

それをいかにありのままに見ることが出来るのかどうか。

それをするかしないかによって、現実への適合度、今をしっかりと生きているかどうかが変わってくる。




理想と現実。

これらを行き来することがどれほどできているかどうか、それによって物事は大きく変わってくる。

想像する力や想定する力、目指すべき理想の姿を目標に掲げられるのは大きい。

それが有るか無いかによって、人生の推進力が大きく変わるから。

とはいえ、それらをただなんとなく行ったり来たりするのでは、もったいない。

出来るのならば、どこまでも究極に理想を見極めて、目の前の現実とを比較する。

極端な状態を追い求めることでしか見えないものがある。

そのためには、理想と現実、どちらに対してもより忠実にいること。

それをどこまでも繰り返しできるかどうかによって、人生そのものの厚みが大きく変わってくるに違いない。




ありがとうございました。

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