マスコミの仕事は、切り取りと曲解を増幅することでした?
マスコミの質が落ちていると言われて久しい。
自身の不都合な事実を隠して、いかに都合の良いことのみを報道するか。
中立のフリをした、どちらかへの肩入れ。
ネットの情報に於いての一次情報と思われるものによって、その仕組みが気づかれてしまっている。
その結果、マスコミの正体が明確になり、ますますメディアから離れる人が増えている。
それにもかかわらず、報道のあり方は変わることがない。
組織として変化する事もない。
言葉の一部を文脈から切り離して、いかに誤解を生むことができるか。
マスコミが描くシナリオを準備して、その内容と合うものだけを載せる。
時には巧妙に嘘を交えて、気が付かれないようにリードしていく。
万が一誰かに気づかれて誤りと認めたとしても、他の大量の情報と共に流し去る。
そして、本質として多くの人が本当に報道してほしいと思う事は報道されない。
最近感じるのは、大手マスコミの中にはジャーナリストというものはいないのではないかということ。
もしくは、そのようなジャーナリストはメディアの世界では生きる事が許されないのではということ。
もちろん、それぞれの解釈は自由であるはずだが、その自由という事も失われてきている。
制限に制限が重なり、がんじがらめになってきている。
そして、思考において身動きが取れない人が増えていく。
事実には解釈が多く入るし、それは多種多様であるのが普通。
しかしながら声の大きい人、影響力のある解釈が唯一の真実であるかのように報道される。
その結果として考え方が画一化していく。
多くの人が同じ判断をベースに行動するため、さらに同化が進んでいく。
その速度を加速させていくのが、今のマスコミの状態。
多様性が無いために、誤る時には一斉に間違った方向に進んでいく。
リスク分散ができない状態。
その結果として、世間が極端な方向に動いて、集団で取り返しのつかないミスを犯す。
その結果、気がついたら信じた人が全滅する可能性もある。
多くの疑問を持つ人から、マスコミの在り方が問われている。
本当に今のままでいいのかと。
信頼されるために報道をしてほしいと。
そのために行動してほしいと。
ただ、その考えそのものも果たして正しいのかどうかという事はわからない。
そもそものマスコミの存在役割が、切り取りと曲解を増幅させる事だったとするならどうなのか。
マスコミはしっかりとやるべき役割をしっかりと果たしているということになる。
誤解しているのは、マスコミこうあってほしいと自己都合で願っていた一般の人たち。
もしかしたらそちらの方が納得性も高く、しっくりと来るかもしれない。
そして、そのことを十分に理解した上でマスコミと付き合っていっているかどうかが、その人のメディアリテラシーの高さにつながってくるように感じる。
ありがとうございました。