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挑戦する勇気が成長を生む:あえて不安に立ち向かうことの価値について
成長という言葉、それは色々なところで使われている。
もっと成長しなさい。
立派に成長したね。
成長してくれなくては困る。
様々な立場や場所によって、当たり前のように耳にする。
そして人によって成長するスピードや速度は全く異なる。
成長速度が速い人から遅い人まで様々。
得意な分野とかぶった時や、元々ポテンシャルがある場合は一気に成長する。
逆に苦手であったり、あまり経験がないことはなかなか成長が難しいこともしばしば。
とはいえ、成長するための力はそれぞれ異なるものの、凡人のように見えて圧倒的に成長する人と成長しない人の差は著しい。
その差は何なのか。
それは、出来ないことそのものにどれだけ多くぶち当たることが出来たかどうかということであるように感じる。
人間の生まれた瞬間は、出来ないことだらけ。
食事をとることも、服を着ることも、排泄を処理することも出来ない。
そこから様々な学びと経験を得ることで、色々なことが出来るようになっていく。
そこで身につけた技術は、常に脳内にインプットされ続けることで溢れていく。
やがて身の回りで出来ることが増えて、それが当たり前になって行く。
大人になると、多くのことがすんなりと行くことが増えて、特につまずくこともなくなってくる。
そうなってくると、成長そのものの速度は一気に減速する。
個人にとって大きな変化はなく、その分だけ成長はなくなっていく。
成長力の鈍化、ある意味それは仕方がないかもしれない。
とはいえ、そのような状態から敢えて成長を選ぼうとなると、かなりの苦労が必要なのも間違いない。
なぜなら、出来ないことに沢山ぶちあたることになるから。
人によってはそのことがストレスであり、スムーズに物事が進むことを嫌うから。
結果としてその出来ないというストレスと常に戦う事になり、結果的には楽な方に流れるのがよくあること。
エネルギーをそのほうが使わなくてもいいし、心地いいという状態。
その省エネルギー状態や心地いいを手放すことが出来るかどうか、それこそが成長のカギになってくる。
成長する方向に自分の力を向けられるかどうか、それは出来ないことに敢えてどれだけぶつかることが出来るか次第で変わってくる。
出来ないことに挑戦することは、間違いなくやりがいに満ち溢れている。
しかしながら、その努力が必ずしも成長につながるということはない。
とはいえ、挑戦しないことには成長は存在しない。
挑戦することは、それだけでとてもハードルがあることであり、障壁となることであるのは間違いない。
簡単にうまくいくとも限らないのが、ごく自然なこと。
それを認識したうえで、本当に挑戦をすることが出来るかどうか。
挑戦するだけの勇気というものを持ち合わせているか。
もちろん、挑戦しないという選択もあるし、成長は必須というわけでもないのがこの世の中。
成長に良い・悪いもないかもしれない。
そんな中であえて成長を求めて挑戦を続けるという事、それはある意味とても不思議なことでもあるかもしれないが、とても素敵なことでもあるに違いない。
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ありがとうございました。