「注目されれば勝ち」という社会とその先について
インフルエンサーが増えている時代。
個人でメディアを持てる時代だからこその現象。
動画投稿で広告がついて、それによって生活が出来るようになったという背景も大きい。
そして影響力が徐々に旧メディア側から発信する個人側に移っている印象。
その結果まさに今の社会は、注目されればOKであるという社会になりつつある。
逆に目立たないことは、存在しないことと同じで、価値として存在しない。
どんな形でも目立てば良い。
目立つ事が正義。
興味を持ってもらうためには何でもする。
迷惑をかけることや、過激なことをして大炎上するようなことがあった。
チェーンソーを持って動画で脅すようなものが目立った時もあった。
少し前では、飲食店での迷惑動画が連続して何件も出たりする。
これらはメディアが多く取り上げたり、飲食店側がそれに対して厳しい措置を行うことで、何とかおさまったような気もする。
他には最近では私人逮捕のyoutubeが流行ったりもする。
盗撮を阻止したり、痴漢を捕まえたり、チケットの転売屋を成敗したり。
このような動画に対するコメントは様々で、正しいとする人や、やりすぎだという人、警察が取り締まれないところを対応しているから素晴らしい、秩序が保たれるためにはこれはこれでしかたないなど、様々な意見が分かれている。
社会的ないわゆる正義を振りかざして、その結果として対価を得る。
人々が心の中で思っている需要と動画を提供する供給がうまくマッチしているというもの。
他にも過激な嘘やデマを流して注目を浴びるなど、とにかく注目さえ集めればよいというものもあったりする。
このように、注目されることが正義で、それがない場合はお金も手に入らず価値がないと考える人がかなりいるように感じる。
ただ、本当にこのままでよいのかどうかは疑問が残る所。
もし目立つが正義というこの傾向が続くとどうなるのか。
3つの懸念が考えられる。
1つ目は目立つことが正義であり続けることから、さらに目立つことをするために動画の内容が過激化するようになる。
アンチすらも養分として取り込むということであるから、内容はさらに過激化し炎上はさらに激しくなるため歯止めは効かない。
そうすると時と場合によっては、本当に人を回復不能まで傷つけること、そこから派生する別の事件などが数多く発生するかもしれない。
またその正義の中身は人それぞれであることから、ある人にとっては正義であっても多数の反感を買うような内容であっても放送されるようになる。
その結果として、制限がかけられていない状態で視聴者側に悲劇が起こることもありえる。
そしてそれをきっかけとして負の感情が広がって、ますます人々の感情が荒れてしまう。
2つ目はそのまねからアイデアを吸収し、同じようなことをする人も増え始めること。
そうすると模倣犯が増えて、治安悪化につながるものがあるかもしれない。
多くの人が迷惑をかけること、私人逮捕が増えること、デマが増えること、いままさに起きていることに他ならない。
これについてある程度過激な元となるものを取り締まることはすることで鎮静化を図ることができるかもしれないが、一度出たアイデアは簡単には収まらない。
プラットフォーム側がどこまで取り締まることが出来るのかという事が重要になってくる。
3つ目は動画に対するさらなる制限が過激化すること。
ある程度は制限があっても良いが、必要だと思って提供した情報ですらバンされるのが当たり前になる。
そうすることで過激になんでも情報を取り締まることが当たり前になってきて、自由な発信が不可能になる。
ある程度の治安を維持するためということはあるかもしれないが、結果として本当に必要な情報ですらいきわたらなくなってしまう。
そして情報がより統制されて、ますます言論空間が不自由になってくる。
既にコロナ関連をはじめとして不都合なことについて発信が厳しいように、他の分野でもますます発信する内容に制限がかけられていく。
目立つが正義は、ある意味では現状のプラットフォームの仕組みからすると仕方ないかもしれない。
ただ、どこかのタイミングで仕組みを本気で是正するなど何かのルール変更を行わないといけないような気がする。
結果として被害を受けるのは、目立ってもいない普通の視聴者になるのだから。
ありがとうございました。