「時間がないから」ではなく、「優先順位が低いから」が真実
世の中には「なぜ〇〇なかったのか)」に対する様々な言い訳が溢れている。
なぜそれが出来なかったのか。
なんで宿題をやらなかったのか。
なぜ納期を守れなかったのか。
なぜ言った通りにできなかったのか。
なぜうまくいかなかったのかということに対して、様々な角度から根掘り葉掘り。
なぜなぜ分析を繰り返したりして、その根本要因を探そうとする。
お腹が空いてご飯を食べていたから。
集中できなかったから。
〇〇で遊んでしまったから。
数多くな言い訳のオンパレード。
その時にふと現れる根本原因みたいなもの、「時間がなかったから」という言葉。
「なるほど、それなら仕方がないよね」と、なぜ時間がないのかという事に対して、それを根本要因としてしまうこともよくある。
そして、対策として時間を増やしたり、余裕を増やしていく事で問題を解決としてしまうこともあるかもしれない。
しかしながら、ほとんどの場合は時間を増やしたり余裕を増したとしても解決に至らない。
それはなぜなのか。
本当の要因は何なのか。
それは「優先順位が低かったから」になる。
時間は誰もが持っている。
生きている限り、24時間は平等。
その時間の中で何にどのように時間を使うのかということに対して、各自の最適な使い方をしている。
睡眠時間に多く割く人もいれば、移動時間に多く割く人もいる。
仕事に多く割く人もいれば、遊びに時間を割く人もいる。
それぞれがしっかりと時間をもって使っているのはとても当たり前のこと。
それにもかかわらず、「時間がなかったから」という言葉が様々な場面で使われる。
これは、本当にその人が時間がないということは無い。
その人だけ1日が20時間しかないということはない。
だから「時間がないからまた今度ね」という言葉は、「優先順位が低いから」という事実に他ならない。
「時間がないからできない」ではなく、「優先順位が低いからやらない」が本当のところ。
この事をしっかりと知った上で物事を考えると、その人の時間を増やせば解決ではなく、その人にとっての優先順位を上げるようなににかがなければ物事は進まないというのが明確になる。
「時間がないから」と言われるということは、「あなたは優先順位が低い」と解釈するくらいでちょうど良い場合も多くあるに違いない。
もちろん、面と向かって「優先順位が低いから」と言われると、角が立つことも多くあるに違いない。
その一方で、「時間がないから」と言われるとなんとなく柔らかくなる。
根本原因に「時間がない」とすると、仕方がなかったよねになる。
ある意味魔法の言葉でもある「時間がないから」という万能の言い訳。
「もしその人に時間があればもしかしたらチャンスがあるかも、問題が解決するかも」と期待することは、大間違いであることが多い。
便利ではあるかもしれないが、事実としての「優先順位が低いから」は、時には残酷な響きになることもあるかもしれないが、しっかりと認識しておいた方が良い場面も多くあるに違いない。
ありがとうございました。