同調圧力と排斥圧力
2種類の圧力が社会の中で歪となっている。
それはまるで押し合う力と引き合う力同士。
それぞれ逆方向に働いているものの、いずれもモノに力が加わることで歪が生じていることは同じ。
その歪というストレスが蓄積する結果、ストレスの真ん中にいる人が色々な意味で犠牲になっていく。
そして争いや諍いは歪が蓄積したものが耐えきれなくなり、開放する力として発露するもの。
なので長期的な観点からすると、たまった歪を色々な方法で解消するという意味では、必要不可欠なものであるに違いない。
蓄積されたものは、どこかで緩和を目指すというのはあたりまえ。
少しずつ緩和するか、一度に緩和するか、その違いがあるだけ。
どちらが良い・悪いというものは、後になってみないとわからない。
同調圧力と排斥圧力。
前者は、自分とは異なる対象に対して、自分で同じような状態であることを強制するように圧力をかけるもの。
まさに「郷に入らば、郷に従え」という諺が、同調圧力を美化する言葉として存在している。
それは大多数側の認識が正しいと考え、その心地よさを優先させるというもの。
異分子や異文化、異なる考えが入ることによって、一部が違和感を感じないように思考停止させるための働きでもある。
同調圧力、それによって世の中では色々と歪が生じてきた。
直近の話題では、マスクによる同調圧力というものがあった。
お願いという名の強制を、目に見えない空気という形であらゆる形で押し付ける。
同調しない場合には、さらに同調するように押し付けたり、レッテルを張るなどして、目に見えない形で証拠が残らないように圧力をさらに加えようとする。
マスク効果性についてはここでは特に語らないが、「自分と同じことを強制する」というものは文化によって差はあるものの、「集団意識」が強い日本では当たり前に存在する。
それこそ常識として認識されないような形で、同調圧力は色々な場面で存在している。
一方で排斥圧力というものもある。
それは「自分とは異なるのものは認めない・排除しよう」という考え方。
自分たちの考えを押し付けるのではなく、異文化が近づくのを嫌うというもの。
これを行うことによって、自分とは異なる考え方が自分の周辺に入れないことによって集団は心地よくなっていく。
ここ20年ほどで欧州では移民が増えていて、彼らはイスラム文化を基本とすることが多い。
この移民集団はキリスト教文化圏で生活する人とは交わることなく、別の集団を形成して、同じ町であってもそれぞれが別の地区に分かれて住んでいる。
それぞれが離れた場所で生活することで衝突することは少なくなるものの、文化の違いが混ざり合っている場所においては衝突が発生しやすくなっている。
そして誤って少しでも近すぎてしまうことがあると、お互いに排斥しようとして衝突が発生する。
これはお互いに歩み寄ろう・近寄ろうとする人に対してであっても、自分たちとは異なるものを無理やり見つけ出して排斥し、仲間はずれにするというもの。
これは自分とは異なるものを完全に排除することが望ましいという姿。
ある意味そうすることによって集団内部の考えやふるまいはまとまるものの、他の考えを受け入れなくなることで多様性が少なくなっていく。
このように同調圧力が強い文化、排斥圧力が強い文化、世界にはどちらか片方というものは無いものの、この2つが入り混じることで文化圏が形成されている。
学校でいじめがなぜなくならないのか。
大人になってもいじめが発生するのはなぜか。
なぜ同調圧力が正義かのような空気になるのか。
なぜ排斥されることで孤立する集団や個が生まれるのか。
なぜ衝突が生まれるのか。
それはこの2種類の圧力こそが、集団の持つ生き残りのための知恵であるから。
自分と同じ考えであることを強要することで、衝突が起こることを防ぐ。
それは相手が自分にある程度従う見込みがある、もしくは力で変えることが出来る場合に同調圧力を用いることが効果的になってくる。
そうでなければ排斥して、自分とはかかわらないように目に見える範囲に近寄らないようにする。
排斥するのは、相手が自分以上に力を持っている、もしくは考えを変えることが決してないと思われるから。
この組み合わせは、規模の大小はあるものの、社会・文化・学校・会社・個人間など、あらゆるスケールで相似発生する。
いずれの圧力についても完全に無くすことは、人間が集団を形成して生きていく以上は難しい。
ただ、社会には「同調・排斥」という2つの圧力が存在すること、そしてこの2つがどのように機能することがあるのかという実例を知っているだけでも、大きな違いがある。
そしてもちろん、この2つには良いも悪いもない。
生き残りのための知恵として、機能・現象としてそれぞれ生じているだけ。
抽象的に概念を理解してあらゆる物事に当てはめることが出来れば、それだけでも一歩離れて物事を客観的に、より冷静に見つめることが出来るようになるのではないだろうか。
ありがとうございました。