欠点こそが武器になる理由:苦手を堂々とさらけ出す生き方について
自分自身の苦手なことをふと思い出す。
どれだけ周囲が簡単に出来ても、自分だけには出来ないこと。
そのようなものとして思いつくもの、どれほどあるのだろうか。
学校に通っていたころは、勉強が出来なかった。
特に歴史は、完全に意味が分からなかった。
スポーツが苦手で、体育が嫌だった。
特に水泳で泳ぐことは、大の苦手という人もいるかもしれない。
全く異性にもてることなく、ずっと独りぼっちだった。
義理チョコレートをもらうどころか、そもそも存在すら認識したことなかった。
社会人になっても人間関係を構築することが苦手な人がいるかもしれない。
朝早く起きることが苦手で、遅刻が永遠に続いているということもあるかもしれない。
そのようなことで苦手を感じる、それが増幅されて自分の欠点・弱点として身体と心に固着する。
やがて欠点として明確になり、その部分には触れたくないということも当たり前にあるかもしれない。
欠点、それは恥ずかしいことであり、なければないほど素晴らしいこと。
とはいえ、欠点があることは本当に良くないことなのだろうか。
私自身はそうは思っていない。
というのも欠点があること、それはものすごいメリットにもなるから。
欠点があることのメリット、それは何なのか。
それは、完璧でないことを周囲にしめすことが出来ること。
完全である状態であると、そもそも相手に対して敵わないように感じさせられる。
ある意味それは近寄りがたいということにもなる。
誰が手伝うことがなくても、その人は一人で何も問題なく生きていける。
そう思われることで、誰も近寄らなくなってくるかもしれない。
その人に頼ることは頼っても、本当の意味で親しくなることは難しい。
それは、相手が圧倒的に上だからであり、親しくなるのも恐れ多い。
結果として、欠点がないことで親しくなる機会を永遠に失うことになる。
一方で欠点があると、それは親しみを感じやすくなるポイントになる。
多くのポイントでは負けていても、ある事では優位である状態を保てること、それが一つでもあるだけで一気に身近な存在になってくる。
もし物凄い才能を持ったスポーツ選手が、ちょっとした昆虫すら苦手であったら。
もし勉強がものすごく出来る秀才が、リズム感が皆無で究極の音痴であったら。
もし超絶お金持ちが、絶叫系なジェットコースターが苦手であったら。
もし格闘技の世界王者が、お化け屋敷が全くダメだったら。
もし物凄いイケメンや美女であっても、家事能力や生活力がゼロであったら。
そして、これらの欠点があることについて、そのひとが恥ずかしげもなく自由にさらけ出して生きていたのならば。
一気にその人に対して親しみがわいてくるに違いない。
そして何かお互いできないことを補い合うことが出来ることが少しでも見えたら、そこからより良い関係性が生まれるに違いない。
結果としてお互いに親しくなり、より深いつながりや人生の充実を楽しめることになるに違いない。
欠点があること、それはとても素晴らしいこと。
それは人間関係を育むことが出来る良いツールになるのだから。
人間関係の豊かさこそが、生きていく上での本当の意味での財産。
そのために欠かせないことこそが「欠点」であるように感じる。
欠点を表に出して、その分親しみやすさを深めていくこと。
これほど強くて弱い武器というのも、なかなかないに違いない。
欠けている点があるからこそ、その人はほんものの幸せになれる。
だからこそ、もっと自分自身の欠点を恥ずかしからず、おもいっきりさらけ出していってもいいに違いない。
「私の苦手・欠点は○○です。」を、世界に思いっきり宣言する。
それが出来ることこそが、とても素晴らしい人生につながるチャンスになるに違いない。
ありがとうございました。