凡人優位社会から、変人優位社会へ
何があろうと、周囲に合わせていれば大丈夫。
多数派はどのように考えているのか、常に空気を読み続ける。
自分だけおかしなことをしていないか、常に注意する。
多数派が優位性をどこまでも発揮する社会、それがずっと続いている日本。
仮にその内容がどれだけ外部から見ておかしな内容であったとしても、多数派が絶対的に正義になる。
そこには多数派ということ以外の理由はいらない。
島国の村社会として生き残る手段として、多数派に属するためのハイコンテクスト空間が生み出されたのはとても合理的。
フリーライダーの存在を絶対に許さない村八分が効果を発揮していた。
一部の犠牲が全体が生き残るために正当化された社会。
しかしながら、そのネガティブ面があまりにも出すぎたのがここ最近。
多数である凡人がただひたすら優位に、凡人であることが絶対的な正義であったからこそ起きてしまった悲劇や喜劇が目立つようになってきた。
その反作用として、目立つようになってきた人たちがいる。
それは「変人」と呼ばれる人たち。
変人と言えば、かつては避けられていたもの。
理解でいないことを考えている、異常な行動をしているように映る人として扱いを受けて、攻撃されてきた人。
それは社会不適合者として、つまはじきものにされてきた人。
時に学校ではいじめを受け、社会では無視される。
少数の中の少数的な考え、それがどれだけすごくで素晴らしいものであったとしても、それはつぶされてきた。
そのような人が、SNSのアテンションエコノミーのトレンドの波を得て、一気に見えるようになってきた。
さらに通常以上に目立つことによって、より関心が高まるようになってきた。
それは良い方向で目立つこともあれば、悪い方向として目立つこともある。
時にはものすごい才能の塊として出てくることもあるかもしれない。
時には迷惑系インフルエンサーとして目立つこともある。
いずれにせよ尖った存在として世の中に出てくるようになった。
そのように出てきた人が、社会により大きな影響を及ぼしている。
凡人では絶対的に到達できない何かを生み出している。
そして、そのような人が求められつつある社会になってきている。
ずいぶんと変わってきたようにも感じる。
これからは変人がさらに出てくるに違いない。
今まででは想像できなかったような目立ち方をする人も増えるに違いない。
ある程度凡人として生きようとして無理やり心を押さえつけていた場面が、一気に解放されていく。
誰もがある程度心に制御をかけていたものを自由に発揮できる状態へ。
その分、トラブルも多くあるに違いない。
もちろんその分だけ、今までにない驚きも溢れるに違いない。
人間が工場の部品として存在することで十分だった状態から、技術の発展も伴い、能力的に尖った人が目立つようになっていく。
それこそが変人優位を加速させていく。
これからはますます凡人優位から変人優位社会になってくるに違いない。
やがては変人が目立ちすぎて、普通こそが最も良いという社会に戻ることもあるかもしれない。
もしくは変人が多すぎて、変人であることが普通の文脈に取り込まれる世界もあるかもしれない。
しかしながら、現在のトレンドとしては、いかに現在の価値観で変であるかどうか。
本当に周りと違うことを出来ているかどうか。
そして大きな変化が起きている世の中においては、変人として必要となって出てくる人が多くなるに違いない。
そして、ますます変人が優位になって行く。
結果としてますます素敵な人が現れる。
そのような人に多く出会える場面が未来に増えること、心から楽しみにしている。
ありがとうございました。