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自由に扱えることばの種類=認識できる世界の広さ

仕事や旅行で色々な地方に行くことがある。

その時、友人や周囲の人で同じ場所に行ったことがある人に事前情報聞くときに、必ず耳にすることでよくあるフレーズ。

「ああ、あそこの駅前はなにもないよ」

そのまま言葉通りに受け取ったら、駅以外に何も存在しないという事。

ただ実際に行ってみると、スーパーやらコンビニ、昔ながらの商店街やラーメン屋さん、珍しい石を売っているお店や呉服店など、色々と溢れている。

つまりその人の言う「なにもない」というのは、「興味関心があって認識可能なものが何もないよ」ということだったということに気が付く。

見えている物理的世界はほぼ同じはずなのに、この差は何なのか。

まさにこれこそが知っている言葉の種類・興味関心の広さが異なっている一例なのかと感じる。

興味関心の範囲、認識している範囲の違いで、見える世界が大きく異なっている。





ことばは境界線を決めるもの。

そして、その種類が豊富であればあるほど、認識できるものが増える。

言葉を知らない状態で生まれている赤ちゃんは、そもそも同じ物理世界を見ていても、境界線がない状態。

つまり初めはすべてが同じものとして認識されている。

そして言葉を覚えていくことで徐々に区別がついていき、世界に境界線が引かれていく。

そして成長するにつれて扱う言葉の数も増えて、その分だけ境界線も細かくなっていく。

境界線の引き方は育った環境・家庭によっても異なるし、ましてや社会に出たら全く異なる。

ある程度共通のものを学校などで習得するものの、個々人の境界線の引き方はその人が育った環境・触れてきた文章・経験内容・コミュニケーション内容によって独自進化を遂げる。

だからこそ一人一人見えている世界が異なり、扱っている言葉の種類が異なっている。






あなたの世界を拡大させる方法はとても簡単。

それは知らない言葉を新しく知ること。

そうすることによって新しく境界線が引かれて、物事を区別できるようになる。

新しい概念を覚えた数、そしてそれを自由に扱える量によって、生きている世界が全く異なってくる。

そして使える言葉の種類によって、運命の切り開き方が変わってくる。

英語で一日一単語覚えるというのももちろん悪くない。

未知の体験を求めて、新しく旅をするのも悪くない。

だがそれ以上に、「知らない概念を一日に一つ加えていく」というのも、自分の認識世界を広げるという意味で、とてもいい選択かもしれない。

そういう意味で、広辞苑や国語辞典は、言葉のたからばこになりうる。

そのたからばこには、世界を広げる秘密があふれている。

たからばこを開けば開くほど、その分あなたの世界が広がっていく。




自由に扱える言葉の種類そのものが、自分の見ている世界の広さと解像度を決めている。

あなたが境界線の数を増やすこと、それによって何千万万画素のカメラのように高感度に、世界をきめ細かく認識することが出来るようになる。

高感度で写される世界は、この上なく美しく繊細なもの。

世界を美しく、今以上に広げるために、あなたの扱う言葉の種類を拡大させていくのはいかがでしょうか。









ありがとうございました。

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