イスラエルのスタートアップエコノミーに関する3つの誤解(前)
テルアビブ大学の社会人向け大学院(Executive MBA)に留学して4か月目に入った。大学院のクラスメイトにもテック系のキャリアの人が多いのと、テルアビブはこじんまりとした街でイベントにもふらっと参加しやすく、色んな人に知り合ったり、情報も手に入りやすい。ただ、事前に思っていたのと違うところもあり、「あれ、これはイスラエルのスタートアップエコノミーに持っていたイメージと違うな・・・」という気づきを共有したい。少々刺激的なタイトルだが、日本から現在イスラエル経済は期待や羨望といったまなざしで見られており、その中には(筆者と同様に)誤解もあるように感じている。実態を理解することは日本にとっても大きな意味があると思う。伝えたいポイントは大きく分けて以下の通りだ:
・はじめに:イスラエルにおけるスタートアップとは
・誤解①「スタートアップエコノミーが成長してきている」という誤解
・誤解②「分野を問わずスタートアップビジネスに強い」という誤解
・誤解③「柔軟さにあふれたビジネスを作れる」という誤解
はじめに:イスラエルにおけるスタートアップとは
3つの誤解について話を進める前に、イスラエルにおけるスタートアップの位置づけについても伝えておきたい。AIやIoTなど技術の変革が叫ばれる中、シリコンバレーに続くイノベーションの拠点としてイスラエルのスタートアップは大きな注目を浴びることになった。ただ、イスラエルには実は昔から起業家が多く存在していた。例えば昔日本の駅前で宝石を売っていたのはイスラエル人だし(大学院のクラスメートにも藤沢の駅前で宝石売りをしていた人がいる)、少し前は為替が上がるか下がるかを賭けるバイナリーと呼ばれるビジネスが多く立地していた。イスラエルは四国くらいの大きさで、たった800万人の人口しかいない。国内の雇用を吸収する大企業がないのだ。そんな中、英語が話せ、世界中のユダヤ人ネットワークを活用し世界に展開する様々なアイデアを持っている人が数多くいる。そして彼らはリスクをとりながら次々とビジネスを立ち上げていく。スタートアップエコノミーは新しい時代にいきなり現れたわけでもなく、イスラエルという国、ユダヤ人という人々の持つ資源と制約条件から自然と生まれた稼ぎ方だと言える。
「スタートアップエコノミーが成長してきている」という誤解
最近はイスラエルの特集も多く、手付かずのスタートアップが山ほどある宝の山のような言われ方をしているが、そうではない、状況は変わってきていると感じている。筆者はテルアビブ大学と米・ノースウェスタン大学(Kellogg)がジョイントで設置した管理職向けプログラムに参加しているが、参加者の顔触れを見て驚いたのはマイクロソフト、Google、FacebookやCISCOといったテック系の大企業からの参加者の多さだ。スタートアップ経営者が沢山いて動物園のような光景だろうと想像していたら、予想外にエリートの人が多くて拍子抜けしてしまった。
テック系大企業がイスラエルに進出してきた理由は二つある。まずは「イノベーションの刈り取り」だ。これらの企業は進出に際してスタートアップを買収、グローバルのR&Dセンターとして活用した。有名な事例として、Intelは自動運転向けの画像処理を行うスタートアップとしてモービルアイを約1兆7000億円で買収した。また、スポーツ向けに画面上で360度の観戦を可能にするTrue Viewという事業の開発をイスラエルで行っているが、これもイスラエルのスタートアップを買収して事業参画したものだ。
二つ目は人材の側面もある。知られているようにイスラエルではSTEM(Science, Technology, Engineering, Math)系教育が強く、軍隊での技術の養成もあるため、グローバルで競争力のあるソフトウェアエンジニア系の人材を採用するためにも拠点を置いている。
テック系大企業とスタートアップエコノミーは相互に支えあって成長してきたはずだ。スタートアップは技術を提供し、テック系大企業はスタートアップが生き残る資金や、大きな金額で買収される・いつかは成功するという「夢」も提供していた。ところがそのバランスが崩れつつある。
現地の人々との会話を通じて筆者はいくつか理由があると感じている。尚、MIT Business Reviewでは”テック系大企業により危機にあるイスラエルスタートアップエコノミー"という記事があり、こちらでも同様の趣旨が書かれており、ほぼ同様の理由が挙げられている。
1:人材の不足。特にソフトウェアエンジニアやプロダクトマネージャーはテック系大企業の草刈り場になっている。人材不足が甚だしいため、国内ではアラブ系や超正統派(宗教的に厳格な生活を守る人々。生活費として国から補助金が出ている)の人々をどのようにテック系の経済コミュニティに統合していくかが最近の話題だ。
2:給料。テック系大企業は高い給料(マネージャー職で1500万~2000万くらいはありそう)をオファーしている。冒頭でイスラエルでは雇用を吸収する企業がないからスタートアップが現れると言ったが、テック系の大企業がR&Dの拠点を置くにつけ、質の高い雇用がイスラエル国内に生まれてしまった。わざわざ企業をしてリスクをとる理由も減ってしまう。
3:エコシステムの緩やかな減退:上記の1・2の帰結といえるが、エコシステムとしての強度も緩やかに減退してきているようだ。MITの記事にもあるが、スタートアップの開業数は少しずつ減ってきている一方で、廃業数は増えてきている。イスラエルのスタートアップへの投資は増えているが、これはどちらかといえば海外からの投資によりバリュエーションが上がっていることによるだろう。
誤解からの学び
筆者自身イスラエルに来てここまでテック系が存在感があるとは理解をしていなかった。ただ、日本企業にとってもこの「誤解」からの学びは多いのではないかと感じている。まず一つは、グローバルの大企業は人材やイノベーションの源泉に目をつけて遙かに早いスピードで拠点を拡大したり、オペレーションを変化させてきているという点だ。日本企業でR&Dを日本の外に持っていくという判断は容易ではないだろう。ここではイノベーションやR&Dの機能、そして時間を金で買っている。「1サービス・1事業全体のR&Dを海外にゆだねる」といった経営判断が、例えば日本のメーカーにできるかといえば疑問だ。
また、イスラエルの事例が示すようにグローバルではソフトウェアエンジニアが取り合いになっている。先日ウクライナを訪れ、「ウクライナ・イスラエルイノベーションフォーラム」に参加したところ、母国では枯渇するソフトウェア人材をイスラエル企業は時差が同じで理数系教育の水準が比較的高いウクライナから調達しようとしていた(両国間では自由貿易協定が結ばれようとしている)。もはやイスラエルだけに目新しさを感じたり、イノベーションを委ねるというのはスピード感では遅いのかもしれない。プロダクトや求められる技術が変わる中で、イスラエルの先にある世界、例えば東欧やインドといった国にもイノベーションの源泉を求める必要があるのではないかと感じている。
(・誤解②「分野を問わずスタートアップビジネスに強い」という誤解
・誤解③「柔軟さにあふれたビジネスを作れる」という誤解
については後日後半として別記事にて記載する予定です)