青春という呪い。水墨画みたいな街。
久しぶりに、年末を地元札幌で過ごしている。3年ぶりくらいだ。
散歩をしようと思って外に出たら、大粒の雪に視界を塞がれてしまった。そういえばこんな感じだったな、と思い出す。
分厚いダウンジャケットの中にヒートテック上下を着ていたのに、めちゃくちゃ寒い。身体よりも、顔が冷たい。こういう事態に対抗するために「フェイスウォーマー」なんて装備があったことを思い出す。関東で暮らしていると、厳冬の過ごし方を忘れてしまうものだ。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」という慣用句がドンピシャだけど、寒さと熱さが食い違っているせいでイマイチしっくり来ないな。
顔面の冷たさに耐えながらあてもなく散歩をしていたら、足が自然と母校に向かっていた。
札幌南高校は、北海道で一番の名門校として知られている。1895年に設立された札幌尋常中学校を前身とし、北海道で初めて作られた本格的な中等教育学校の伝統を引き継いでいる。屯田兵が開拓するまでは歴史らしい歴史が存在しなかった北海道において、明らかに伝統を一番持っている高校だろう。
その伝統を誇示するように、開校当初の古い木造門がまだ残っている。もちろん今は使われていないので、ただの飾りだ。
「在学中は気にならなかったけど、今見るとちょっと鼻につくなぁ。権威主義的で」。そう思いながら写真を撮っていたら、隣のカップルも同じように写真を撮っていることに気づく。もしかしたら彼らも卒業生なのかもしれない。僕が人懐っこい人間なら、「卒業生ですか?」と話しかけていただろうに(反実仮想)。
それにしてもこの高校、改めて見ると敷地がやたら大きい。デッドスペースがたくさんある。
経営者としては「遊んでいる土地を活用してもっと効率化を!」という気持ちになるが、この学校はそういうセコい世界観で運営されているワケではないのだろう。120年前にデカい土地を陣取った既得権益で、ぬくぬく続いているのだ。「既得権益」をキレイに言い換えた表現こそが「伝統」なのかもしれない。
高校からほど近い場所に、中島公園という巨大な公園がある。都市のビル群に巨大な自然がキレイに溶け込んでいて、「これぞ都市公園!」という喜びがある。この都市公園としての完成度は、ニューヨークのセントラルパークにも負けてないと思う。セントラルパーク、行ったことないけど。
この公園は、三島由紀夫の小説『夏子の冒険』にも出てくる。主人公の「夏子」は、東京の名家の生まれ。自分の結婚相手候補の退屈な男たちに辟易していた頃、北海道の熊撃ちの男性に出会う。自分とは住む世界が違うその男性に惹かれていき、夏子は家出して北海道へ向かう…。文豪の作品っぽくない、王道エンタメ小説だ。三島由紀夫はそういうのが多くて好き。
作中で夏子を追いかけて親戚一同が北海道に向かい、彼らが宿泊したのがこの中島公園のほとりのホテルだった。「札幌パークホテル」というひねりのない名前だが、札幌で最も伝統のある一流ホテルだ。天皇陛下が宿泊したこともある。上流階級の彼らは場末のホテルに泊まるのをよしとしなかったのだろう。
上流階級というのは常にどこか余裕綽々なもので、夏子の親族たちは「夏子を取り戻さねば!」という切迫した状況にもかかわらず、呑気に中島公園を散歩していた。夏子を追いかけるための作戦会議を兼ねた、長い散歩だった。
この描写は、「上流階級は常に余裕がある」という風にも読めるけれど、「ピンチでも思わず散歩したくなってしまうほど、中島公園の景観は素晴らしい」という風にも読める。中島公園ファンの僕としては、後者の解釈をしていきたい。日本一の都市公園はここにある。異論は認めない。新宿御苑ファンは全員論破してやるから前に出ろ。
19年ほど過ごした地元は、至るところに思い出が染み付いている。何の変哲もない道を歩いても、「ああ、ここでアイツと、ちょっとヘビーな話をしたなぁ」とか、思い出してしまう。
たい焼き屋の前を通っては「ここで学校帰りに買い食いしたなあ」と思い出し、公園のベンチの前を通っては「ここで3時間くらいおしゃべりしたなあ」と思い出す。駅の駐輪場を見て「ここでチャリ盗まれたな」なんてことも思い出した。
過ぎ去った日の思い出は美しい。うっかり、「あの頃は良かったなぁ」なんて常套句を口にしたくなってしまう。慌てて口をつぐむ。
実際には、そんなことを微塵も思っていない。あの頃は良くなかった。悪かったとまでは言えないと思うが、良くはなかった。
札幌での暮らしは、僕をクリエイティブに向き合わせてくれなかった。むしろ、この街は僕をクリエイティブから遠ざけた。
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