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クライアントの言いなりで最悪になった仕事の思い出。クリエイターは御用聞きではない。
YouTubeの『オモコロチャンネル』を好んで見ている。
オモコロチャンネル:https://www.youtube.com/channel/UCOx-oLP9tOhiYwSK_m-yVxA
『オモコロ』といえば、言わずと知れたふざけWEBメディア業界の雄だ。10年以上もトップランナーとして素晴らしい記事を量産し続けている。僕も高校生の頃からずっと好きだ。オモコロがなかったら、僕は今しがないインターネット芸人として生活していないかもしれない。
「ひたすら缶詰を買ってきて食べ比べる」「ボードゲームで遊ぶ」みたいな、いわゆるYouTuber的なものがあまり好きではないのだけれど、オモコロチャンネルだけは全くストレスなく見ることができる。僕がWEBメディアとしてのオモコロを10年以上読み続けている文脈もあるだろうし、インターネットふざけコンテンツの第一線を走り続けてきたメンバーのユーモアの感性がすごく洗練されているということもあるだろう。
最近腹を抱えて笑ったのは、この回。
メンバーが『ハリガリ』というボードゲームをやるだけの回なのだが、ボードゲームが全然始まらない。
17分の動画なのに、ゲームが始まるまでに9分かかっている。
9分間何をやっているかというと、カードに描かれている果物が「プルーン」なのか「プラム」なのかという問題で延々揉めているのだ。恐らく台本なしの自然発生コントだけれど、すごく良い構造で大笑いしてしまった。
メンバーの微妙なバランス感覚の上でコントが成り立っているのも素晴らしいし、コントの唐突な終わりのカタルシスも良かった。そして、普通にその後ゲームを楽しんでいるのも面白かった。あ、これコント動画じゃないんだ、と思った。
オモコロチャンネルは編集の塩梅も実に素晴らしい。カットはバチバチに入るのだけれど、余計な効果音や演出はほとんど入れない。ガヤガヤしているのに静かなコンテンツで、全くスベってない。大人数YouTuberはこの編集方針を参考にすればいいと、個人的には思う。(中学生とかにウケるのはもっとうるさいコンテンツなのだろうけど。自分がYouTubeユーザーのメイン層でない自覚はある)
さて、そんなオモコロチャンネルを、僕は基本的に「頭を空っぽにして見るためのもの」として使っている。ハードワークに疲れた日の夕食のお供は、無益で笑えるコンテンツがいい。
だけど、この回だけは、頭を空っぽにすることができなかった。
それどころか、「その通りだ!それがクリエイターの仕事だ!クリエイティブとは戦争なのだ!」と、エラく興奮しながら見てしまった。カルタをワイワイやるだけの動画を見ながらクリエイティブについて独り言を漏らしまくる僕は、我ながら気味が悪かった。
なぜそんな妖怪YouTube独り言オジサンになってしまったのか?
この動画は、「過去のオモコロ記事の写真でカルタをする」という趣旨なのだが、カルタをしながら記事の思い出話が盛り上がることがしばしばあり、その中にクリエイティブの真髄が含まれていたからだ。
例えば、この記事の話。
交わされた会話はこんな感じ。
「この記事、オチがすごい好き。実は全ておじいちゃんが死ぬ間際に見た幻想だったっていう」
「しかもこれ、記事広告だからね」
「このオチだとクライアントの許可が出ないんじゃないかと思ってたけどね、OKもらえたね」
「無理を通すのが仕事ですから。堂々としてりゃいいのよ」
この話を聞いている時点で、僕は「ああっ…!これすごいっ…!」と既に興奮し始めていた。エロ漫画のAメロみたいな独り言。
そして、この記事の話も盛り上がっていた。
この記事についての話はこんな感じ。
「チェジュ島に行ったからね。これのためにわざわざ」
「女装してOLのフリして傷心旅行に行くっていう、それだけの記事だね」
「よくそれだけで記事にしようと思ったな」
「この記事、オチもすごいんだよね。チェジュ島の秘宝館みたいなところに行って、デカいチンコの像に乗っかったらなぜかチンコからジェット噴射が出て宇宙に飛んで行くっていう」
「なんちゅうオチだ」
「これも記事広告でしょ?」
「そうですよ。チェジュ島の観光局みたいなところのPR記事です」
「めちゃくちゃだな」
「これさぁ、オチが見えてない状態でチェジュ島行ったんだよね。オチが全く分からないまま漠然とチェジュ島を周って、ずっと首をかしげてたんだよね。でも最後に秘宝館みたいなところに行ったときに"できた…"って。アレは感動したね」
「現場で生まれたオチだね」
このやり取りを聞きながら僕は本格的にビクビクし始めてしまい、「頭を使わないで見よう」などというヌルい魂胆は雲散霧消した。既に僕はこの動画の虜であり、自分の意志で画面から離れることはできなくなっていた。「もうダメっ…!離れられないっ…!」ってつぶやいていた。エロ漫画のBメロ独り言。
その後もしばらく名作企画の話が続き、また同じ結論が出た。
「やっぱり改めて皆に言っておきたいのは、堂々としてろ!ってこと。オドオドしてるからヤバいのがバレるんだよ。堂々としてれば大丈夫」
これを聞きながら僕は絶頂を迎えた。「過去の記事でカルタをやる」なんてユルい建て付けではあるけれど、このさり気ない会話の中に、クリエイティブの全てが詰まっているような気がした。
面白いクリエイティブは、いつだってギリギリだ。クライアントの不安を少しでも惹起すれば中止になってしまうような綱渡りの企画だけが、素晴らしい作品に変わる。
オモコロは、ギリギリの綱渡りを何度も成功させている。その成功の源泉が、ここに詰まっている。「堂々としていること」。せせこましくバランスを取るよりも、豪腕でねじ伏せればいい。彼らのクリエイティブへの姿勢と技術が、この一言に凝縮されていると思った。
思い返せば、前述の傷心旅行の記事を、僕はリアルタイムで読んでいた。2016年の頭、大学の卒業を控えた時期だった。
当時は、「アホだな~、相変わらず面白いな~」ぐらいにしか思わなかった。今になって思えば、あの頃の僕はクリエイティブに対する視点がガバガバだった。
ただの大学生なら視点がガバガバでも構わないのだけれど、数カ月後に卒業した後は面白いものを作ることを当面の食い扶持にしようとしていたワケで、そいつの視点がガバガバなのは本当にヤバい。「これから釣り人として食っていきます!」と豪語してるヤツが「針が怖くて釣り餌がつけられない」と言っているぐらいヤバい。
僕は「就職しないで面白いことやって食っていきま~す!お仕事くださ~い!」などと間抜け面でのたまっていたけれど、あまり仕事は来なかったし、大した成果も出せなかった。当たり前だ。スキルがない人間にポストは与えられないし、釣り餌がつけられない釣り人は何も釣れないだろう。
そうだ。大学卒業直後の僕は、クリエイティブへの視点がガバガバのままクリエイティブをやっていた。オモコロスタッフとは比べる対象にもならないぐらい、ひどいものだった。
何もできなかったけれど、特に「堂々としていること」ができなかった。常にクライアントの意向に左右されて、結局しょうもない成果物に落ち着くことばかりだった。豪腕どころか、赤子のような細腕しか持っていなかった。赤子の手は、クライアントに簡単にひねられてしまった。
ということで、本日は僕自身の「クライアントの言いなりになった仕事の苦い思い出」を書こうと思う。
この仕事は本当にグダグダだった。面白くないし、労力を取られるし、挙げ句の果てに風評リスクがあってボツになるという三重苦だ。人生で一番グダグダだった仕事を挙げろと言われたら、これを挙げる。
以下具体的に書いていこうと思うが、色々な実名や、あまり公にすべきでない話が出るので、ここから先は有料になる。気になる方は課金して読んで欲しい。視点がガバガバのままオモコロのクリエイティブに憧れてしまった哀れな若者がどうなるのか気になる方には特にオススメ。
単品購入(300円)もできるが、定期購読(500円/月)がオススメだ。いつ入っても今月書かれた記事は全部読める。8月は5本更新なので、バラバラに買うより3倍オトク。
それでは早速見ていこう。グダグダになったのは、この会社の仕事だ…。
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