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おもしろ説明オジサンとして食えるようになるための、再現性のない方法。

職業を聞かれたら「作家、YouTuber」と答えているのだが、自分でもあまりしっくり来ていない。作家と言っても「頭が良くなる下ネタ」みたいな奇妙な文章ばかり書いているし、YouTuberと言っても一切動かず、マイクの前で理屈っぽいことを喋り続けているだけだ。コーラにメントスを入れたことは一度もない。

結局、僕の職業を表す言葉は、「おもしろ説明オジサン」が一番しっくり来る。何らかの知識をおもしろく説明するのが好きだし、得意だ。天職である。

ふと思う。なぜこうなったのだろうか、と。僕の人生はどこで決まったのか。


「授業が上手い」という概念の発見

12歳。中学校に入ってから、突然気づいた。「授業って、上手い人とヘタな人がいるんだ」と。

すべての教科をひとりが受け持つ小学校と違って、中学校は入れ替わり立ち替わり教師がやってくるので、「この人の授業は上手いな」と思う機会が増えた。

特に上手かったのが、理科の先生だった。12歳の僕は、彼の授業を聞いて、「説明はエンターテインメントになりうるのだ」と気づいた。僕の究極の原体験だと思う。

彼の授業は、たとえばこんな調子だった。「酸、アルカリの性質」の単元。


みんなさぁ、シャンプーの後にリンスって使ってる? 使ってる人、手挙げて~!

使ってる人も使ってない人もいるね。あのね、ちゃんと使った方がいいよ。

今日はその理由を説明しよう。「酸、アルカリの性質」っていう単元をやるんだけどさ、これ、シャンプーとリンスだと考えると分かりやすいんだ。

世の中のものは「酸性」か「アルカリ性」か「中性(ちょうど中間)」に分けられるんだよね。

「酸性」って言葉、CMとかで聞いたことない? 誰か聞いたことある人~? はい◯◯さん!

生徒「ビオレのCMで聞いたことあります」

そうだね。「ビオレママになろう~♪ 弱酸性ビオレ♪」っていうCM流れてるよな。

生徒「笑」(子どもは授業中に歌うとめっちゃウケる)

「素肌と同じ弱酸性」みたいなの、CMでの定番ワードになってるんだよね。俺たちの肌って弱酸性らしいよ。

さて、「酸性」と「アルカリ性」って、「熱い」と「冷たい」みたいに、真逆のものなんだ。打ち消し合うんだよね。熱いのと冷たいのを混ぜたらどっちでもなくなるでしょ?

じゃあ問題です。俺らの肌が弱酸性ってことは、俺らの肌から出る汚れはなんでしょう……? そう、酸性だね。

ってことは、それを打ち消すために必要な石鹸とかシャンプーとかは……? そう、アルカリ性だね。

だから、俺たちは酸性の汚れを打ち消すためにアルカリ性のシャンプーを使っているんだ。

でも、ひとつ問題が残る。俺らの肌は弱酸性が基本だから、シャンプーした後にちょっとアルカリ性が残っちゃってたら、身体に悪いんだよね。

だから、最後にちょっと酸性のものをつけて弱酸性に戻してやる。それがリンスだ。

リンスが必要な理由、もう納得できたよね?


鮮やかでおもしろい説明である。この理科教師は本当にすごい。

僕は学生時代、ずっと学習塾で理科の先生をしていたのだが、この「酸とアルカリ」の単元は教える難易度が極めて高いことで有名だった。何と言っても、「酸」も「アルカリ」も生徒にとって未知の概念である。問題設定のイメージが湧きにくい。「ずっと何言ってるか分からない」みたいになりがちだ。

だが、彼はそれを「シャンプーとリンス」に置き換えることで見事にクリアしてみせた。これなら一発でイメージが湧くし、めちゃくちゃ分かりやすい。模範的な導入だ。しかも、シャンプーとリンスを混ぜて性質を行き来させるイメージが、この後に出てくる「中和」の単元の伏線になっている。

また、この後、「アルカリ性のものは苦い。シャンプーは舐めたらめっちゃ苦いよ!俺は試しにめっちゃ舐めてみたけど具合悪くなったぞ!」みたいなボケでさらに笑いを取っていた。すごい技術だ。


僕もアレがやりたかった

中学の理科教師のお陰で、僕はずっと理科が好きだった。高校時代は物理が一番の得意科目で、趣味で問題集を解いてもいいぐらい楽しかった。

大学生になってすぐ、塾講師のバイトを始めた。「教えたい科目は?」と聞かれたので、「理科と数学」と答えた。一番教えたいのは理科だった。中学時代の原体験が、僕を動かしていた。「僕もああいう授業がしたい」と思った。

幸い、僕にはそれなりのプレゼン能力があったので、早い段階で理科の集団授業を任せてもらえることになった。中学受験クラスにいる小学5年生たち12名が、僕の最初の生徒だった。

初回の授業は、まったくうまくいかなかった。小学5年生の集中力は調教前の犬ぐらいしかないので、彼らは少しでもつまらないとすぐに騒ぎ出してしまう。彼らが隣の生徒とお喋りをし始めるまで、5分とかからなかっただろう。

「はい、騒がない~!話聞いて~!」と大きめの声で注意しながら、自分で分かっていた。騒ぐ彼らが悪いのではない。僕の授業がつまらないのが悪いのだ。

90分の授業を終えた後、僕の自信は粉々に打ち砕かれた。「そこそこ上手くできるだろう」と根拠なく思い込んでいた自分をぶん殴りたくなった。

先輩塾講師に「まあ、子どもなんてどうせ授業中に騒ぐものさ」と慰めてもらった。そして、「生徒を静かにさせるならこんな叱り方のテクニックがあるよ」と教えてくれた。

それ自体はとてもありがたいことなのだが、そのテクニックは敗北でしかないような気がした。『北風と太陽』みたいだ。「叱って言うことを聞かせる」のは、北風のやり方だ。旅人の服をムリヤリ吹き飛ばそうとしても、誰も幸せにならない。僕らはそうあるべきじゃない。太陽のやり方にすべきだ。日差しによって旅人が自ら上着を脱ぐようにしなければ。おもしろい授業をして、自ら聞く気にさせなければならない。


太陽を求めて四苦八苦

それから3ヶ月、僕は毎週のように敗北感に打ちひしがれ続けた。少しずつ授業スキルは上がっていくが、自分が求めるレベルにはまったく至らない。生徒たちの私語は少しずつ減っていくが、「授業がおもしろい!」と思われている感覚はなかった。

あまりにも悔しかったので、僕は大学の学業そっちのけで授業準備をしていた。もっと魅力的な話術を、もっと魅力的な構成を、もっと魅力的な切り口を。そう思いながら、小学5年生の理科のテキストとにらめっこしていた。(そのせいで線形代数の単位を落とした)


線形代数の講義はつまらなかったのでほとんど聞いてなかったが、一般教養でめちゃくちゃおもしろい講義もあった。

たとえば、「政治学」がそうだ。オリエンテーションに行ったらおもしろそうだったから気まぐれに取ってみたのだが、これが大当たりだった。あまりにおもしろいので夢中でノートを取ったし、聞き返すために録音すらした。「大学の講義はつまらないもの」という僕の既成概念を破壊してくれた講義だ。

「政治学」は、導入がいつも異常に魅力的だった。たとえばこんな感じ。

国会って、ゴキブリホイホイみたいなものなんですよ

展開が気になりすぎる第一声だ。グッと引き込まれた後に、こう続く。

あ、「政治家はゴキブリみたいな人間ばっかりだ」って意味じゃないですよ。誤解のないようにお願いします。まあ、たまにゴキブリみたいな人もいますけど…

ただでさえ100点の導入に、ブラックジョークも入れてきた

「政治学」はあまりにもおもしろかったので、僕は録音した講義を聞き直しながら、技術を盗もうと思った。専門科目の講義はそっちのけで、政治学の講義を何度も聞き、おもしろさのエッセンスを抽出した。(そのせいで電磁気学の単位を落とした)


授業は導入が8割

「政治学」の講義から僕が学んだことは、「授業は導入が8割」ということだ。魅力的な導入を思いつけば、それだけで話に一本の太い芯が通る。

「国会って、ゴキブリホイホイみたいなものなんですよ」という強いフレーズがあれば、その後の展開に興味を持たせるのは容易だ。

僕はこの時期から、授業の内容全体というよりはむしろ、導入に力を入れるようになった。エネルギーの8割を、魅力的な導入を考えるために使うようになった。

この習慣は今でも続いている。僕はいつもラジオの台本を書くとき、導入のことばかり考えている。「索引を発明したヤツはサイコパス」という導入さえ思いつけば、あとは苦も無く書き上がることが多い。


良い導入の条件

良い導入は芸術品だ。針の穴を通すような精度が求められる。

まず第一に、意外でなければならない。意外性のない導入は興味を惹起しない。「国会は、会議室みたいなものなんですよ」という導入なら当たり前すぎるので、誰も話を聞きたくならないだろう。「ゴキブリホイホイ」という意外なワードを持ってくることに意味がある。


第二に、十分に回収出来なければならない。後から「なるほど!そういうことだったのか!」と納得させないといけない。ちなみに「国会はゴキブリホイホイ」の真意は、こういうことだった。

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