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押し付けがましい「多様性」のヤバさ。あるいは、『正欲』を読むと嫌いになれるインフルエンサー。

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朝井リョウ『正欲』を読んだ。

おもしろいと散々聞いていたが、実際読むと期待値をはるかに上回る傑作だった。上がりきったハードルをゆうに超える筆力に唸る。

かつて『何者』を読んだとき、「この人は間違いなくホンモノだ。現代を代表する作家だ」と思ったけれど、今回はもう「そんなレベルじゃないぞ。日本を代表する作家だ」と思った。夏目漱石とか川端康成とか、そういうランクだと思う。まだ35歳なのに。こういう人が同世代にいると、僕が書くことがなくなるからやめてほしい。朝井リョウ、今からでも年齢詐称を始めて55歳ということにしてくれないかなぁ。


さて、『正欲』はどんな小説なのか。僕は、お仕着せの「多様性」への反逆の物語だと思う。

「お前らが大好きな”多様性”って、使えばそれっぽくなる魔法の言葉じゃねえんだよ」

『正欲』p.337

この本には何度も何度も「多様性」「ダイバーシティ」という言葉が出てくる。だけど、その度にマイノリティの人たちは嫌気が差してしまう。マジョリティが口にする「多様性」はいつもピント外れで、鬱陶しくて、少数派がかえって生きづらくなるようなものだ。

LGBTQへの配慮が取り沙汰されるようになって久しい。最近だとあらゆる会員登録フォームに「男性」「女性」以外の選択肢がある。

もしかしたらLGBTQの人は生きやすくなったのかもしれないけれど、もっと少ないマイノリティの人たちはどうなのだろう。人間以外のものに欲情する性的嗜好の持ち主は? ペドフィリア(小児性愛)は? そういう人たちを異常と見なしながら、LGBTQへの理解を示すことは、本当に”多様性”なのか?

朝井リョウらしいシニカルな視線で、大学生たちが実行する軽薄な「ダイバーシティフェス」を皮肉るところが実にたまらない。


──ダイバーシティフェスのテーマは、”繋がり”なんです。
(中略)
本当に繋がりたい相手とは、あんな場所で堂々と手を挙げて存在を確認し合えるような人ではない。誰にも見られていない場所で、こっそり落ち合うしかない誰かなのだ。

『正欲』p.294


僕が何となく感じていた、そして多くの人も何となく感じていたであろう、「多様性 ダイバーシティ」への違和感が、この上なく明らかな形で描写される。

「ダイバーシティフェス」のようなものを見る度になんだか薄ら寒い気持ちになった理由はそういうことだったんだ。恐らく大学のダイバーシティフェス実行委員は「多様性を認めるのならば、我々はペドフィリアを認めるべきなのか?」という問いに向き合ったことすらない。社会的にある程度認められた少数派を何となく後押しするだけの「ダイバーシティフェス」が薄ら寒くなるのは必然なのだろう。


多様性とは、都合よく使える美しい言葉ではない。自分の想像力の限界を突き付けられる言葉のはずだ。時に吐き気を催し、時に目を瞑りたくなるほど、自分にとって都合の悪いものがすぐ傍で呼吸していることを思い知らされる言葉のはずだ。

『正欲』p.188


すごい迫力だ。軽薄なブームとしての「多様性」がそこら中に溢れる世界を、これでもかというほどに鋭く揶揄している。うっすら思っていた「多様性ブーム、嫌だなぁ」という気持ちが、バキバキの彩度で言語化される。


こっちはそんな、一緒に乗り越えよう、みたいな殊勝な態度でどうにかなる世界にいない。マイノリティを利用するだけ利用したドラマでこれが多様性だとか令和だとか盛り上がれるようなおめでたい人生じゃない。お前が安易に寄り添おうとしているのは、お前が想像もしていない輪郭だ。自分の想像力の及ばなさを自覚していない狭い狭い視野による公式で、誰かの苦しみを解き明かそうとするな。

『正欲』p.299-300


「マイノリティを利用するだけ利用したドラマ」。すごい表現だ。作中では『おじさんだって恋したい』という存在しない作中劇に置き換えられているが、その元ネタは明らかである。このあたりの切れ味もたまらない。

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