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離婚した話。あるいは、今日を生きる彼女と、明日を生きる僕の話。
人生があんまり上手くない自覚があるのだが、今回もそういう類の話だ。
先日、離婚した。届けが受理されたのが10月末だから、もう3ヶ月近く前だ。
これまで発信しなかった明確な理由はない。あえて言うなら、何を書けばいいか分からなかった、というのが一番近い。元妻に迷惑をかけたくないので、僕が見た景色を直截に書くのが難しかった。そうなると、人生を剥き出しにして本音を書いている普段の僕の芸風が使えない。しがないインターネット芸人は、得意分野の外に出ると弱いのである。
とはいえ、作家業とは元来そういうものだ。書くと不都合そうなことは上手いこと抽象度を調整して作品に昇華しなければいけない。
三島由紀夫『宴のあと』はモデル人物をあまりに克明に描きすぎて「ワシのプライバシーどうなってんねん」と裁判沙汰になってしまったが、これは失敗事例である。もっと抽象化して複数人物を混ぜるとかしないといけなかった。他山の石としたい。
僕らの離婚理由について、めちゃくちゃに抽象化すると「性格の不一致」である。うわっ!!つまんねっ!!100万人同じこと言ってるわ!!
己のつまらなさに耐えられなくなったので、もうちょっとだけ具体化すると、僕と彼女は生きる時間軸が違ったような気がする。
僕は未来を生きていて、彼女は今を生きていた。整形されたキャッチコピーに無理やり押し込めると、そういうことになりそうだ。
未来を生きる僕と、今を生きる彼女
僕は投資信託を積み立てて、残高が増えていくのが好きだ。単に金が好きというよりは、それによって買える未来の安心や可能性が好きだ。「老後」というほど遠い話ではなく、5年後の話。
自分の会社の経営でちょっと大きな失敗をしたとき、手元に資金がないと絶望することになる。一緒に働いてくれる仲間に報酬が払えなかったり、進行中のプロジェクトを打ち切らないといけなくなったりするだろう。あるいは個人的にも、イヤな仕事を無理してやる必要が出てくるかもしれない。
これらの問題を、手元資金がすべて解決する。十分に手元資金があるならば、運用益だけで利益を確保できるなら、己の無力さを嘆きストレスに耐える必要がなくなる。
だから、まとまった金を作ることは僕にとって非常に魅力的なことで、狂ったように投資信託を買うのは当然のことだった。
一方、彼女は「明日死ぬかもしれないんだからそんな先のことを考えてどうする」というタイプだった。宵越しの金は持たない人で、酒も博打も好きだった。昭和の名優みたいな豪快さがある。勝新太郎かよ。
そんな彼女は当然ながら証券口座の開設すらしたことがなく、日経平均株価はおろか自分の口座残高すら確認しないワイルドな暮らしをしていた。「豪放磊落」という言葉が似合う人だった。
そんな彼女が好きだった。せせこましい僕と豪快な彼女の間には、奇妙な相補性がある気がした。口座残高すら把握してない彼女を見て、僕は「ウソだろ!?」と震えたし、狂ったように投資信託を買い続ける僕を見て、彼女は「ウソだろ!?」と震えていた。
もうひとつ、よく憶えている出来事がある。
付き合い始めて割とすぐのとき、彼女は僕の家でゲームを始めた。「今日は徹夜でこれをやる。ずっと楽しみにしていたタイトルだから」と言った。そして有言実行で、午前2時を回っても寝る気配がなかった。
僕は好奇心から聞いてみた。「それは素晴らしいことだけど、そんなに楽しみなゲームなら徹夜じゃなくて、寝て起きてからやった方がいいんじゃない? その方がクリアな頭で味わい尽くせるんだから」と。
彼女は答えた。「違うよ。眠い目で、朦朧とした意識の中でゲームをするのが一番幸せなんだよ」。僕は少しも意味が分からなかった。好きなゲームなら、ベストコンディションでやった方がいい。その方が体験の質が向上する。
どうやら、僕と彼女ではゲームに対して求める目標設定が異なっているらしかった。僕は「ゲームプレイ体験の最大化」であり、彼女は「幸福度の最大化」だった。この違いも、結局は「未来を生きているか、今を生きているか」に還元できる気がする。僕はゲームから得た感動を最大化して明日の創作に活かそうとしていたけれど、彼女は今この瞬間を幸福にしようとしていた。眠い状態でやったゲームの内容を、忘れてしまっても構わないのだろう。
僕はその感覚が理解できなかったし、彼女も僕の感覚を理解できなかったが、「まあそういうものなのだろう」と思って先に寝ることにした。分からなくてもテキトウに納得して共存することはできる。分からないものを分からないまま受け入れるのは、何より大切な能力だ。
ふたりとも、軽口を叩くのが好きだった
僕と彼女は正反対の部分もあったけれど、似ている部分もあった。僕たちは口数が多くて、軽口を叩くのが好きだった。
「ネットで言ったら炎上するぞ」みたいな冗談を、よく言い合った。昨今のインターネットは本当に息苦しいから、家でリラックスしているときに炎上するような冗談が言えるのは楽しかった。
彼女は、僕がNISA枠を埋めているのを見ながら、「NISAやiDeCoは国の陰謀だ。国にいつか召し上げられるぞ!」とよく言っていた。もちろん冗談だったのだけれど、iDeCo改悪のニュースが流れたとき、彼女はあながち間違っていなかったなぁ、と思った。嘘から出た真。
僕たちはいつもペラペラと不謹慎な冗談を言って、それはとても楽しい時間だったから、結婚することにした。
人生に対する姿勢はずいぶん違ったけれど、そこはどうにかなると思った。2年くらい付き合っていて、お互いに理解できないことは無数にあったけれど、分からないなりに共存できていたから。これからも共存できると思った。そうはならなかったけれど。
結婚生活、ダメでした
残念ながら、結婚生活はうまくいかなかった。
その詳細については書くべきではないし、書いてもおもしろくならないから、具体的に述べるのはやめておく。
ともかく、やはり僕と彼女の人生や結婚やその他諸々の価値観のギャップは、埋められなかった。僕は明日を生きていて、彼女は今日を生きていた。そのふたりがライフプランを考えたとき、噛み合わない部分があまりにも多かった。
それは結婚前にもある程度予見できたことだったし、心配な点をある程度潰してから結婚したつもりだったけれど、実際にやってみると思ったよりもずっと困難で、「見切り発車で結婚してしまった感が否めないな」と思った。
唯一良かったのは、「まあ、どうしてもダメなら離婚しようか」と事前に彼女とも話していたことだ。離婚の相談は、ずいぶんスムーズに進んだ。
関係が泥沼化することもなく、ただ静かに離婚の手続きが進む。
離婚届にも証人欄があることを知った。協議離婚(当事者の合意による離婚。つまり今回の僕たちだ)の場合は、証人のサインが必須らしい。
そんな縁起でもない書類に、同年代の友人たちのサインを頼むのは気が引ける。だから、一回り上のビジネス書100冊本の担当編集者に頼んだ。「離婚するんですよ」と言ったら「ウケますね」と返ってきた。文芸編集者の彼は、人生のすべてを作品だと捉えるフシがある。
書類不備なども特になく、離婚届はスムーズに受理されたらしい。日程を合わせられなかったので元妻がひとりで出しに行ってくれたのだが、その後こんな郵便物が僕に届いた。
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「虚偽の届出の早期発見のためにご本人に通知するものです」と書いてある。なるほど、よく聞くトラブルだ。「相手が離婚を承諾してくれないから、勝手に離婚届を出してしまった」みたいなこと、世の中ではよくあるのだろう。
そういうトラブルにならなくて良かったなあ、と思った。いつでも、不幸中の幸いを探すクセがついている。
撤退と再起だけは得意だ。
人生はたいてい地味だから、映画みたいに派手な展開はない。
壮絶に落ち込んで動けなくなったりはしなかった。そこそこに落ち込んで、少し眠れなかったりストレスで調子の悪い時期が1週間ほどあって、そこそこに立ち直った。
離婚が決まってからは、目の前の仕事を必死でやることで、立ち直りを早めようとした。昨年の10月あたり、めちゃくちゃに働いていた。1日14時間くらい働いていたんじゃないかと思う。嫌なことを忘れるために何かに集中するのは悪くない。
それにしても、僕の人生を振り返ると失敗ばかりだ。初めてやったことは大体なんでもコケている。起業もそうだった。僕が初めて作った会社は見るも無惨な倒産をした。そのときの顛末はこの記事に詳しい。
この記事の終盤、事業撤退を決めたときの描写が、今回の離婚記事とほとんど同じで笑えてくる。
今、この最後の時、一緒に戦ってくれる仲間はいない。僕が全ての責任を負い、全ての決着をつけなければならなかった。
土地を貸してくれたオーナーに連絡を取った。出資者に連絡を取った。大口の支援をくれた人に連絡を取った。
「申し訳ございません」と、繰り返し言った。自分の愚かさが憎い、と思った。
しかし、全員問題なく了承してくれた。失敗だらけだったこの事業の良かったところをあえて挙げるとするなら、素晴らしいステークホルダーに恵まれたことだろう。いつか、恩を返したい。
「撤退だけはスムーズにいった」という描写、今回とまったく同じである。僕は人生があまり上手くないが、撤退だけは上手いらしい。できれば人生の方を上手くなりたいものだけど。
いや、撤退だけではない。再起もヘタじゃないと自負している。
僕は失敗に慣れている。普通の人なら再起できないぐらい大きい失敗も、何度かやった。それでも、潰れず走り続けてきた。転んでも立ち上がる能力に長けている。
次は上手くやろう、と思う。今回の反省を活かして。今まで何度もそうしてきたように。
できれば失敗する前に学びたいところだが、そんなにスマートな人間じゃないから仕方ない。賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ。僕は愚者の方である。
今後に向けて
離婚しても何も変わらない。粛々と今までの生活を続けるだけだ。
ただ、強いて言うと久しぶりに恋愛市場に戻ってきたので、当事者として何かやってもいいな、と思っている。
昔から漠然と考えていたアイデアで、「長文マッチングアプリ」というのがある。この世のあらゆるマッチングアプリのプロフィール文は短すぎてつまらない。「趣味はアニメを見ることとテニスをすることです!」とかなんとか書かれても、「そんなつまらない情報からは興味の持ちようがない」と思ってしまう。
そうでなく、1万文字くらい書くことを前提にしたらおもしろいんじゃないか。1万文字を稼ごうと思ったら、否が応でも自分を深く掘り下げなければいけない。「趣味はアニメを見ることです」などという解像度の情報ではとても足りない。どんなアニメを見て、それがなぜ好きで、原体験は何なのか。単なる自己紹介ではなく、批評性を加えることが必要になる。プロフィールをエッセイに加工しなければならない。
僕はエッセイを読むのが好きだ。良いエッセイを読んでいるとその人の人柄や価値観までもが伝わってくる。その人に興味が湧き、質問したいことが浮かんでくる。そんな人に会うのは楽しいことだ。
だから、「長文マッチングアプリ」はおもしろいアイデアなんじゃないかと思う。もちろん世の中のほとんどの人には適さない(ほとんどの人は1万文字書けと言われたら絶望するだろう)ことは分かっているけれど、文章を読み書きするのが苦でない人たちにとっては興味深い体験になるのではないか。
そんなことを漠然と思いつつ、「まあでも、僕は当事者じゃないしな」とずっとアイデアを放置してきたのだけれど、状況が変わった。そういう新しいことをやってみてもいいかもしれない。近々、僕はマッチングアプリをリリースするかもしれません。めんどくさくなって全然やらないかもしれません。思いつきを書くのは楽しいのに実行はめんどくさいの、人生の良くないところだよな。
とにかく、今後も頑張ろうと思います。あんまり人生は上手くないですが、上手くないなりに精一杯やります。
あと、NISA枠は引き続き全力で埋めていきますし、NISA枠の外でもいっぱい投資します。おもしろい投資商品のオススメとかあったら皆さん教えてください。節税商品などにも興味あります。よろしくお願いします。