人生が上手くいかなかった僕らの、輝かしい日々。
先週書いたnoteが公開停止にされてしまった。
異議申し立てをしようかと思ったけれど、結局やめてしまった。同じような目に遭った友人が、「異議申し立てしても取り合ってもらえなかった」と言っていたのを思い出したからだ。か弱いユーザーはプラットフォームに勝てないのである。
人生、なかなか上手くいかないものだ。noteは突然公開停止になるし、好きな人は突然去っていくし、花見の予定を入れた日に限って雨が降る。
最近は上手くいかなさを噛み締めながら、「これが人生か」と思っている。ニーチェならこの後に「さらばもう一度!」と強く肯定するのだろう。僕はあいにくそんなにパワフルな人間ではないので、「まあ、そんなもんだよな」と、弱く肯定している。
人生のデフォルトを順風満帆に設定してしまうと、上手くいかないときに絶望が襲ってくる。僕は昔そういうタイプだった。20代前半の頃は何かで失敗する度に「ありえない!」と絶望していた。
30歳になり、人生のデフォルトはすっかり書き換わった。「どうせ何も上手くいかないだろう」と考えるのに慣れた。一見すると悪いことのように聞こえるが、これは良いことだと思う。いちいち絶望しなくなったから。
「どうせ何も上手くいかないだろう」が強すぎると無気力症候群になるんだろうけれど、僕は幸いそうなってない。「どうせ何も上手くいかないだろう」と思いながら、「とはいえこれはおもしろそうだからやろう」と挑戦することができている。
最近だと、「ゆる学徒カフェ」という新しいプロジェクトを始めた。池袋に物件を借りて、新しいリアルビジネスをやろうとしている。
(プロジェクト自体は4ヶ月前から動いていたが、昨日やっとYouTubeが始まった。みんな見てね。「店のイベントではコンプラギリギリを攻めよう」みたいな話をしてるよ)
これはこれで楽しくやっているのだが、のっけから予想外のことが起こりすぎて目まいがする毎日だ。「内装費は800万ぐらいに収められたらいいよね」と話していたのに、最初に出てきた見積りが2100万円だったせいで、とんでもなく落ち込むハメになった。
昔はこういうとき、「もうムリぃ!」と絶望していたのだが、最近は「まあ仕方ないか。とりあえず一晩寝てから考えよう」と現実逃避ができるようになった。逃げ方が上手くなったとも言えるのだろうけれど、絶望せずに人生を受け入れられるようになったとも言えるだろう。ひとえに、最初から「どうせ何も上手くいかないだろう」と考えているからだ。
人生は上手くいかない。僕がそれをどこで学んだのかといえば、多分、シェアハウスだ。
かつて住んでいたシェアハウスには、人生が上手くいってない人がたくさんいた。っていうか、因果が逆かもしれない。人生が上手くいってないからシェアハウスに住もうとするのかもしれない。新しい生活スタイルによって人生に新しい突破口が生まれるんじゃないかと、一縷の望みを抱いて。
たしかに、その側面はある。まったく新しい生活を始めれば、見える景色が変わる。もしかしたら、人生が好転することもあるかもしれない。
ただ、たいていの場合、上手くいってない人が集まっても上手くいってない話で盛り上がるだけで、特に状況は良くならない。
僕もそうだった。20代前半、上手くいってない人生を打開できることを祈って、シェアハウスに入居した。それからの1年半の生活は輝かしい青春の思い出だけど、特に人生は好転しなかった。人生が上手くいってない人たちに囲まれながら、自分を棚上げして「こいつ、人生上手くいってないな~」と思い続ける生活だった。
今日はそんな、輝かしい思い出を振り返ろう。僕も周りも、誰も上手くいってなかった、輝かしいあの時期を。
これは、僕がひとつ屋根の下で観察した、人生が上手くいってなかった人の記録である。
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