12時間ライブ配信をやったら、AIに仕事を奪われそうだと気づいた。
身体が重い。疲労が残っている。久しぶりの感覚。20代前半はこんな日が多かった気がする。
早寝早起きと食事管理と運動を習慣にしてから、毎朝完璧な目覚めを手に入れた。ヘトヘトになるまで働いた後も、8時間ぐっすり眠れば完璧に疲れが取れる。
だけど、さすがにムリな量の疲れもある。12時間ビジネス書を読み続けてライブ配信し続けた疲れである。
昨晩、12時間ぶっ通しでライブ配信をした。
前にも書いた、徳間書店から出す「ビジネス書って同じことばっか書いてない?100冊読んで検証した」的な本のための作業ライブだ。
毎週2時間半のペースで2ヶ月ほどやっていたのだが、「こんなペースでやってても絶対に終わらない」と確信したので、いっそ12時間やってしまおうという発想に至ったワケである。
その結果、久しぶりに「めちゃくちゃツラい1日」になった。飽きと疲れが怒涛のごとく押し寄せてきて、「もう読みたくない…」と心の底から思った。一晩ぐっすり眠っても、その疲れはまだ取れていない。ツラい。
人体実験企画が好きだ
だけど、僕は定期的にこういう「めちゃくちゃツラい人体実験」をやりたくなる。
毎日ちょっとずつ加速していく20日間の映画生活(途中からほぼ何も聞き取れなくてツラい)とか……
「米粒を12時間数え続けるイベント」とか。(腰と首が痛くなってツラい)
多分、無価値な知見が好きなのだ。ツラい人体実験によって生まれる膨大かつ無価値な知見を積み上げることが、僕の趣味なのだと思う。
「米を数える時はスタティックな数え方とダイナミックな数え方がある。ダイナミックな数え方の方が効率が良い」みたいなどうでもいい知見を獲得することに喜びを覚えてしまうのだ。
今回も、例に漏れず大量の知見が得られたので、書いてみようと思う。
なお、途中で突然有料になるが、例のごとく単品購入(300円)よりも定期購読(500円/月)がオススメだ。いつ入っても今月書かれた記事は全部読める。10月は4本更新なので、単品購入の2.4倍オトク。
①口の門番がバカになる
1人で12時間喋り続けるのは、キツい。声は枯れるし、疲れ切ってしまって表現を取捨選択する余裕がなくなる。ラスト1時間は「思いついたことがそのまま言葉になる」という現象に見舞われた。口の門番がバカになっている、と言ってもいいかもしれない。どんな不審者でも通してしまう。
気づいたときには「このペースで読んでると終わらないですね。まずいなぁ……どげんかせんといかん!」と言っていて、自分のつまらなさに愕然とした。懐かしい。なぜ令和3年にそのフレーズが出てきたんだ?
僕は疲れすぎて理性が働かなくなり、思いついた言葉をそのまま口にする人間になってしまった。そのまんま堀元である。
②すべてがどうでもよくなる
いつものライブ配信だと「これ、定量的なデータを見せてほしいな。参考文献書いてあるかな?」とか「それは因果と相関の誤りじゃないか?」とか細かくツッコミながら読んでいくのだが、今回は途中から面倒になった。
最後の2時間は露骨に「はーい。分かりました~」と言ってメモしている回数が多い。「すべてがどうでもよくなる」のだ。
カルト宗教の手口で、「何日も寝ないで修行をさせることによって洗脳する」みたいな話があるが、アレは間違いなく有効な手段だろう。身をもって実感した。
疲れた脳は批判的な思考を放棄し、「はーい。分かりました~」と受け入れてしまう。批判的にものを見るのはカロリィを消費する行動であり、疲労時にはできない。12時間ライブをしている内に洗脳されないように、ユーチューバァの皆さまは常に注意されたい。それが現代のリテラシィである。
③ウィダーinゼリーはモチベーションにならない
今回は、なるべく12時間ぶっ通しで読み続けたかったので、食事休憩を最小限にしようとした。
「カロリー摂取はウィダーinゼリー的なものを食べていればいいだろう」と思った。本を読みながらちょこちょこ食べていれば食事休憩を取らなくて済む。
しかしこれが大きな誤算だった。「胃が空っぽだとテンションが上がらない」ということを知った。
昔、仕事で人に会いまくるために忙しかった時期(僕にもかつてそんな時期があった)は、ウィダーinゼリーでも問題なかった。人が目の前に来ると自動で「対人モード」に変わり、テンションが上がるからだ。
しかし、延々ライブ配信をしていると、テンションが上がるきっかけがない。胃にウィダーinゼリーを入れただけだと「全然楽しくない…」となってしまい、補給の意味がなかった。僕に必要なのはカロリーではなく、食事の楽しみだった。
結局、脈絡なくカップ麺を食べ始めてしまった。
カップ麺を食べた後はすぐにテンションが回復し、「よっしゃ!やるぞ!」と大声を出せるようになった。やはり流動食はダメだ。ゼリーではテンションが上がらない。選択を間違っていた。
あと、「もうウィダーじゃない」というコメントがいっぱい寄せられた。ウィダーinゼリーは商品名が「inゼリー」に変わったらしい。
僕が「ウィダー」と言う度に「ウィダーじゃない」というコメントが来て、とてもめんどくさかった。この煩わしさも含めて大失敗だった。皆さんはなんとしてもウィダーを選択しないように気をつけてほしい。あと、森永はムダに商品名を変更しないように気をつけてほしい。
④何を食べても怒られる
途中、この本を読んだのだが、だいぶめちゃくちゃで面白かった。
一番面白かったのはこの部分。
本来であれば、縄文時代にはなかった食べ物は口にするべきではないのです。
(p.70より)
驚きの主張である。「人間の身体は縄文時代から基本的に変わっていない」→「縄文時代になかったものは食べてはいけない」という驚異の論理展開。
この基準に則って、プロテインとかサプリメントとかも否定されていた。「プロテインは縄文時代にはありません」「サプリメントは縄文時代にはありません」と書いてある。すごいパワープレイだ。
しかし、「コーヒーとかチョコレートは身体に良いからオススメ」とも書いてあった。コーヒーもチョコレートも縄文時代にはなかったと思うが……。
そして、この本を読んでからというもの、僕が何かを食べようとする度に「それ縄文時代にあった???」とコメントで問いただされるようになった。
更に、「さっき食べたカップ麺もゼリーも縄文時代にはなかったぞ」と、遡及して怒られることになった。日本では憲法39条によって遡及処罰の禁止が定められているので、これは勘弁してほしかった。
12時間ライブでこの本を読むと、口にする全ての食べ物において縄文チェックを通さなければいけなくなるし、罪刑法定主義の基本である遡及処罰の禁止も揺らいでしまう。覚悟してほしい。
⑤言葉が出てこなくなる
前述の通り、喋り続けていると言語野がバカになってくるらしい。
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