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3日前に死んだワニと、10年前に死んだ忌野清志郎。それから、ユーモアと戦争。

100日後に死ぬワニは予定通り100日で死んだ。誰かの死がインターネットでこれほど話題になるのは、初めてなんじゃないだろうか

少なくともここ数年を振り返って、ワニよりも話題になった”死”を僕は思い出せない。素晴らしい女優である樹木希林の死も、偉大な宇宙物理学者であるスティーブン・ホーキングの死も、ワニの死みたいにタイムラインを独占することはなかった。

しかも、死んだだけでは終わらなかった。死んだ翌日からとんでもなく炎上し始めた。映画化だの、グッズ販売だの、ミュージックビデオだの、いきなり商業主義の匂いがプンプンしてきたから、ネット民の反感を大いに買ってしまった。「立つ鳥跡を濁さず」という言葉があるが、「死ぬワニ跡を濁しまくった」という感じがする。

自然と、Twitterでは誰かがこの炎上を「火葬」と呼び始めた。上手いこと言うもんだ。ワニが火葬されたら、とっても美味しいワニ肉になりそうだね。ワニは鶏肉に似ていて美味しいらしいから。


「死ぬまでに注目を集めまくる」→「死で多くの感動を呼ぶ」→「死の翌日には炎上する」という流れ自体が超面白い。コントみたいだ。前日まで「ワニくん死なないで😭」みたいなことを言ってた人が「これ電通のプロモーション企画だったの!?信じられない!?死ね!!」とか言い出す流れ、超面白い。ドイツの慣用句で「嘘泣き」のことを「ワニの涙」と表現するらしいが、「死なないで😭」の涙は二重の意味でワニの涙だったのだろう。


このコント的な一連の流れの面白さ、間違いなくインターネット事件史に爪痕を残したと言っていい。

僕も、このワニにまつわるエトセトラは、大いに楽しませてもらった。焼けたばかりのワニ 食べ 行こう と言わんばかりに。


今回のワニ騒動を見て思い出すのは、はあちゅう女史のMeToo騒動である。これも全く同じで、コントみたいな完成度の高い流れだった。

Webメディア上でセクハラを告発→大きな感動を呼び、ネットで絶賛される→翌日、「でもお前も童貞を死ぬほどイジめてたじゃん」と言われて炎上

こういうコント風のものが大好きなので、僕のインターネット史観だとこういった事件が殿堂入り扱いになる。今回のワニ火葬騒動も、MeTooやり返され女史騒動と全く同じランクで殿堂入りすることになった。


そういうことで、100日後に死ぬワニ、最後の流れまで含めて僕はとてもいいコンテンツだったと思う。

やりきった作者を大いに尊敬するし、これだけ大きなムーブメントを生み出した企画力も実に素晴らしい。ぜひ、作者はここからワニマネーを回収して欲しい。ワニ革の財布をパンパンにして欲しい。


ワニに怒ってるシバター氏の滑稽さ

とにかく、僕自身のワニに関する感想は「面白かったなぁ」なのだけれど、インターネットでは本気で怒ってる人が散見された。

「ワニくん死なないで😭」みたいなことを毎日言い続けてる偏差値14くらいのアカウント(大体プロフィール欄には「おいしいものが好き♡」みたいな情報量ゼロの文章が書いてある)が怒ってるのはインターネット平常運転なので何の問題もない。というか、こういう偏差値14くらいのアカウントがいてくれないとインターネットが成立しない。楽しい炎上騒動は、箸が転んでも怒る脊髄反射系アカウントのお陰で発生するのである。「枯れ木も山の賑わい」という言葉があるが、「偏差値14アカウントこそがネットの賑わい」なのである。僕はこういう人たちと一生関わり合いになりたくないが、偏差値14アカウントの皆さんはぜひこのままネットを賑わせておいて欲しい。


今回、偏差値14アカウントに限らず、インターネットで発信者として活動している人も結構怒っていた。YouTuberのシバター氏などはその一例だ。

この動画、特に新しい着眼点とか含蓄のある話とかは一切なく、

・電通のステマだった!!許せない!!
・作者は「友だちの死を踏まえてこの作品を描いてる」と言ってるけど、友だちの死もお金儲けの道具なのか!?
・全部薄っぺらく見えて、冷めました。

という、偏差値14アカウントが怒ってる内容をまとめてみましたみたいな内容である。独自の考察もなければ「これは電通案件だ」というネットの噂話に対する検証もない。単に偏差値14アカウントの言ってることをそのまま叫ぶインターネット拡声器をやっているだけである。

僕はこの動画を観て、この人アホで滑稽だなぁと思った。

皆が怒っているものに対して同じ角度から同じように怒るのは表現者の仕事ではない。それは拡声器の仕事である。


ということで、今日はシバター氏の悪口と、「表現者の仕事は何か」という話をしていく。その準備段階として、ワニよりもずっと注目されなかった、ある伝説の男の死について語りたい。


10年前に死んだ忌野清志郎

「話題になった著名人の死」を考える時に、いつも僕の頭によぎるのは忌野清志郎の死だ。彼が死んだ10年前、僕は高校生だった。

「ロックミュージシャンである忌野清志郎さんが亡くなりました」というニュースを見たとき、僕は「この派手なオッサン、誰?」としか思わなかった。

コメント 2020-03-23 114424

(画像引用元:毎日新聞Web

世代による無知というのは恐ろしい。僕は日本におけるザ・キング・オブ・ロックを知らなかったし、周りの同級生も知らなかった。僕は、彼の死を悲しむことができなかった。


その一週間後、忌野清志郎の告別式が行われた。当日はたくさんのファンが集まって彼の死を惜しんだ。そして、何人かの著名人が弔事を読んだ。

その中に、僕の心を掴んでやまない圧倒的な弔事があった。これだ。

【全文】忌野清志郎へ甲本ヒロトから送られた弔辞 「最高のロックンロールをありがとう」| logmi

僕ら世代にとってのカリスマロックシンガー、元ブルーハーツの甲本ヒロトが弔事を読んでいるのだ。

「へえ~、ヒロトが弔事を読んだんだ」という程度の軽いノリでこの弔事を聞いて、僕は一生忘れられないほどの感動を覚えた。ロックを誰より愛する甲本ヒロトから、ロックを誰より愛した忌野清志郎への、ロッカー同士の共感と愛に溢れた素晴らしい弔事だった。


えー、清志郎、あなたとの思い出に、ろくなものはございません。突然呼び出して、知らない歌を歌わせたり、なんだか吹きにくいキーのハーモニカを吹かせてみたり。レコーディングの作業中には、トンチンカンなアドバイスばっかり連発するもんで、レコーディングが滞り、そのたびにわれわれは、聞こえないふりをするのが必死でした。

弔事は、憎まれ口から始まる。歳は離れているものの、ロックを愛する2人は間違いなく友人で、いつも憎まれ口を叩きあっていた。最後までそのスタンスを崩さない、そんな弔事の入り口。


でも、今思えば、ぜんぶ冗談だったんだよな。今日も、「キヨシローどんな格好してた?」って知り合いに聞いたら、「ステージ衣装のままで寝転がってたよ」って言うもんだから、「そうか、じゃあ俺も革ジャン着ていくか」と思って着たら、なんか浮いてるし。清志郎の真似をすれば浮くのは当然で、でもあなたは、ステージの上はすごく似合ってたよ。ステージの上の人だったんだな

そして、革ジャンで葬式に来たら浮いてしまったという笑い話を挟みつつ、忌野清志郎は「ステージの上の人」だったという話につなげる。完璧な展開だと思う。

忌野清志郎は、社会に合わせる人ではなかった。他人のライブに度々乱入したし、音楽番組では放送禁止用語を度々使った。レコード会社だろうがマスメディアだろうが、誰を敵に回すことも辞さない、反体制の姿勢を生涯貫き通した。彼は徹頭徹尾ロッカーであり、社会では完全に”浮いている”人だった。

だけど、「ステージの上はすごく似合って」いたのだ。どれだけ問題を起こしても、告別式に無数のファンが押しかけるだけの人気を保ち続けた。そんな離れ業ができたのは、彼がまさに「ステージの上の人」だったからに他ならない。

忌野清志郎の告別式は14時までの予定だったが、実に4万人を超えるファンが押しかけるという異常事態が発生し、予定は何時間も延長した。全員の献花が終わったのは夜だったそうだ。「ステージの上の人」としての彼がいかに圧倒的だったか、よく分かる。


そして、甲本ヒロトの弔事は最高の弔事だ。僕の人生を通して、これを上回る弔事にはもう出会えないと思う。

わずか数分間の弔事に、忌野清志郎という存在がどれだけ大きなものだったかという事実と、あまりにも大きな愛が詰まっている。

甲本ヒロトらしい飄々とした語り口で、笑い話や憎まれ口やおかしみのあるエピソードをたっぷり含めながら、忌野清志郎という人間を鮮やかに描き出している。これほど素晴らしい弔事は他にない。

あなたもぜひ音声で聴いてみて欲しい。


忌野清志郎の死を悲しめなかったことを、寂しく思った

甲本ヒロトの弔事にあまりにも感動した高校生の僕はぶっ通しで弔事を4回聞き直し、そのまま忌野清志郎の曲をたくさん聴いた。(ヒロトが清志郎のライブにゲスト出演してハーモニカを吹く動画を観たときはグッと来てしまった。弔事に出てきた「吹きにくいキーのハーモニカ」はこれのことだろうか、と思いを馳せずにいられない)

そして、大いに感動した。彼の作る音楽も、生き方も、ライブパフォーマンスも、まさにキング・オブ・ロックだと思った。僕はなぜこの偉大なロックシンガーを知らなかったのだろう、と後悔せずにいられなかった。なぜ、彼の死をリアルタイムで悲しめなかったのだろう、と後悔せずにいられなかった。


100日後に死ぬワニは、死ぬ日が明示されていたから、たった数日で多くの注目を集めた。「たった100日後に死ぬ」というただ一点の要素がキャッチーだったから、ワニの存在とその遠くない死は、SNSで驚くほど拡散された。

忌野清志郎は、死ぬ1年前までは精力的にライブ活動をしていた。この時点で彼は「1年後に死ぬキヨシロー」だったのだ。だけど、「たった1年後に死ぬ」という要素は誰にも分からなかったから、キヨシローの存在とその遠くない死は、SNSで拡散されることはなかった。

高校生だった僕は忌野清志郎の存在を知らないまま1年間を過ごし、彼の死をきっかけにその偉大さを思い知った。「100日後に死ぬワニ」の本質的なすごさは、この「死をきっかけに知る」現象を生きている間に発生させるという、時系列の逆転を引き起こしていることにある。


「ユーモアのわからない人間が戦争を始めるんだ」

忌野清志郎が好きすぎてうっかり3000文字くらい忌野清志郎の死について書いてしまったので、そろそろ本題に入ろう。

忌野清志郎が生前に残した言葉で、こういうのがある。

ユーモアが大切なんだ。ユーモアのわからない人間が戦争を始めるんだ

瀕死の双六問屋』より引用

今回のような、インターネット騒動でやたら怒ってるしょうもない人を見る度に、僕はこの「ユーモアのわからない人間が戦争を始めるんだ」という言葉をよく思い出す。

たしかに、「電通案件だったなんてひどい!!余韻が台無し!!金儲け主義!!」と言っている人にはユーモアが足りていない。(それ以上に知性が足りていないという気もするのだけど、それは一旦置いておこう)


さて、忌野清志郎の言葉を信じるならば、ユーモアが分かる人間は戦争を始めない。では、ユーモアが分かる人間は何をするのだろうか。


これについて、もう一つ僕の大好きな漫画から引用したい。

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(漫画『べしゃり暮らし』10巻より引用)


漫才を題材にした漫画『べしゃり暮らし』の1コマだ。

主人公は、お笑いの養成所の同期にケンカを売られて、殴り合いのケンカをしてしまう。その時に養成所の教官たちに怒られて、この言葉が出てくる。

笑いで返せずすんませんでした

彼にとって「殴り合いのケンカをしたこと」よりも問題だったのは、「笑いで返せなかったこと」なのだ。

この1コマに、表現者とはどうあるべきかの答えがある。表現者がやるべき正しい振る舞いは「笑いで返すこと」だ。

とはいえ、必ずしも「笑い」に限定された話ではない。場合によってはそれは「悲しみ」なのかもしれないし、「驚き」なのかもしれない。何にせよ、世間の怒りに触れた時、表現者がやるべきことは「新しい感情を与える成果物」を作ることだ。世間の怒りを、作品に昇華しなければいけない。

ピカソが、世界で最初の空爆作戦に大きな怒りと悲しみを感じながら『ゲルニカ』を描いたように、表現者は自分なりのフィルターを通して、新しいものを作らねばならない。

「空爆は怖い」と皆が言っている中で、より大きな声で「空爆は怖い」というだけの人間は表現者ではない。それはただの拡声器だ。


僕は今回のシバター氏のしょうもない拡声器動画を見ながら、拡声器になることが表現であると誤認しないように気をつけよう、と改めて思った。

僕はおもしろ雑文みたいなものを書くことが多いので、『べしゃり暮らし』の主人公同様「笑いで返す」べき時が多い。

怒りを覚えた時も、誰でも言える怒りの声を拡声するのではなく、技巧を使い、教養を使い、「笑いで返」していきたい。インフルエンサーに腹が立った時も、「こいつウザい」とは言わず、「ショーペンハウアーの言葉を全力引用しながらディスる」みたいなことをやり続けていきたい。

いつでも、笑いで返せる人間でいたいと思う。ユーモアを忘れないようにしたい。ユーモアの分からない人間が戦争を始めるのだから。


「笑いで返」す正解と、シバター氏への悪口

以上、今日書きたかったメインの内容は終わりである。

残りは実例集にしたいと思う。今回のワニの件について、「笑いで返」すことができていた、いわば【正解】の対応をいくつか扱う。

あと、シバター氏のしょうもなさについても書き足りなかったので、もうちょっとだけ悪口を書こうと思う。

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