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[ショートショート]猫の手貸します

 ああ、忙しい、忙しい! 今日も頼子よりこは締め切りに追われている。
 新作のネームを切りながら別の原稿に下書きをし、その一方で更に別の原稿にペン入れしていかないと間に合わない。
 こんな事態になってしまうのも安請け合いしてしまう自分のせいだと分かってはいるのだけど、仕事が無いより全然マシ、そう思って引き受けてしまう。だってデビューした頃は本当に貧乏だったんだもの、あれと比べればこれくらいどうって事ないわ。
 でもこのままではパンクするのは目に見えている。
「あー! 猫の手でも借りたいっ!」
 アシスタント連中は慣れたもので、頼子が奇声を上げても、ちらりと見る程度で仕事を続けるのがつねだ。
 が、今日に限ってアシスタント達の手が止まった。
 何故ならそこに一頭の猫が現れたからだ。
 一体全体どこから入って来たのか、皆がかじり付く作業机の前をすいすいと通りぬけ、一直線に頼子のもとへ来てこう言うのだ。
「あなた、本当に猫の手借りたいんですかニャ? なら私が手配しましょうかニャ?」
 頼子は自分の頭がおかしくなってしまったのかと疑いつつも、思わず返事をしてしまった。
「え~、うちはデジタルで仕上げするのよ? 出来るの? それにあんまり給料《ギャラ》は払えないよ?」
 手配屋猫はしたり顔でうなずいた。
「日給は猫一頭当たりネコ缶三個、それに一日最低一時間は昼寝の時間が必要だニャ。デジタルでもアナログでも大丈夫、皆立派に技術を習得してますニャ」
 三秒だけ迷って頼子は決断した。決断の早さは頼子の長所である。
「じゃあ、明日から誰かよこしてくれる? 見ての通り締め切りが迫ってるの。ネコ缶用意しとくから!」
 所詮は猫の言う事なので全く当てにしてなかったのだが、明くる日、果たせるかな仕事場にアシスタントネコ――三毛猫だ――が現れたのである。
 猫がどうやって机で作業するのかと頼子は不思議に思っていたのだがアシスタントネコはほとんど人間と変わらない体格で、ちゃんと服まで着て、二本足で歩いている。
「驚いたわ。あなた本当に猫?」頼子が尋ねると、アシスタントネコは飄々ひょうひょうと答えた。
「そりゃそうだニャ。逆に聞くけどこんな人間居る?」
 確かにその通り。衣服から出ている腕や足は毛むくじゃら、猫以外の何者でもない顔付き。
 ただし普通の猫よりは断然大きい。虎やライオンのたぐいと言われればそう見えなくもない。しかし三毛の毛皮なので猛獣に間違われる心配は無いだろう。
 試しに仕上げをやってもらうと、器用にペンタブレットを操り、驚くほど早く正確な仕事ぶり、いつも来てくれるアシスタントなど及びも付かない。
 当人……いや当猫は「こう見えても美大卒だニャン」と胸を張る。
 頼子はこの新しいアシスタントをすっかり気に入り、受け入れた。
 かくして人間と猫による新たな製作体制は順調に船出したように見えた。が、その日のうちにアシスタント(人間)が一人辞めてしまった。
 猫アレルギーだと言うのだ。クシャミのし通しで全く仕事にならないのだった。
 すると再び手配屋猫がどこからともなく現れて、またアシスタントを連れてきてやろうか?と言う。
 頼子は躊躇ためらう事なく要請した。
 翌日出て来た二人目、いや二頭目のアシスタント(今度はキジトラだった)もまた腕利きで、頼子はすっかり感服してしまった。
 給料はネコ缶で済むし、仕事はどんどん片付くしで良い事尽くめ、たちまち頼子のネコへの信頼は人間のそれよりも厚くなってしまった。
 そうなると面白くないのが人間のアシスタントだ。次々に辞めていく。その度にネコが補充された。
 気付けば長年勤めてくれているチーフアシスタントの他は皆ネコになり、じきにそのチーフまでもが辞めてしまった。
 皆挨拶も無くメールを一本よこすだけで来なくなってしまったので頼子は憤慨した。人間よりネコの方がよっぽど良いわ!
 その通り、有能なアシスタントネコ達の力によって次々と作品は完成していった。頼子は仕事が速くて丁寧だと各社の編集の間でちょっとした評判になるほどだった。
 そんなある日、自宅に帰ろうとアトリエの戸締りをしていた頼子のもとに小さな動物が現れた。ろくに見もせず野良猫か何かかと思っていたら、驚いた事にその動物が話しかけてきたのだ。
「先生、私です。命からがら逃げてきたのです」
 何とそれは小さな人間だ。よくよく見ればチーフではないか。
「全て猫どもの陰謀だったんです。罠だったんです。あいつらは少しずつ浸透しながら人間と入れ替わって、地球を支配しようとしてます。どういう原理か分かりませんが、皆捕まって猫サイズに縮められてしまいました。先生も気を付けて……あっ
 残念ながらチーフの必死の訴えは一歩遅かった。
 頼子は後ろから伸びてきた毛むくじゃらの腕によって羽交い絞めにされ、そしてすぐに意識を失った。

*  *  *

 うららかな昼下がり、呼び鈴が鳴る。
「先生、打ち合わせにミャいりました~♪」編集者がアトリエにやってきたのだった。予定の時間ちょうどの来訪だ。
 並んだ作業机からアシスタントたちが一斉に会釈する。
 漫画家は手を止めて立ち上がり、応接用のソファに編集者をいざなった。
「今度のニャく品も大好評ですよ~♪ 次のネームもおニャがいしますね~♪」
 編集者の言葉に漫画家は微笑む。
「あ~あ、私もお前みたいにのんびりしたいニャ、ヨリコ」
 漫画家は冗談めかしてそう言いながら、ソファでまどろむヨリコを撫でたが、ヨリコは一度寝返りを打ったきり目覚める様子はない。
 何となれば、ヨリコは夢の中で漫画を描くのに忙しかったからなのだ。

<了>

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kengpong
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