[短編小説]チェルシー・詫間・宇高連絡線
初夏の、何もかも放り出して木陰ででも昼寝したくなるような陽気の週末だが、生憎出張が決まっていたのだ。
私は高松市に本社を構える計測器メーカーで技術者をしている。ありがたい事に我が社の製品は全国の工場や研究所などで使われ、営業マンと技術者が津々浦々を飛び回っている。その一人が私という訳だ。
今回の出張先は泉ノ崎市に広がる工業団地。その一画のとある工場への納品で来たのである。既にいくつも納入実績のあるお得意様だ。
納品と言ってもただ持って行くだけではなく、然るべき場所に設置して調整を行わなければならない。
製品を設置するラインを止められるのは土曜の午後から日曜の午前中までと先方から厳しく言い渡されている。となれば設置から調整まで泊りがけで行わなければならない。万一トラブルがあれば徹夜での作業になってしまう。若い頃なら張り切ってやったものだがこの歳になっては流石に辛い。
とは言え最近は若手の高橋君が同行してくれるので大変心強い。また、今回同じく一緒に来た営業の田中君も雑用を手伝ってくれて大いに助かった。
おかげで設置作業の方は大きな面倒事も起こらず、至って順調に終えられそうだ。残りの作業は無理せず明日の朝から再開しても大丈夫だろう。いつもこうなら良いのだが。
一段落して休憩に入ったところで上着に入れたままだった私の携帯電話が鳴っているのに気付き、慌てて出た。
妻からだった。出張中に電話をしてくるのは珍しい。
「ああ、パパ、出てくれて良かった。大変なんよ」電話から聞こえた妻の声は疲れているようだった。何事だろう。急激に気持ちが引き締まる。
「お義父さんがね、行方不明になってもうたんよ!」
「親父が?!」
話は数時間前に遡る。夕食の支度を済ませ、いつもの通り寝室に居る親父を清孝 ――私達の長男である―― に呼びに行かせたところ、清孝が血相を変えて戻ってきた。寝室は無人で親父の姿が見当たらない。
室内に書き置きなどは無くただ読みかけの新聞が床に広げたまま放置されているきりで、いつも履いている靴は消え、玄関の戸は半開きで放置されていた。
家の中はもちろん、よく行くご近所さんや店など思い付く限り探したのだが全く見付からず途方に暮れているのだという。
妻は何度も私に電話してくれていたのだが、私がうっかりしていて着信に気付けなかった。今日に限って何とも間が悪い。
「今、清孝が探しに出てくれとるんよ。裕香はちょうど旦那さんの実家に行っとって……」
裕香は清孝と同じく私達の子供で、清孝の姉である。既に結婚して家を出ている。まだ小さな子、つまり私と妻にとっての孫が居るので捜索に加わるのは難しいだろう。
「お義父さん、最近大分ボケてきょったやんか。事故にでも遭うてたらどうしょう……」妻の声は震えていた。
「きっと大丈夫だよ、とにかく落ち着いて。出来るだけ早く帰るよ」
通話中は努めて平静さを保ったが、電話を切って天を仰いだ。
遂にこの日が来てしまったか。
去年お袋が死んでから親父はめっきり老け込んでしまったのだ。物忘れがひどくなり、自室に隠り勝ちになった。新聞の天気予報欄を何時間もじっと見つめていた事もあった。
最近では清孝の事を私の名で呼ぶ。あまつさえお菓子を買い与えようとさえする――清孝はもう大学生だというのに。親父には小さな頃の私のように見えているのかもしれない。
流石にここまでボケてきてしまっては医者や介護が必要だろうと思ってはいたのだ。が、本人が医者にかかるのを嫌がり家から出る事すらも渋るので中々上手く行かず、ずるずるとやり過ごして来た矢先の事だ。後悔先に立たず……か。それにしたって選りに選って出張中に事件が起きる事はないだろう。こんなに遠く離れてしまっていては何もできないではないか。
とにかく帰らねば。
一緒に休んでいた田中君と高橋君に相談した。
「それはえらいね、はよいんだ方がええと思うよ大西君。お父さん結構トシだけんね」
「そうっスよ。後は調整だけなんで俺と田中さんだけでだんないっス」
何ともありがたい。今回は甘えさせてもらおう。
ところが新幹線の時刻表を調べてみると、これからどんなに急いで駅に向かったとしても最終に間に合わない事が判明した。現実は無慈悲である。仕方なく明日朝一番の新幹線に乗る事として宿のベッドに潜り込んだが興奮しているのか目が冴えて寝付けない。
そのまま碌に眠れぬうちに朝を迎えた。朝食も摂らずにチェックアウトし、タクシーを呼んで新幹線の駅がある小田原まで飛ばしてもらった。
当然ながら田中君と高橋君はまだ休んでいるので声はかけられない。駅までの移動の間に携帯電話にメールを入れて謝意を伝えた。二人には今度昼メシでも奢ってやらねばな。
幸いにして朝一番六時過ぎの新幹線に乗る事が叶った。広島行きのひかりだ。岡山まで乗り換えなしで行ける。上手く乗り継ぎ出来れば岡山から1時間ほどで帰れる筈だ。
ホームに入ってきたひかりに乗り込み、座席に着くとすぐに窓の外が後ろに流れ始めた。こうなればひとまず岡山までやる事が無い。
焦燥感で一杯の頭を紛らわそうとノートパソコンを開き、今書く必要のない作業報告書を書こうとしたが全く手に付かない。
ふと思い立ってカバンから飴を取り出し口に放り込んだ。口中に広がる甘い味と香りに少しだけ肩の力が抜けた気がした。
* * *
親父はさほど裕福でもない農家の四男坊として、県西部の詫間村に生まれた。
旧制の青年学校を卒業後、高松に出て国鉄へ就職し、宇高連絡船に配属された事から船乗りとしての人生を歩み始めたのだった。
宇高連絡船はその名が示す通り瀬戸内海を挟んだ宇野駅と高松駅を結ぶ定期船だ。親父はその乗組員として一心に勤め、そのうちにお袋と知り合い高松に家庭を持った。
やがて国鉄はJRに変わり、じきに宇高連絡船は廃止された。
親父は連絡線の廃止後も同じ宇野-高松間航路のフェリーの乗組員として数年勤めた後引退し、高松から生まれ故郷に引っ込んだのであった。その頃には詫間村は詫間町となっていた。
親父とお袋は概ね健やかに人生を送ったが中々子宝に恵まれなかった。そんな中ようやく授かったのが私で、歳をとってから授かった上一人息子となったためか、親父は随分と私を可愛がってくれた。
特に親父は戦中戦後の物のない時代に育ったせいか、頻りに私にお菓子の類を買い与えてくれた。特にその頃売られていた "チェルシー" という飴をよく土産に買ってきたものだ。
「孝三、チェルシー買うてきたぞ」帰宅して真っ先にそう言う親父の姿を憶えている。
親父の思い出話も良く聞かされた。子供の頃、農作業の手伝いをさせられた事。昼間農作業して夜に学校へ通った事。昔の高松の様子や高松で田舎物扱いされた事。そして連絡船同士が衝突した恐ろしい事故の事……。
その事故で親父の乗っていた船は瀬戸内海に沈んだ。辛くも自身は助かったものの、百何十人もの乗客が犠牲になったという。
沈む船内から聞こえた悲鳴が耳にこびりついているのだと親父は語った。その時の親父はどこか遠くを見るかのようだったのが印象に残っている。
その後私は東京の大学に進学し、今も勤めるこの会社に就職を決めて高松に戻ってきた。
妻と結婚して裕香が生まれた後も暫くは高松市内で暮らしていたのだが、その後清孝が生まれたのと、ちょうど私の所属する工場が西讃へ移転するのを機に両親の住む詫間町への移住を思い立ったのだ。
幸い妻と両親は仲が良く、双方快く同意してくれた。
あれからもう二十年近く経つ。
* * *
岡山で下車し、時計を見ると9時を回っていた。
走り出した新幹線を横目にホームを歩きながら妻に電話した。すると驚きの報せが待っていた。
何と高松で親父が見付かったという。思わずその場に立ち止まって聞き返してしまった。が、やはり聞き間違いなどではないのだ。
どういう訳か高松沖で漂流していた遊覧船で救助されたというのである。それだけではなく、親父と共に清孝もその遊覧船から救助されたらしいと聞いてさらに驚いた。
妻にとっても青天の霹靂で、まさについ最前警察から連絡を受けた所であり、今から迎えにいこうと支度をしていた矢先なのであった。
それならば私も真直ぐ高松に向かう事にしよう。瀬戸大橋を渡る直通の快速で1時間ほどだ。
私を乗せた快速電車は岡山の市街地を抜け、田畑の間を、山間部を、そしてトンネルを通り抜けて瀬戸大橋へ入った。窓の外には瀬戸内の海と島々を臨む開けた景色が広がっている。
流れる柱越しに見える瀬戸内海には霧がかかっている。この時間にこの様子では、早い時間にはもっと霧が濃かったのではないだろうか。そんな霧の中で遊覧船が運航するだろうか。
いや、そもそも遊覧船がそんな時間に営業しているとは考えにくい。それなのに、どうして親父と清孝は遊覧船に乗って海に出られたのだろう。
まったく分からない事だらけだが、本人に確認してみるより他はあるまい。親父は難しいかもしれないが、清孝ならきちんと説明してくれるだろう。
高松駅で妻と合流し、一緒に警察署に向かった。
担当してくれた警察官の話によると、早朝に親父が高松港を回る遊覧船に忍び込んで、勝手に船を出したようだ。
清孝は友人から親父が高松に向かったという情報を得たらしい。それを基に高松まで出向き、親父を見付ける事が出来はしたものの、結局船を出すのは止められなかったという。
親父も年老いたとは言え元は海の男だ。対する清孝は心優しくどちらかと言えば運動は苦手で体力もあまり無い。力尽くで止める事は叶わなかったのだろう。それに例え親父を押さえ込めたとしても船の操縦方法が分からないのではどうする事もできまい。
おまけに当の遊覧船は不調を抱えていて近く整備に出す予定だったそうで、運悪く海の真ん中で完全に故障して漂流していたところを救助されたという訳なのだった。
それから家に帰るまでは、もうとにかく目まぐるしくて細かい事はまるで思い出せない。憶えている事は色々な人達に夫婦揃ってただただ頭を下げた事だけだ。
ようやく帰宅すると、親父はケロリとした様子で自室に入ってしまった。
清孝の方もまた親父同様すぐに自室に入り、ショックが大きかったのかそのまま閉じ篭ってしまった。
私は居間のソファに座り、妻がお茶を入れてくれている様子をぼんやりと眺めた。
と、玄関から聞き慣れた声が響いた。
「ただいま! お祖父ちゃん大変やったね! 無事で良かった!」裕香が息子の明裕を連れてやってきたのだった。妻は明裕をあやしながら、裕香に経緯を説明し始めた。
明裕は最近ようやく歩けるようになったのを妻に見せたくて仕方ないらしい。よちよち歩いては妻の拍手をもらってご満悦の様子だ。そんな様子を見ていると何だかようやくホッとできた気がした。
それにしても親父は何故急に海に出る事を思い立ったのだろうか。若い頃の事故の記憶が今朝の濃霧で蘇ったとでもいうのか。
親父の許へ赴き改めて訊ねてみたが、当の本人はポカンとした顔をするきりで何も聞き出す事は出来なかった。徘徊した事も、ましてや船を出した事もまるで覚えていない様子だ。
親父は明裕に気付くと、私を後に残し、いささかおぼつかない足取りで居間へ行ってしまった。その様子を見る限り、とても一人で高松まで行って自ら船を出したとは信じ難い。
親父の後を追って廊下に出ると、清孝が自室のドアから顔を出して親父を見ているのに気付いた。清孝は何か言いたげな顔をしていたが、結局何も言わずにまた自室に引っ込んでしまった。
* * *
カーテンの隙間から朝日が射す。摩りガラスの窓が白く光る。小鳥の声が聞こえる。
小鳥の声に混じって枕元で鳴り響いたスマホの着信音で清孝は目覚めた。
見るとメッセージが届いている。中学時代の友人からだ。
昨日祖父を探した際、祖父の手がかりや心当たりが無いか、友人達へばら撒くようにメッセージを送ったのだ。彼はそのうちの一人だった。
メッセージアプリを開いて一瞬我が目を疑った。
――今バイトで駅前まで来たとこだけど
――お前のじいちゃん駅におったぞ
――ホームで電車待っとるのが見えた
――高松方面
彼は以前家に遊びに来て祖父とも会った事がある。ほぼ間違いないだろう。
慌てて布団から出て服を着た。母はまだ寝ているようだし、電車が出る前に祖父を捕まえられるかもしれない。そう考え一人で家を飛び出し全力で自転車を漕いで駅に向かった。
が、無情にも電車は高松へ向かって発車してしまった後だった。
時刻表を見ると、数分後に特急が来る事が分かった。特急なら、祖父が乗ったと思しき普通列車を追い越して高松に先回り出来るだろう。
もちろん祖父が高松まで行くという確たる根拠は無かったのだが、清孝は祖父が宇高連絡船の乗組員として高松で長く働いていたのは知っていたし、認知症で徘徊するのは昔の記憶や習慣が基になっているという話を何かで見聞きしてはいたので、高松へ向かう事を決めたのだった。
ただ不味い事にスマホを家に忘れてきた。一旦家に帰ろうか迷ったが、折り悪くそこへ特急が来てしまった。
祖父を連れ戻すのが優先だ、後で公衆電話からででも連絡すればいい、乗ってしまおう。
後にして思えば、この時は慌てていて冷静な判断が出来ていなかったのは否めない。が、それは後知恵というものである。
清孝にはそれしか選ぶ事が出来なかった。それこそ運命付けられたものだったのかもしれない。
四十分ほどの後、清孝は高松駅にいた。
高松駅の構内は意外と混雑しており、祖父が乗っていると思しき列車のホームを調べて移動するのには思ったよりも時間がかかった。
当該のホームに移動した時には既に客車は空っぽで、折り返しの乗客を待つばかりだった。遅かったか。ホームから改札口に走る。すると改札口の向こうを歩いていく祖父らしき人影が見えた。
駅から出てしまったら捕まえる事は難しくなるだろう。何とか追いつかねば。他の乗客を避けながら出来る限り全力で走り、改札口を通り抜けた。が、駅舎内に祖父の姿は既に無い。外に出て駅前広場を見回してもみたがそれらしき人影はやはり見当たらない。
幾ら若い頃は船乗りで鳴らしたとは言え、今では大分衰えている筈なのに信じられないほどの早足だ。
そこで清孝は祖父が連絡船の乗組員だった事を思い出した。そうだ、高松港に向かったかもしれない。
辺りを見回しながら、歩く人々をかわしながら、清孝は港へ向けて走った。
埠頭が見えてくると、海が真白な霧に包まれているのが目に入った。向こうにある筈のフェリーターミナルも白くぼんやりとしか見えない。相当な濃霧だ。フェリーターミナルの手前には高松港周辺を回る観光遊覧船の乗り場があり、桟橋に遊覧船が停泊している。この霧では運休になるかもしれない。
と、遊覧船の乗り場に人影が見えた。もしやと思い見てみると、やはり祖父だ。どうした事か鍵が閉まっている筈の入口のフェンスの向こう側にいて、桟橋に向かって歩いている。警備員や係員の類はどこにも見当たらない。何をしてるんだ! 清孝は苛立ちながら乗り場へ急いだ。
入口に着いてみると、フェンスは老朽化していて隅の方が破れているのが分かった。どうやらここから忍び込んだらしい。見回してもやはり誰も居らず、仕方なく清孝も侵入する事にした。背に腹は代えられまい。そうしてる内に祖父は桟橋に停泊している遊覧船の前を行ったり来たりした挙句、そこに架けっ放しのタラップを渡って船の中に入っていってしまった。
「いけん! 祖父ちゃん!」
清孝は桟橋を走りながら叫んだ。がその声は真白な霧に吸い込まれていくばかりだ。
ようやくタラップの辺りまで駆け付けたところで突如遊覧船のエンジンが動き始めた。
もしや祖父が遊覧船を動かしているのか? とんでもない事になる、何とか止めなくては! 清孝はそのままの勢いで桟橋から遊覧船まで、揺れるタラップの上を一気に駆け抜けた。
こんなに走ったのは高校の体育祭の時以来だ。たまらず遊覧船の床に這い蹲った。息が切れて身体が動こうとしない。吐き気がこみ上げてきた。運動不足だな……。
這うように操舵室を探した。探しているうちに徐々に疲労は回復してきた。
ようやく辿り着いた操舵室のドアの向こうに清孝が見たのはしゃっきりと腰を伸ばして舵を切る祖父の姿だった。その表情はいつも見慣れた好々爺然としたものではない。
「祖父ちゃん、何んしよんな!」清孝は操舵室に飛び込み祖父に詰め寄った。「はよいのう!」
清孝の姿を見て少し驚いた様子は見せたものの、祖父は正面に向き直ってそこから動こうとしない。
「祖父ちゃん、いのう! 大変な事やぞ! 港に戻ってや!」
しかし祖父はまっすぐ前を見て操船し続け、清孝の呼び掛けに応じる素振りもない。
やがて落ち着いた声で諭すように話し始めた。
「孝三、わがの都合に付き合せてもうてほんに済まん。この霧な、あん時の霧とすっかり同じなんじゃ。後生じゃきんちょっとこま堪えてつか。
わがの事はわがで分かっりょる。行かにゃならんのじゃ」
祖父の迫力に清孝はすっかり気圧されてしまった。最近の、あのすっかりボケてしまった姿とはまるで違う。この海にかかっている霧は全て祖父の頭の中から排出されたもので、その為に祖父の頭がはっきりしたのではないだろうかとさえ思えた。
そうしている間にも二人を乗せた遊覧船は沖に向かって進んでいる。
清孝は肩を落とした。考えてみれば例え力尽くで祖父を押さえ込んだとしても操船の仕方が分からないのでは船を港に戻す術がないではないか。祖父が引き返す気になるまではどうにもならない。諦めざるを得なかった。
数分後、遊覧船は瀬戸内海の真只中に居た。船の周りは真白な霧に囲われ、狭い範囲の海面しか見えない。
清孝はレーダーの画面を見てみた。あまりよく分からないがこの辺りを航行しているのはこの遊覧船だけのようだ。
「……ここいらじゃ」
祖父はスクリューを停止し、窓の外を見ながら手元のレバーを引いた。
ボォーッ!
汽笛が大きな音を立てた。その音は白い霧の中に吸い込まれ何の反響も木霊も無い。
祖父はそれから数秒待ってまたレバーを引いた。汽笛がまた大きな音を立てた。そのまま数秒間汽笛を鳴らすとレバーを戻し、また数秒の後に鳴らす。
どうも一定の周期で鳴らしているらしい。周囲に船など居ない筈なのに何故汽笛を鳴らすのだろう。
祖父に訳を訊ねようとした途端、今まで凪いでいたはずの海が突然波打ち、それと共に遊覧船は大きく揺れだした。
「来ょった!」祖父が叫んだ。「まちがいない、"あいつ" じゃ!」
「あいつ……?」
清孝の疑問は祖父の回答を待つまでもなく解消した。一面霧のかかった窓の外、遊覧船の正面に大きな影が浮かんでいたからだ。思わず息を飲んだ。
「……あれが、"あいつ" なん?」
祖父は無言で頷く。
この海域で待ち合わせでもしていたのだろうか。それにしてもずいぶん不恰好で歪な形をした船だ。
突然相手が低く野太く大きな音を発した。それはさっきまで祖父が鳴らしていた汽笛の音に似ていたがずっと大音量だ。思わず耳を塞いだ。
再度無言で頷いた祖父は再び先ほどと同様のリズムで汽笛を何度か鳴らした。
すると向こうはそれに応えるかのようにまた大きな音を発する。
祖父はふいにその場を離れると、操舵室を出て船舷に設置された整備用の梯子をするすると上っていった。
清孝も後を追って梯子に取り付いたが、高さは数メートル程度なのに揺れる船内ではなかなか思い通りに上れない。ようやく梯子の上端まで上りきると、そこは客室を覆う屋根の上だった。
見回すと辺りは一面霧に覆われて景色は何も見えず灰白色の幕に覆われているかのようだ。そして屋根の上を船首の方向へ歩いていく祖父の姿が見えた。
屋根はつるつるして全体に丸みを帯びている上に霧で濡れている。船自体も揺れているので足元は不安定だ。清孝も後を追おうと屋根に上がってはみたものの同じ様に歩く事などとても出来ず、それどころかうっかりすると海に落ちてしまいそうで梯子に戻るしかなかった。
ところが一方の祖父はと言えば、まるで現役の船乗りに戻ったかのように事も無げに屋根の上を歩いていく。やがて屋根の突端に到達し、あの大きな影に対峙した。
と、影がおもむろに伸び上がるように変形した。
清孝は気が付いた。あれは船ではないのだと。
生き物だ。巨大な生き物なのだ、"あいつ" は!
少なくとも鯨と同じくらいか、それ以上の大きさはある。頭は大きく、首はそれほど長くは無さそうだ。鱗に覆われて背中には鰭や棘のようなものがあるようだが霧に包まれてよく見えない。
そんな "あいつ" は屋根の上に立つ親父に向かって首を伸ばし、大音声を発した。それは確かにさっき聞こえたあの汽笛に似た大きな音だ。
「聞いてつかあさい!」
祖父は怯まず、負けじと大声を出して "あいつ"に向かって叫んだ。
「お前さんの子供はもう居らんのじゃ! 連絡船にぶつかって死んじまったんじゃ!」
"あいつ" はまるで祖父の言葉に聞き入るように、黙って祖父を見つめていた。"あいつ" の鼻息の音が霧に反射するように響いて聞こえてきた。
「……わしらが死なせてしもうたんじゃ……済まなんだ。この通りじゃ! 勘弁してつかあさい!」祖父は深々と頭を下げた。
「子供を亡くしょった哀しみ、わしには痛いほど分かる。だきん、霧が出る度に彷徨っきょるお前さんが不憫でならんのじゃ! もう安らかに海の底に戻ってつかあさい!」
祖父の言葉が分かったのだろうか。答えるように "あいつ" は海面から一層伸び上がり大きな声で叫んだ。――まるで悲しみ、怒り、苦しみを思わせる響きだ―― そう清孝には思えた。
やがてもう堪えられないと言うかのように "あいつ" は前足を海面に叩き付けた。さらに頭を振って鳴き声を上げ、全身で海面を叩いた。その度に大きな波が立ち、船は大きく揺れた。
祖父は揺れる屋根の上を各所の突起にすがりながらようやく清孝の待つ梯子まで帰ってきた。そのまま二人で梯子を下り、慌てて操舵室に戻った。
が、大波の衝撃の所為か、操舵室の電源は失われていた。遊覧船はその場を離れる事も出来ず、まるで木の葉のように波に揉まれ、為すがままに翻弄された。
清孝と祖父は操舵室の隅に身を寄せ合って床に座り込んだ。そんな中、祖父は誰に言うでもなく小声で切れ切れに言葉を発した。
……船長達は長い事あの航路を行き来しとるきん知っとったんじゃ……あの辺りに霧が出ると時々 "あいつら" が顔を出っしょるんじゃ……だきんあの日出て来たんはこんまい子供での……仔猫と同じですぐじゃれつっきょる……おまけに汽笛と同じような声で鳴っきょるんじゃ……しまいには船の前に急に出てきょったきん慌てて進路を変えよったらその先に別の連絡船が出てきてしもうて……遊び相手が二つになって喜んだのか、それともじゃれつこうとしょったんか、海から船の間にあの子が顔を出っしょったんじゃ……どちらも勢いがついた千トン越えの船じゃ……じょんならん……そうそう止まれるもんとちゃう……あの子は船に挟まれて……わしらの船は横倒しになって沈んでもうて……わしゃ海に投げ出されてあの子の近くに流さりょったんじゃ……あの子はもう死んどって……じき沈んでっきょった……それ以来ずっと霧が出よる度に "あいつ" が……あの子のお袋さんがあの子を探っしょるんじゃ……見てられのうて詫間に引っ込んだきんど忘れられるもんとちゃう……もうお終いにしてやらんと可哀相じゃきん……きっと分かってくれたはずじゃ……きっと分かってくれたはずじゃ……きっと……
祖父の言葉は次第に不明瞭になっていった。それに合わせるかのように、霧が晴れていき、徐々に日の光が操舵室にも射してきた。
気付けばいつの間にか波は収まり、"あいつ" は姿を消していた。そして祖父は元の調子に ――昨日までと同じ典型的な認知症の老人に―― 戻っていた。
* * *
「孝三、腹へっとらんか? チェルシー食べまい。それともピッピか?」
裕香がその様を見て呆れるように言う。
「もう、お祖父ちゃん明裕の事までお父さんの名前で呼ぶようになってもうて。遊びに来る度にチェルシーあげようとするし」
「チェルシーなんて今時売ってないだろう?」
私の言葉に裕香は不思議そうな顔で答えた。
「売っとるよ? おかげで買い物に行くとチェルシーをねだるようになってもうてね、明裕」
「そうなのか。もう無いと思ってたなあ」
「お祖父ちゃんな、キオスクにチェルシー買いに行くってしょっちゅう言うとったきん、お母さんが買い置きしてたんよ。お父さん知らんかった?」
ふいに子供の頃の記憶が蘇った。
そういえば一度だけ親父の乗務する宇高連絡船にお袋と乗った事があった。
その時親父がオヤツを買ってやると連れて行かれたキオスクにチェルシーがあり、テレビコマーシャルで記憶にあったそれをねだって買ってもらったのだ。
もしかしたら初めてねだったのがこの時だったかもしれない。
――そうだ、折につけチェルシーを買ってくるようになったのはあれからではないか……?
「お父さん、どうしたん?」
「いや、なんでもない」私は裕香に背を向けた。涙がこぼれそうになったからだ。
親父は相変わらず明裕に私の名を呼びかけ続けていた。
<了>