スキコム編集長のひとりごと:メディアとしての地域アート
Katsurao Collectiveのスタッフとしてポッドキャストやテキスト記事を発信している「スキコム」に関する、ひとりごとシリーズ。個人の発信であり、所属組織の意見を代表するものではありません。
葛尾村がどのように世の中に発見されるのか、そのきっかけをつくるのが、アーティスト・イン・レジデンスで滞在するアーティストの重要な役割であり、一方でその行為には危うさもある、という趣旨のお話が印象的でした。
葛尾村という地域は一般的にはあまり知られていないと思うのですが、私自身の立場から思うところとしては、やはり《復興》だとか、《移住定住》、《賑わいの再生》、《若者の活躍》あたりの文脈で取り上げられることが非常に多いように感じています。しかしながら、《復興》と言わなくなることが《復興》なのではないかと思う部分もあり、マスメディアやSNSではピックアップされない側面を丁寧にみていくことは、地域について考えるうえで非常に重要なことだと思います。
以前、あるイベントレポートの記事を読んで、こんなことをFacebookに投稿したことがありました。
視聴率も上がらないし、SNSでもバズらない、そういう情報を得られる環境は、いまや個人が主体的に取りに行かなければ掴めないものになっているように思います。年長世代はテレビを、若年世代はSNSやショート動画を無目的にぼーっと観てしまい、なんとなくそこにある価値観を内面化してしまっている……いろいろな場面でそんなことを感じる今日この頃です。
必ずしも一瞬でわかるものではないけれど、これまで自分の中になかった視点がインストールされる。これが、地域アートがもたらす鑑賞体験の、重要な意義のひとつなのではないかと思います。
私がかつて従事していた観光産業でも、人様が人生を賭けてやっていることをわかりやすい物語にして、それを旅行商品化・パッケージ化して消費していくみたいな構造が、少なからずありました。マスメディアやSNSが全て悪くて、実際に身体を移動させて現地に赴くから全てよいというわけではありません。行ってみてはじめてわかることもあるし、行ってみて迷惑がられることもある。
観光もアートも、マスメディアやSNSと同じように媒介=メディアだと捉えると、その枠組みの中でいかに誠実に、リスペクトをもって土地や人とコミュニケートするかが肝心なのだと思います。そういうのって、傍から見ていても伝わりますよね……。ほんと。