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好き嫌いは自分で決めてない
先日の記事でも触れたんですが、
最近僕は、
「自分」
についてよく考えています。
僕自身という意味での「自分」というより、
自分の意志ってなんだろう?
自由意志って?
自分が決めてることってある?
みたいな感じです。
いわゆる「無我」に気づき始めたというか。
今日はそれの根底になっている考えの一つについて
ちょっと書いてみたいと思います。
僕は昔から、
「好き嫌いって自分の意志で決めたわけじゃないんだから、あってもしょうがないじゃん」
っていう考えがずっとあったんですよ。
例えば僕、
食べ物の好き嫌いがまーまーあるんです。
基本的にジャンクなのが好き。
揚げ物とか肉系とかラーメンとか、
スイーツとかお菓子とか。
で、野菜全般をそれほど好まない。
特に「きゅうり」は苦手で、
においだけでもウェってなる。
だから、外で食事をする時に
困ることが多かったわけです。
例えば、
学校での給食はもちろん、
修学旅行やら合宿やらで
「残さず全部食べなさい!」
なんて言われた日にゃ地獄でした。
「おいしい」より「苦しい」の方が多い。
「好き嫌いがあるのは良くない!」
「好き嫌いをなくそう!」
みたいな雰囲気出してくるけどさ、
つか好き嫌いって、
僕のせいじゃないよね?
だって嫌いなものって
僕が決めたんじゃないもん。
「私、今日からきゅうりを嫌いになります!」
なんて自分で決めたわけじゃないし、
そのように自分でプログラムしたわけでも
コントロールしたわけでもない。
なぜかそうなってたわけです。
そりゃね、こちらといたしましても、
全部おいしくいただけるなら
それに越したことはないんですよ。
どんな食材でもどんな料理でも全て
「おいしい!」と思って食べられたら
どんなに幸せなことか。
だからこそ、好き嫌いをなくそうと
それなりの努力もしてきました。
嫌だろうがなんだろうが、
残さず食べろと言われれば食べましたし、
食べ続けてればいつかは味に慣れるだろう。
新鮮なものや良いものを食べれば印象が変わって好きになれるかもしれない。
調理法を研究すれば・・・
などなど、
克服するために色々とやってみました。
それでも、嫌いなもんは嫌いなんです。
どうしても「おいしい」とは思えないんです。
嫌いだった食材の中には、
食わず嫌いだったものを挑戦して
食べられるようになったり、
苦手だった印象が変わったら
おいしいと思えるようになったものも
多少はありましたよ。
でも、「きゅうり」はそうならなかった。
何をやっても。どう頑張っても。
「好き嫌いをなくせ」とか言うならさ、
絶対好きになれる方法教えてよ。
って思ってました。
でも、そこまでちゃんと教えてくれる人
誰もいないんですよね。
食べ物に限らず、
好きとか嫌いとか感じるものは、
自分で意識的に「そうなろう」って
決めたわけじゃないんですよね。
勝手にそうなってたんです。
なぜかそう感じちゃうんです。
それに、
嫌いだったものが好きになることもあるけど、
どんなに頑張ってもならないこともある。
「絶対好きになれる方法」
なんて誰も知らない。
すなわち、
完璧なコントロールなんて誰にもできない
ってことです。
「好き嫌いは良くない!」
「屁理屈を言うな!」
「甘えだ!」
みたいな風潮にさらされると、つい
「自分が悪いのかな…」
なんて思ってしまいそうですが、
そんなことは全くないわけです。
気合とか努力とか根性とか勇気とか覚悟とか
そーゆーもんじゃない。
ただただ、
「しょうがない」
んですよ。
そんな考え方が、
なぜか昔からずっとありました。
誰に教えられたわけでもないのに。
そこから、
「自分のコントロールではない」
というのが、
いろ~んなことにあてはまるのではないか!?
と最近は思っているのであります。
今日もありがとうございました!
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