新しい音楽はもう要らないのか〜BABY BABY/銀杏BOYZの話〜
オードリーのANNにて若林が言ってた。自粛期間で何か映画を見ようと思うけど結局バックトューザフューチャー見て新しいもの見ない。という話
僕もバックトューザフューチャーは好きだ。中1だったか、、中2だったか、、沖縄で土曜の昼からやってたロードショーにて三部作をやってた回を録画したVHSを何回も見た。(のちにエンタの神様を上書す)
ただそんな話をしたいわけじゃない。今更捻くれバンドマンのうろ覚えバックトューザフューチャー論に誰が興味持つのか?
問題はそこじゃない。「何度も味わったものをまた何度も味わい、新しいものを取り込まない」という点
僕もそうだ。全然というわけではないが徐々に新しい音楽を取り込もうとしなくなってる。
これは一応バンドマン、音楽を作るクリエイターとしては深刻な問題である。頭ではわかってる。新しいものをどんどんインプットするべきなのである。だがなぜだか、しんどい、また何度も何度も同じものを聴いてはインプットする。
この問題はきっと今までの記事より共感してくれる人は多いはず。
かつて僕は新しく聴く音楽に非常に貪欲だった。大学時代なんて特にそう。ただ知る、情報として取り込むだけじゃダメだと思い、自分なりに味が分かるまでテイスティング、味見を繰り返した。そして自分にとってこの音楽はどうなのか、、、納得いく結論が自分の中で出るまでその音楽について徹底的に考察するのである。
その反動、、、なのか、、、時の流れでどんどんその気力は薄れる(そもそも音楽を聴く総時間自体が大分少なくなったということも原因としては挙げられるが、、)
今や新しい音楽を取り込むことは非常に少ない。音楽を聴くのは所謂「昔好きだった音楽」ばかりである。
ただここで問題なのが「何度も何度も味わったものがまだちゃんと味がする」ということである。
何度も聴いた曲を繰り返し聴くのは理由がさまざまある
ただ何となく聴きたくなった 懐かしい気持ちに浸りたい 曲作りの際、「あの曲のあのリズム、あのコードどんなの使ってるんだっけ?あーそんな感じか、、じゃあこういうアプローチで」と参考にしたい 前にも感じた嫌な感情を以前消すことに成功したあの曲を聴いてまた救って欲しい、、、、
とにかく新しく聴く音楽なんかより「信頼と実績」が違うのである。
僕は「その音楽と長年連れ添ってきた気持ち、歴史」
それが愛しく
またそれを確認する為に
音楽を聴く。
僕と音楽はそんな付き合い方を続けてきたのかもしれない。
表題の「BABY BABY」という曲。
高校生の頃何度聴いたか分からない。
当然大学時代、そしてここ数年ももちろんそういった「過去の精算」として聴き続けた曲。
ついこの間の話。
ベランダにてほろ酔い。
上記曲再生
「何で素直で美しい曲なんだろう、、、」
何度も何度も聴いた曲なのに、、、
まだこんなに濃いめでマシマシな味がしたのである。
銀杏のBABY BABY ゴイステのBABY BABY
交互に聴きながら高校時代の何気ない会話や、その時感じた新しい音楽への衝撃、あーこんなことモヤモヤしてたなーという気持ちが言葉で具現化せずダイレクトに感情として甦る。
音楽は思い出の保管場所だ。
写真にはその時期の瞬間が残る。
でもその時聞いてた音楽にはその時期の感情が具現化されずそのまま保管されるんだ。
わがままを言えば
僕の作る曲も
誰かにとって
そういう自分自身の気持ちの保管場所になれたら本望だ
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