「明日のたりないふたり」がまるで映画のようでドキュメンタリーのようで結局漫才だった

12年前、「人前に立つ人というのは根拠のない確信を持っているもの」「絶対的な自信を持ってないとやっていけない」というようなベンチャー起業家的な精神論がまるでどんな人でも100%正しいという理念が今よりも蔓延していたように思う。(全然今もそんな人いますが)

そんな中、いわゆる「根拠のない自信」など持ってなく、毎日毎日ウジウジ悩んでしまう自分は、そんな気持ちになれないとどんな世界でも成功しないのではないか?という閉塞感に駆られていた。

ずっとこの2人が僕の救いだった。
この2人が面白いなんてわざわざ説明不要なのだが、僕は2人の「確信なんてないがお笑いが好きだから悩みながら進んでる」というスタイルに共鳴して、ずーっと指針にしてきた。
そんな2人のユニット「たりないふたり」が解散ライブをしたのを見たという話。


約2時間。くっついては離れ、またくっついては離れてを繰り返してきたおじさんたちがセンターマイクの前で漫才、、、というテイでお互いのこれまでの軌跡を讃え合って、時には愚痴をこぼして、最終的にはこれからも変わらないであろうお互いの友情を確かめ合って終劇。

この作品を「映画」として捉えるなら、僕は今まで見てきた映画の中で一番良かったと言える。

ただ、これは作り物ではない。
いわゆる映画とは違うドキュメンタリーだ。

ここまで来るまでのテレビ番組のたりないふたり
二年前のさよならたりないふたりのライブ
特番のたりないふたり春夏秋冬

そして間にあるお互いのラジオ、、、。

お互いがお互いのことを「自分にないものを持っている天才」と思っているはずなのに、ねじ曲がった性格同士の2人のコミュニケーションはお互いを正面に感じてしまうとどっか上手くいかないようで、交差する様が滑稽で今までとても楽しませてもらった。

ただ、ここ最近はこの不安定な2人の関係も最後の漫才というプレッシャーのせいか、いよいよ不穏な空気が流れてた。

きっとそんな空気を感じて心配しながら観てた2人のリスナーも少なくないと思う。
ただ、最終的にはその右往曲折もズバッと漫才としての作品に落とし込むことができていた。感動した。結局この2人はお笑い怪獣であり、全てを集約してくれた。

そういうことでこれはいわば不器用な天才2人の友情ドキュメンタリー。


と、いうわけでもない、、、。


たくさん遠回りしたがこれはお笑いであり「漫才」だった。
2人のことを追いかけて追いかけてきた僕が
映画だのドキュメンタリーだのと、そう錯覚させてしまうのだ。

2人はあくまで終始見てる僕らを笑わせようとしていた。
これまでの2人を追ってきたバックボーン、お互いに対しての言葉の重み、あくまで「見てる僕らが勝手に」感動してしまってるんだ。


2時間、笑いながら、大号泣していた。
こんなぐちゃぐちゃになれたのはきっと僕が2人を追い続けたからだ。
「三軍コミュニティのエース」2人の魂のぶつかりあい、、、。
この村以外の人たちにはわからないだろうし
そこに優越感もない。
こっそり見つからずに号泣させてもらった。

2人を追い続けて良かった。
これからもずっとこっそり憧れ続ける。
そんな同じ気持ちを持った人が数万人もいたという事実も分かった。

確信なんて無くていい。
これからも僕もこっそり磨いた竹槍一本で
全てを乗り越えて行こう。


あーーーーー
たりなくてよかったーーーーー!



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