尾張名古屋は城で持つ
美術史の講義で狩野派のことを学んだ際、実際に見たことある名古屋城の本丸御殿にある狩野探幽の障壁画が出て来た。
名古屋城(筆者撮影)
https://photos.app.goo.gl/DMLBZUB8pVWNvCfb6
ところで「尾張名古屋は城で持つ」には前段があり「伊勢は津で持つ津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ」というのが一般的に流布ているように思う。実際に「伊勢音頭」ではそうなっている。
一方、江戸時代の俗謡では「伊勢は津で持つ津は伊勢で持つ、尾張名古屋は新城 (しんしろ)で持つ」となっていて、こちらが正しいようだ。新城は家康の天下普請の一環で新しく築城された名古屋城のことだろう。
これには更に元ネタがあり、加藤清正が名古屋城の石垣を築いた際、「石は釣って持つ、釣って持つ石は、尾張名古屋は城で持つ」と石垣にする石を船で釣り運んだ情景を詠んだと謂われてるそうだ。
名古屋城は終戦の年、昭和20年の5月に空襲で焼失した。もう少しで江戸時代に造られた勇姿を残せるところだったので残念。🏯
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