欧州に幻想を抱かせた千夜一夜物語
ある本に「千夜一夜物語(アラビアンナイト)は多くの人が読んでいると思うが、全部を読んだことがある人は少ないであろう」と書いてあった。かくいう私もそうである。大抵の人は少年、少女時代に児童向けの本を読んでいると思う。当然ながら抜粋であり神話や物語につきものの性的描写はカットされている。
実は数年前、全訳を読もうと思いバートン版の第1巻を購入したが、文庫版の文字が小さくて数ページ読んだところで早々に断念。その後、ブックオフで売り払い沙汰止みとなった。(AMAZONで買ったので手元に届いてから字の小ささが判明)。
今回の背景は、中央ユーラシア史の本を読んでいたら、シンドバード(シンドバッド)は「インドの風」という意味で、紅海・ペルシャ湾~インド・東南アジアを舞台に海上交易で活躍した中東商人(所謂「海のシルクロード」で活躍した商人)の群像に託して命名されたと書いてあったからである。
調べたところ、以下のことが分かった。
1. 元は2百数十の話しかなかった。『千の(夜の)物語』が原型か?中国と同様に千は沢山という意味?
2. 日本でも人気のある以下は元のものとは本来関係がなかった。
(1)シンドバード航海記
(2)アリババと40人の盗賊
(3)アラジンと魔法のランプ
(アラビア語の資料すら見つかっていない)
(4)空飛ぶ絨毯
3. 少し細かくなるが、想定されている成立経緯は以下のとおり
(1)元の話はペルシャ、インド、ギリシアからもたらされたもの
(2)9世紀頃、アッバース朝バグダッドで2百数十の物語の原型が出来た
(3)モンゴルが中東を蹂躙しことでカイロに物語の継続地が移り数が
増えた。
(4)アラブ社会・イスラム社会ではその後忘れられた
(規律の厳しいイスラム社会に不適だからか?)
(5)1704年(ルイ14世の時代)にフランス人ガランが写本を手に入れ
『千一 夜』という翻訳本を出す(写本は282夜の物語しかない)。
彼は実際に千一の物語があったはずだという思い込みがあり、先に別の
ものから翻訳したシンドバードを入れた。
(6)他の欧州各国で訳され爆発的な人気を得る。英語版で『アラビア
ナイト・エンタテインメント』と命名されたのがアラビアンナイトと
なった所以。エロチックなものがあることから、通常版=大人向けと
少年少女版に分化していく
経緯はさておき、重要なことは、欧州に広まった時期はイスラム社会の脅威/優位性がなくなった頃で、アラビア世界に対するあらぬ幻想・差別意識及び植民地化意識醸成に寄与したという負の遺産の側面を持つと言われている。
日本で読めるものとして以下のものが主なもの(ガラン版もあるが省略)。自分で読んでいる訳ではないので、参考図書による解説を見てコメントを
付記。
<レイン版(英語)>
自分がつまらないと思ったものや性的表現のあるものをカット
<バートン版(英語)>
性的なものを誇張しすぎているのではと言われている
<マドリュス版(仏語)>
性的な誇張はバートン版と同じである。創作も入れている。3つの中で
一番面白い?
補足1:
物語の起点となるシャルリヤール王とシェヘラザードの舞台はササン朝ペルシャである。
ペルシャはアーリア人の国でアラビアでもアラブ人でもない。この頃はイスラム教も成立していない。
補足2:
アラジンは本にはちゃんと中国人と書いてある。英国の挿絵を見ると清朝の風俗のようで、本来時代は合わない(酷いものは中国・インド・日本(江戸時代)が混ざったような絵もある)。ディズニー映画でアラジンを見た英国の少年少女は、中国人のはずなのにターバンを巻いているので面食らったそうだ。
補足3:
船乗りシンドバード(聞き手は荷担ぎシンドバード)は色々な物語があるが、少なくともスマトラ当たりまで商売で航海したイスラム商人の話が反映されていると想定される。
補足4:
アッバース朝が築いたバグダッドは円形の城壁をもつ秀麗な都市であった。モンゴル軍により完璧に破壊された。現在のバグダッドは何の遺産も引継いでいないと言ってよい。
補足5:
ポルトガルのバスコ・ダ・ガマが喜望峰を回りインドのカリカットに着いたというインド航路発見は、①バルトロメウ・ディアスが先に希望峰ルートを開拓、②東アフリカからインドまではイスラム商人が開拓した航路が利用できた、という観点で違和感がある。ガマが苦労したのは確かであるにせよ
発見はおかしい(イスラムの水先案内人を雇ったという説と脅して水先案内をさせたという説がある)。
英国で絵本作家として有名なクレインのアラジン。
(参考文献)
国立民族学博物館・特別展図録(2004)『アラビアンナイト博物館』
東方出版
西尾哲夫(2021)『図説アラビアンナイト』河出書房新社
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