インドのトリヴィア(その2)
PDFでも読めるようリンクを付けておく。https://drive.google.com/file/d/1U-BbcAdFLSpW5Cfh8BJkSflMTefKGBXR/view?usp=sharing
「その1」は柔らかめの事柄だったが、「その2」は少し固い、歴史的(学術的?)なそれが多いかも知れない(悪しからず)。
1.インダス文明
「世界四大文明」という用語は今使われていないと以前書いたが、そもそもこの用語は中国と日本でしか使われていなかった(中国は今でも使用?)。四大文明と嘗て言われていたもの以外にも古代文明が幾つかあるからで、世界的には特に四大文明を区別する考え方は一度もなかった。
この用語は中国起源説と日本発生説がある。日本では「大和政権=騎馬民族征服王朝説」で有名な江上波夫氏の創造だとか?
さてインダス文明であるが、担い手ははっきりしないがドラヴィダ人ではないかと推察されている。何故滅亡したかは幾つかの説があるが定説無し。従来考えられていたアーリア人による征服説は棄却されている。つい最近、パキスタンで国土の1/3が水没したのは記憶に新しいところ(インダス川は93%がパキスタン領内を流れる)。
2.アーリア人と印欧語族
添付の図を参照。
https://drive.google.com/file/d/11mRJ-ljEpGnkMtbQ8Tx8UTX23co6Gw1L/view?usp=sharing
注1:有名なウクライナ平原のスキタイ人は中央アジアに居たサカ人と分化(同根)と考えられている。スキタイはギリシア人が付けた呼び名
注2:オセット人はロシア、アゼルバイジャン、ジョージアの紛争地域となっている南北オセチアの語源
バラモン教を創ったのはインド・アーリア人である。アーリア人の元々の宗教は一意には定まらない?ものの、ゾロアスター教の元になったものと考えられる。従って、バラモン教の「ヴェーダ」とゾロアスター教の経典「アヴェスター」に多くの共通点があるそうだ(当然読んでいない)。ゾロアスター教の開祖と言われるスピマータ・ザラスシュトラはイラン・アーリア人である。
インドから外れるが歴史上、アーリア人の王国(帝国)であることを明確に打ち出した最初の国はササーン朝ぺルシアである。因みにイランという国名は「アーリア民族の王国」の意(蛇足:アケメネス朝ペルシアは正しくはハカーマニュシュ朝ペルシアである)。
3.カースト制度と釈迦
世界史の教科書にインドに入ったアーリア人が以下の階級制度を作ったと記載されている。多くの人は知っているだろう。但し、スードラの下の不可触民は書いてない。
・バラモン:司祭階級
・クシャトリア:王族、武士階級
・バイシャ:平民、農工商階級
・スードラ:隷属民(先住民のドラヴィダ人?)
(・不可触民)
これはヴァルナ制(ヴァルナとは(肌の?)「色」という意味)でありカースト制のことではない。カーストはポルトガル語で「血統」を表す語「カスタ」から来ている。これは今の世界史教科書にも記載されている。
インドの身分制度をカースト制というのは誤りである、ヴァルナ・ジャーティ制というのが正しい。ジャーティは職業・地縁・血縁などで繋がる排他的な社会集団・共同単位のこと。
インドの社会制度を理解するにはインドの研究者かインドに血縁を持つ人でないと理解は凡そ困難だと思う。
釈迦がコーサラ国の王族のシャーキヤ族から取った漢語であるのはよく知られるところ。また、本名はガウタマ・シッダールタと言われるのも同様。王族なのでアーリア人のクシャトリアであることは間違いないと考える。一方、「ガウタマ」はバラモン階級の人が名乗るものと言われる。よって、「ガウタマ」が本名か怪しいという説がある。
釈迦の肌の色がどうだったかよく話題になるが詮索しても無駄である。南部インドのように黒くはなかったが西欧のように白くもなかったと思われる。イラン人を想像すればいい。
4.玄奘三蔵とインド
大唐西域記でお馴染みの三蔵法師こと玄奘三蔵(本名は陳褘)。インドを漢語で「印度」と書いた初出は玄奘の書物のようである。つまり「印度」の名付け親ということになる。
西域に行ったのは仏教を極め聖典を持帰るのが目的であったが、インドに入ったのは西に大回りをしてヒンドゥークシュ山脈(アフガニスタン(一部はパキスタン)の山脈)越えである。つまり、西北インドに入り東北インド(ナーランダー僧院)まで行っている。今から考えると随分遠回りをしたものだと思う(西北インド~東北インドまでの北インドは、当時はヴァルダナ朝)。
蛇足ながら、ゴダイゴの♪ガンダーラ♫という歌の中で「ガンダーラはインドにあったと人は
言う」という歌詞がある。ガンダーラは現在のパキスタン西北のペシャワールである。古代に王国があったとされるが、インドではない。また、ガンダーラが黄金時代を迎え、仏教・仏教芸術(ガンダーラ美術/ペシャワール美術)が隆盛したのはクシャーナ朝の時代である(カニシカ王で有名)。クシャーナ朝の創設は大月氏とイラン系土着有力者という説があり、大月氏はイラン系という説とテュルク系(突厥・トルコ系)説がある。何れにせよインド人=インド・アーリア人の王朝ではない。インドはバラモン教→ヒンドゥー教が主流で仏教は少数派であった(現在もそうである)。
オマケ1:
コロンブスの誤解により北アメリカ大陸の先住民をインディアン(英語)南アメリカ大陸の先住民をインディオという(スペイン・ポルトガル語)と呼ぶようになったが、インディオは蔑称のようで、現在はインディヘナというのが妥当らしい。
オマケ2:
ヒットラーが自分達アーリア人の優位性を主張したのはトンデモ説であると先般書いた。これはヒットラー独自のものとは必ずしも言えない。欧州人には、文明発祥地メソポタミア、一神教=ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教、更にアルファベットの元になっているフェニキア文字は全てセム語族(アフロ・アジア諸語に属す)が創ったもの、また、ルネサンスはセム語族であるアラビア人のお陰というコンプレックスがあったのではないか、逆に言えば、セム語族は古い文明を担ったが、その後より優秀な欧州人が新しい文明を切り開いたという主張が根底にあるという考えがある。ヒットラーが虐殺したのはセム語族の末裔のユダヤ人。排他的集団を作るので古代ローマよりユダヤ人は嫌われていた。グリム童話でもそうである。
オマケ3:
現在、日経の朝刊の最終面で「エトルリア人の想い」というエトルリア美術の連載がある。
エトルリア人と言えば塩野七生さんの『ローマ人の物語』の初期で出て来るので知っている人も多いであろう。エトルリア語は印欧語でなく孤立語だったと言われている。古代ローマと一体化したのでもう使う人はいない。