差別的表現と文芸
本は基本的に1日(悪くても2日以内)で読むことにしている。そうするようになった契機はよく覚えていないが、地球物理学の世界的な権威(且つ受験参考書も執筆)であり、映画の「日本沈没」にも出ていた&科学雑誌Newtonの創始者でもあった故竹内均博士の影響もあったと思う。竹内先生曰く「本は一気に読まないと駄目ですよ。高校の物理などダラダラやるから習う端から忘れるので理解ができない。1日でやれば十分位だ」。高校物理を1日
とは私のようなに凡人には及びもつかないが、一般書籍(専門書は除く、小説類以外も含む)ではそうだと思った。分かり安い例を挙げれば推理小説やジェイクスピアの戯曲を考えればいいと思う。もっとも流石に大著(目途は500~600ページ以上だろうか)でそうはいかないものがある。
それ以外の例外としては、電車で座っている時にでも読める短編集、読切り集がある。池波正太郎の『剣客商売』『鬼平犯科帳』『仕事人藤枝梅安』は皆、この方式だった。ところで鬼平犯科帳などの末尾に以下のような表現があるのを見たことある人もいるだろう。
「 差別 的 表現 と 受け取ら れ かね ない 表現 が 使用 さ れ て いる 場合 も あり ます が、 作品 の 書か れ た 当時 の 事情 を 考慮 し、 できる 限り 原文 の 通り に し て あり ます。 差別 的 意図 が ない こと を ご 理解 下さい ます よう お願い 申し上げ ます。」
どこがそれ当たるのか分からないことが多いのはさておき、また、差別反対に異論ないが、文芸作品というものは時代を反映しているものだから余り小うるさく言わなくてもいいのはないかと思う(差別に過剰に反応する人への対応であろうか?)。
そこで思い起こすのが「ちび黒サンボ」(The Story of Little Black Sambo)である。元々は英国人が書いたものだが、アメリカで(勝手に)改変されたものが出て、日本でもアメリカ版の訳本が沢山出ていた。しかしアメリカで人種差別的であるという話から始まり1988年に絶版となった(本屋からも回収)。日本人(大抵は子供)が読んで差別的意識を持つものだろうか。私にはトラ達が木の回りをぐるぐる回ってバターとなり、それで焼いたパンケーキが美味しそうだという記憶しか無い。
これが差別ならグリム童話にユダヤ人差別が出てくるし、『ドリトル先生』にも黒人差別的な箇所もあり、『赤毛のアン』の作者モンゴメリーも人種差別者と言われている。日本の童話/昔話にもそういうところが多分あるはず。因みにアガサ・クリスティの『そして誰も居なくなった』の原題は『Ten Little Niggers』だった(私が日本語版を読んだ時もそう書いてあったと思う)が、1940年にアメリカ版が出版された際に『And Then There Were None』に変更されたようだ。原題の侭なら英米で問題視されていたであろう。
文芸作品(含む童話、昔話)にまで差別に過剰に反応するいいことかどうか疑問に思う次第である(極論すれば差別的表現を含めて文芸作品のような気がする)。但し、黒人問題が大きい米国や欧州では子供の教育上不適切なものを除去すべきという考えは理解できる。尚、『ちび黒サンボ』は現在復刊されている。(了)