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no. 10 高校生活(前編)

1クラスの人数が中学校の1学年を超える

 さて,無事に高校に合格した私の生活が始まった.一クラスの人数は40人となり,中学時代の一学年38人からの爆発的増加に多少面食らった気もする.私は1年4組に振り分けられ,担任にはI澤先生という方がついた.この先生がかなり変わっており語尾が「〜ん」なのである.例えば「今日は,みんなで避難訓練するん!」「先生は土日に琵琶湖の周りを走ってるん!」といった具合である.他の教師たちが「昔はもっと普通だった」というあたり何かあったのだろうが,闇が深そうなので聞くのはやめておいた.さて私が振り分けられた1年4組だが,このクラスには妙に優秀な学生が集まっていた.ある先生がテスト返却の際に「まぁ テスト返すけど,4組さんには点の悪い人がいないからね」と言っていたほどである.学期の中盤くらいになって聞いた話だと,実は入試においてかなり良い点数を取った人が集中したクラスだったようだ.とにかく,そんなクラスに配属されたものだから,色々と面食らうこともあった.習ったことのないはずの高校の授業内容をすでに把握している学生が多いのである.どうやらクラスの大多数が高校受験に向けて塾に通っていたらしく,そこで高校の内容を少し習ってしまうとのことだ.例えば,高校入試の数学で出される二次方程式は通常,二乗根などを含まない形で解が求められる.因数分解して解くというのが一般的な求解セオリーである.ところが,一部の学生はすでに二次方程式の解の公式を教え込まれている,という具合だ.解の公式程度なら私の中学でも実は紹介程度は行われていたのだが,とにかくそんな例がボロボロと出てきたものだから,都会の教育意識の高さに面食らったものである.I内くんの「うちの塾の先生は頭おかしいから,有機・無機化学全部やった」というのがいちばんの衝撃だっただろうか.ただ,このI内は若干話を盛るきらいがあるので素直には信用できない.そもそも「全部」の意味がわからない.で,この数学で私は挫折することになる.

数学でつまずく,投入するのは根性

 高一の一学期の数学ではひたすら計算問題を解かされたのだが,これが分からなかった.今思うとあんなものがどうして解けなかったのか全く分からないが,とにかく当時の私はこのただの計算問題を心底苦手としていたのである.一学期の中間や期末の点数が50点代だったので,勉強にいきなり暗雲が立ち込めてしまった.こういう困難に当たった際の私の行動はもう決まっており,またど根性でひたすら問題を解きまくるといういつもの勉強法での状況打開を目指した.しばらく解いているとコツをつかみ,先の計算問題程度は楽に解けるようになった.成績も二学期には回復していたと思う.このがむしゃらにやるスタイルは一見しんどいのだが,高校という新しい空間に放り込まれても成立してしまったあたり,やはり私には合っていたのだと思う.そのほかの科目については,実はあまり苦労していなかった.英語や理科,古典などは特に得意だったように思う.私の通っていた高校では成績をA―Hまでの8段階で40人ずつに分けていたのだが,一年生の間はずっとAを保っていた.一年生の間というのはその後BやCに成績が落ちたという意味ではなく,二年生からは文理が分かれるので単に順位で示されるようになる,ということだ.

Wくんはオトナ

 さて,高校に入ってすぐは出席番号順の席順となるが,私の後ろに座っていたのはW君という学生だった.このW君の存在は,それなりの進学校である私の高校において異色であった.身長は168 cmと小柄な方なのだが,異様にムキムキなのである.そして妙に喧嘩が強く,中学時代はナイフを持った同級生を素手で負かしたなどのエピソードを持っていた.高校に入ってからも,いきなり顔に怪我をして登校してきたかと思うと「昨日三人に絡まれたから返り討ちにしてやったよ〜」などと言い出したりする.彼曰く,腕時計をナックルとして使い,関節技を決めるのがコツだそうである.また,ある日を境に急に高校に来なくなることがあった.久々に登校してきたW君に話を聞いてみると「富山に住む彼女のところに行ってきた」というのだ.W君は親の都合で中学の途中から滋賀に引っ越してきており,交際中の彼女が富山と滋賀に一人ずついるとのことだった.要は二股である.とにかくそんな人に出会ったこともなかったので,私は興味をそそられると共に少し怖いような感覚を覚えた.だが,私がW君と仲良くなるのにそれほど時間はかからなかった.W君は大のFF10好きで,その話題が出た途端に一瞬で意気投合したのである.結局,W君とは3年間ずっと同じクラスのまま卒業まで過ごすことになる.

I内の半分は優しさでできている(自称)

 ついでに,一度話に出たI内のことにも触れておこうと思う.I内は身長180 cmを超える大柄な男で,バスケ部に所属していた.頭も比較的よく,テストの点も高かったと思う.ただ,自己アピールが独特で鼻につくのが面白いのだ.数学などのテストが返却されると,大声で「うわー,また三角ばっかりだ.しょうもないミスばっかりだ!バツは一つもない!」みたいなことを聞いてもいないのに大声で言い出すのである.このイタさに本人はどうやら気づいていないのだが,正直みんなかなり呆れていた.I内はなんと,こんなことを3年間ずっと続けていたのである.そういえば高校の卒業後に会った際に「〇〇大会の得点王です!」とまた聞いてもいないことを大声で話していたと思う.また,「I内だいすけ(本名)の半分は優しさでできている!」などと言っていた記憶もある.まさか体の半分がアセチルサリチル酸でできた人間がいるとは知らなかったので驚いたものだ.驚いたものだ.

文化祭で大事なのは空気を壊さないこと(by ニーチェ)

 そういえば私の高校は,文化祭シーズンになると授業がなくなるという特殊な文化を持っていた.進学校には珍しいと思うのだが,毎年文化祭に労力を全振りする期間が来るのである.この文化祭は,文化的な出し物と運動会の競技の合計点をクラス対抗で争うような形式だったと思う.私はというと,文化祭のようなものに本気を出すなんて,というスカしたポーズがかっこいいと思っているたちである.なので,最初はそれほど乗り気でない感じを装うのだが,その内に流されて結構真面目にやってしまうというという感じでこの期間を過ごしていたと思う.一年生時のオブジェ作りで実は手先が器用だということがバレ,二年生時は演劇の大道具,三年生時は団旗製作の役をもらってしまった.正直にいうと,何が楽しくて他のクラスと競い合っているのかは分からなかった.しかし,そういうのに燃える人たちがいることも十分理解していたので,文化祭で必要な物を作ったり絵を描いたりという自分なりの楽しみ方をしていたと思う.ただ,こういう時に教師が妙に感情移入しているのを見るとなぜか冷めてしまっていたと思う.クラス対抗で勝てなかったことに対してメッセージを述べるクラスリーダーの言葉に涙ぐんでいる先生には正直言って引いた.もちろん,闇が深いうちのI澤担任はノーリアクションである.自分の闇深さを隠すためにこういう場面では茶化さないのだ.ますます闇が深いん.

合格実績0だけど君たちは京大に入れる(?)

 上記の文化祭の話を書くと忘れそうになるが,私の通っていた高校は学区で二番と言われる進学校であった.当然,一年生の時から進路についての話題がたびたび出ており,学年集会などのたびに先生方からのありがたいお言葉を頂戴した.ここでもやはりというか,平均点の低い教科の先生は前に出てきて怒り出していたと思う.ここまでで私が学んだことであるが,先生方の多くは勉強方法の具体的なアドバイスをすっ飛ばして感情を爆発させてしまうようなのである.ところで,我々の学年の学年主任には,体育教師のOG先生が就いていた.この先生は,特に理由なくずっと怒鳴っていた気がする.あくびでもしている生徒を見つけてしまうととりあえず怒鳴り,気に入らないと体育教官室に連れ込んでその中でまた大声で怒鳴り散らすといった具合にとにかく大声で威嚇するのである.「なんやその顔は!」と言ってある学生を体育教官室に連れ込んだ話を聞いた時は正気を疑ったものである.高校を卒業してから私なりにつけた解釈なのだが,おそらくあまり対話が得意ではないのだと思う.思い通りにならないと大声を出すというのは,非行に走った若者などにはよく見られる行為である.普通は頭を使って対話の方向に持っていくようになるのだろうが,この先生は恵まれた体格と大声を使って簡単に切り抜ける方法を見つけてしまっていたのだと思う.結局,このOG先生は学年主任という立場でことあるごとに前に出てきて話すのだが,特に受験において全くアテにならなかった.
 さて,話を進路に戻したいと思う.最初の学年集会でのことだったと思うのだが,そこで配られた紙に過年度生も含めた直近5年分程度の進学実績が記されていた.そこには京大0の文字があり,神大,阪大には1とか2という数字が並んでいたと思う.そう,私の高校には浪人生も含めて京大に受かる人などいなかったのである.あるとき,どういうわけか別の体育教師が学年全員の前に出て話をする流れになった.そこでその先生が言われたことは「良い大学かどうかは知りませんが,君たちは京大に入る能力を持っていますよ」だったと思う.このTN先生という方は体育教師然としていたのだが,ノリがよく面白い方であった.TN先生の忘れられないセリフとして「俺のはマグナムだ」がある.何かはあえて聞と思う.というか,進学実績を見ていないのであろうか.TN先生の忘れられないセリフとして「俺のはマグナムだ」がある.何かはあえて聞かないで欲しい.

ハナミズキ

 進路の件でもう一つ印象深い事件があった.ある日の学年集会で,これまで見たこともない先生がマイクを持って前で話し始めたのである.話の本筋は,大学の選び方だったと思う.その時,先生が話の最初で述べられたセリフを私の記憶から呼び起こし,そのまま書いてみようと思う.

「私は先日,一青窈 さんの『ハナミズキ』を聞いて感動しました.『君と好きな人が100年続きますように』.これは,大学選びにもいえます.『皆さんと選んだ大学が100年続きますように』.賢い大学だからとかそういう理由でなく,自分に合った大学を選んで欲しいです.・・・こんな大事な話をしている時に,そんなザワザワして人の話も聞けないなんて,君たちは自分の進路をきちんと選べるのか!」

もはやどこから突っ込んで良いかわからないが,嘘みたいな本当の話である.言いたいことはわかるが,「一青窈」とか「ハナミズキ」とか「100年続きますように」が明らかに邪魔である.「自分に合った大学を選びましょう!」で済む話なのだ.生徒がザワつくのも無理のない話だと思う.
 こういう話をする先生に共通して聞いてみたいのは「その話,そのまま保護者の前でもできますか?」である.私は,この先生が生徒をナメているのだと感じているわけだ.ただ,話の内容が間違っているかと問われれば,もちろん100%正しい.自分と相性が最高で100年続く大学を選ぶことができれば,それは素晴らしいことだろう.だが,そんなものは現実的ではない.もう少し真面目に突っ込むと,大学が広報を通して外部に出す情報には,その大学の良い面が多分に含まれるように調整されている.実際に中で行われるのは勉強だったり単位数との睨み合いだったり,場合によっては希望する領域外を志望せざるを得ない就職活動だったりする.100年続くとかおかしなことを言わず,同系統の一番難しい大学から難易度順に縦に並べ,自分の学力と折り合いがつく範囲を絞って狙いを定めるのが良い,と私は思う.非常に残念なことに,この先生は私が高2の時に他校へ栄転された.
 大人になってから学んだことであるが,世の中には当たり前のことを恥ずかしげもなく主張している人が意外と多い.例えば大学院進学を考えている25歳の女性に対しては「結婚,出産の機会を逃すかもしれないからやめたら?」というものと「学ぶ自由は平等なのだから好きに決めたら良い」という2通りのアドバイスの方向性があるだろう.言わずもがな,前者は辛口かつ若干無神経で,後者は女性の背中を押しているように思う.しかし,私には前者の意見の方が貴重で,後者は当たり前の言わば大前提で,小学生でも言えてしまうように思えるのだ.また,後者の方が無責任で,前者の方がより踏み込んだ責任の伴う助言のように思える.こういった視点でものを見てみると,耳障りばかりがよく意外と役に立たない意見が蔓延っていることに気づいて面白い.話題に登った先生も,おそらくこの状態に陥っていたのであろう.

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