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no. 16 自伝小説 あとがき
※忙しい人は,タイトルと太字だけ読めば大体OK!
自伝小説という形でお送りした筆者ひさかわの半生を振り返る連載も,前回の第15回で一応の区切りとなりました.ここまでお付き合いいただいた皆様に,改めてお礼申し上げます.なにぶん素人ですので読みづらいところも多かったと思うのですが,楽しんだり参考にしたり,時には共感などしていただける瞬間がありましたら幸いです.
今回はあとがきという形で,いつもとはテイストを変えて丁寧語スタイルで,執筆後記のようなものを書いていきたいと思います.要はまとめと今後の展望的なものですね.
自伝小説を書いたキッカケはパワハラ
自伝小説を書いたことには,一応きっかけがあります.20歳で2年の宅浪を終え京大に受かった私は,どこかでこの体験がレアで,場合によっては人の役に立つかもしれないという思いを持ったまま過ごしていました.ただ,人から聞かれた際に口で説明することはあっても,何かの文章にまとめてどこかに公開するようなことはしたことがありませんでした.それくらいには,大学生活とその後の大学院生活が忙しかったのです.ただ,この宅浪を経て自分は鋼の精神を手に入れたと思っていました.なのですが,数年前に仕事でうまくいかないと感じることがあり,少し病んでしまったのです.詳しくは書きませんが,上司である教授がフラッと部屋に来て「あなたは家族に対して無責任」「外に女がいるに違いない」「あれ(私の論文)は役に立たない」「あなたに熱力・流体は絶対に無理」などハラスメントチックな言葉をかけつつダラダラと2時間以上も話していくという日が続いていたのです.で,鋼の心を手に入れたはずの筆者は,この攻撃に耐えきれなかったらしく適応障害を発症してしまったらしいのです.正確には適応障害の診断書を出してもらったわけではなく,心配した私の妻が心療内科の医師に私の症状を伝え,「それは適応障害」「診断書と薬を出すことはできる」「職場環境を変えないと治らない」との言葉を受けたということです.
不思議だったのは,どうしてこの程度のことで自分の心が折れかけたのか,ということでした.当時私はとある大学の助教で任期の定めもなく,年収も650万円ほどありました.教授から何か言われたからといって失職につながるという訳ではなく,ず太く65歳まで助教を貫くこともできるわけです.また,結婚して2年と少し経ち,子供も生まれてすぐでした.それに比べて,宅浪時は年収0〜数万円,この先どうなるかも全くわからない,身分すらない状況でした.どう考えても宅浪していた2年の経験から比べれば,教授のその程度の言葉はハナクソ以下のはずだったのに病んでしまった,というわけです.そこで,色々と考えを巡らせた結果,あれほど辛かった2年の宅浪生活の記憶を自分が失い始めていることに気づいたのです.このことに気付いたことで,自伝小説を執筆することが頭をよぎり始めました.そうなると宅浪の2年間だけをまとめれば良さそうなものですが,宅浪を語る上で必要なエピソードに,それ単独では説明できない事項が色々と出てきたのです.中一の時に英語で苦労し勉強法を自分で開発したなぁ,最初に机に向かうきっかけは小6の漢字テストで12点を取ってやばいと思ったことだったなぁ,幼稚園でサンタなんかいないと言って先生を困らせたなぁ・・・と,変人エピソードがいっぱい出てきました.ということで,可能な限り昔の記憶,つまり1歳10ヶ月と2日の記憶をスタートにして,宅浪が終わるまでを小説にしようと決めたのでした.幸い,イベントとしての各記憶はかなり鮮明に残っていたのも大きかったです.
色々と書きましたが,きっかけは教授のパワハラだったということですね.
自伝小説の執筆が今の自分を形作るものを発見・再認識させてくれる
上記のようにネガティブなきっかけで自伝小説を書くことにしたのですが,いざ始めてみると記憶が濁流のように押し寄せてきてあっという間に文章が増えていきました.幼少期のエピソードなど思い出せるか不安でしたが,美化したり抜けている部分を補ったりすることもなく,順当に記憶を辿って書くことができました.この「美化しない」という部分は,今回の作業で決めていたことの一つです.当時の思いをできるだけ飾りつけたりせずそのまま吐き出すように,今の年齢の言葉選びをしよう,といえば良いでしょうか.格好をつけたり人間性を隠したりせず書いたつもりです.ただ,それだけだと偏りができるので,客観的な視点での注釈のような文章も入れる用に心がけました.自伝小説なのに当時の状況分析などがいきなり始まってしまうのは,この視点を補う作業だと思ってください.ということでかなりのペースで前から最後まで書き上げることができました.
一通り書いてみて思ったことですが,自伝小説を書くという作業は自分という人間の成り立ちのに一定の解釈を与えてくれるようです.筆者の場合は「当時の記憶が薄れているから心が弱くなったのでは?」という出発点だった訳ですが,それに加えて筆者が持つ生来の性質のような部分が心が弱くなったように思えた原因だということが,執筆過程で見えてきました.小,中,高生時代のエピソードの幾つかからもわかるように,筆者は元々挫折と克服を繰り返すタイプの人間なのでしょう.地頭が良くないので壁にぶつかることが多く,またそういった壁にぶつかっても器用ではないのであまり方針転換をせず,狭い世界で工夫し正面突破しようとするタイプの人だということです.ただ,20歳頃にたまたま宅浪で心が異常に鍛えられたために,壁を壁とも感じなくなっている状況がしばらく続いていたように思います.上記の教授からのパワハラのような大きめの壁が現れて,久しぶりに壁と対峙する意識を持っただけだったのでしょう.そういった現状の解釈ができたことと,改めて宅浪生活で鍛えた心の強さを再認識しました.大学に入ってから15年ほどは,壁を壁とも思わなかったのですから.多少の上下はあれど,ある程度安定した心でもって過ごすことができたことは,宅浪で得たものの効果でしょう.
母のこと
今回の試みでは,自らの半生を幼少期から遡って自分を見つめ直し解釈するというアプローチを取りました.その上で,否応なしに母親との別れを書くことになったわけですが,実はこのように母の死をきちっと文章化する作業はやったことがなかったのです.思い返してみると,入院から亡くなるまでの半年間だけでも色々なエピソードがあるもので,執筆と同時に当時の記憶も再定着されたと思います.母の亡くなった時間は分単位で覚えているわけですが,単に数字を記憶するだけにとどまらず,その前後に起こったことや,半年前から起こっていた家庭内の仕事の変化なども丸ごとパッケージ化されたような気分で,改めて書いて良かったなと思ったものです.実は,母が亡くなってから,年に一度程度は寝る前にふと悲しくなって涙が出るようなことが起こっていました.ただ,ここ10年ほどはそのような状態も脱していたあたり,記憶が薄まっていたということなのだと思います.そういう意味でも,書き直すタイミングとしてもちょうど良かったのかもしれません.また,小説を書くことで,自分以外の人が母の死に対して持つはずの感覚についても自分の中で多少鮮明になりました.それまではなんとなくしか考えていなかったことですが,これも大事なことのように思います.特に父が母と結婚してからの14〜15年間の時間に思いを巡らせていたであろうことは,文字に起こして振り返ったことで具体的に想像されたことであります.
自伝小説を書いてからの変化
小説執筆のきっかけのひとつが,仕事がうまくいかないと感じていたことだと上で書きました.で,自分の成り立ちを理解し状況を好転させるきっかけを掴もうと執筆に向かったわけです.小説自体は無事に書き上がり,少々のセルフリバイズを繰り返してある程度洗練されました.そこまでは良かったのですが,肝心の仕事の方に何かしら影響があったか,という話にも触れておこうと思います.
実は小説を書いている最中から,色々と行動を起こしました.心療内科の医師が適応障害と判断する程度に心は壊れていたのですが,何もしないと状況は悪くなるばかりです.最初に成果が出たのは,研究資金の獲得でした.まず150万円をとり,その後1000万円ほどを立て続けに獲得したのです.実は,研究資金というのはそう簡単にもらえるものではなく,いろいろなところに応募してようやく当たる,のような場合が多いと思います.筆者も大学から提供される助成金情報を細かくチェックし,何通も申請書を仕上げて応募していきました.先のように心が壊れた状態での作業はそれなりにハードなはずなのですが,そのような作業をこなすことができたのです.次に成果が出たのは,准教授への昇進でした.これも,通常は倍率2桁を軽く超える大変なハードル(しかも相手は原則全員博士号持ち)なのですが,数件の応募で決めることができたのです.研究費獲得と准教授昇進,どちらもそれなりに大変なことですが,少し前には心が壊れていたはずの筆者は,両者をなんとか達成することができました.そしてその理由は,遠因という程度に収まってしまうかもしれないのですが,自伝小説を書いたことに無関係ではないと実は考えています.というのも,自伝小説で宅浪時代に味わった不合格の辛さ,京大合格の成功体験思い出していたので,自分はもう少しやれる人間なのではとやる気を引っ張り出すことができていたのだと思います.「過去の栄光にすがるな!」という厳しい言葉はよく聞きますが,それは「やらない・できない言い訳」を過去の栄光に見出す時のみでしょう.今回は,過去の栄光(恥かもしれませんが)を思い出すことで自分の中の可能性を再び信じることができました.小説で半生を振り返るまでかなり自信をなくしていましたし,正直自分を信じるどころではなかったのです.
自伝小説(でなくても)によって半生を振り返ることのススメ
ここまでの流れを見ていただくとわかると思うのですが,筆者ひさかわは自伝執筆の効果をポジティブに捉えています.自分の記憶の始まりからある時点までに起こった出来事を主観・客観折り混ぜた視点で文字に起こすことで,今の自分を形作ったものに何かしらの決着がつくと思ったからです.こういう性格になったのはコレが原因じゃないか?みたいなことですね.それと同時に,現状でうまくいっていないことがあるとすれば,その原因もおそらく見出すことができるでしょう.もちろん自伝など書かなくてもなんとなく分かることはあるでしょうが,文字に起こすことでその考えは洗練され,うまくいけば次に進むべき道や軌道修正の方向性が見出されるでしょう.筆者も今回の執筆活動を通じて,単なる半生の文字起こしにとどまらないペイバックを得たと思っています.副次的な効果としての勉強法などのノウハウがまとまったことも良かった感じます.もちろん執筆にはある程度の時間が必要になるため,昼休みや寝る前などの隙間時間を使った活動の工夫は必要でしょうが,得られるものもまた大きいと感じる次第です.
もし,ご自分の現状に対して違和感や焦り,また憤りや思い通りにいかないといった感情をお持ちでその原因が明確につかめていない方がいらしたら,自分の半生をまとめてみるというのも一つの手段としてありだと思います.
さいごに
今回の自伝小説にお付き合いいただいた皆様には,改めてお礼申し上げます.どうもありがとうございました.素人の文章ですが,笑い,気づき,感動,…どのような形であれ,みなさまの心をいずれかの方向に少しでも動かしていれば幸いです.
K. HISAKAWA
30th, Dec., 2024