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no. 15 2年の宅浪で得た教訓と大学生活(無料Ver.)

宅浪生活でパニック障害を発症したが放置

 さて,晴れて大学生となることができた私は,自分の体に起こった様々な変化に驚いていた.大学に通うには,今まで通っていた図書館(の自習室)に行く場合よりもJRを一駅分長く乗り,そこから京都の市電に乗り換える必要がある.困ったことに,この一駅分がとても辛く,日によっては嘔吐してしまうのだ.つまり,ずっと乗っていた範囲を超えてJRに乗ると気分が悪くなる症状が出たのである.これにより,毎朝の通学は地獄の時間と化してしまった.また,食事にも影響が出た.大学の食堂でご飯を食べようとすると,同じように吐き気に襲われるのである.少し食べるくらいなら問題ないのだが,食事の終わりが見えてくると吐き気が来てしまい箸が止まってしまう.なんと,かけそば一杯が食べられないのだ.これらの症状が体調不良ではなく心からきていることは明らかであり,2年間の異常な生活にすっかり慣れきってしまった体が,いきなり元の社会と再びつながったことでびっくりしていたのだと思う.とはいえ,この程度は私にとって瑣末(さまつ)なことであった.電車は降りる駅さえ間違わないようにすれば途中で吐いても気を失っても自動で目的地まで運んでくれるし,食事は売店での買い食いや弁当を持参すれば吐き気は来ない.何より,2年間頑張った日々に比べたら,これくらいはっきり言ってなんでもなかった.ただ,吐いてしまい電車内で迷惑をかけてしまった人たちには本気で申し訳ないことをしたと思う.
 後から知ったことだが,食事の方はパニック障害の一つである「外食性嘔吐」と呼ばれる病気だそうだ.ただ繰り返しになってしまうが,吐いたり食べられなかったり体調が悪くなる程度のこと,はっきり言ってどうでも良かった.ということで,これらの症状が出ていることなど構わずに大学生活を続けた.ちなみに症状が治り始めたのは修士一年ごろ,つまり京大入学から5年目のことであった.

3浪同志社の同級生を慰めず放置

 そういえば,大学2年生の時に高校の同窓会に出席したことがある.そこで,かつて阪大を受けるかもと言っていたAY君と再開した.センター試験の結果が芳しくなかった彼は,志望校を地方の国立大学に切り替えて無事に一浪で合格を果たしていた.彼がどんなことを勉強しているのかは聞けなかったが,「ボート部に入ったことで人間性を磨くことができた.部活は大事だ」と言っていたのを覚えている.また意外なことに,3浪して同志社に入った友人がいたことを知った.3年というのは私にとって辛くも回避できた未知の領域であり,彼の味わった精神的ダメージは相当のものだったのだと思う.上には上がいるものである.そんな彼にとって,私の経歴は少し気になるものだったのだろう.会話の中で「2浪で京大だから,3浪で同志社の俺なんて大したことないと思ってるんだろ?」と真顔で言ってきたのだ.私は彼に「まぁそうだね,仕方ないよね」と言ってしまった.そこは酒の席であり,普通は「そんなことないよ」と言って差し上げるのが礼儀というものだろう.だが,この時の私は「そんなことないよ」のカツアゲにはとても乗れなかった.彼には自分を慰めてくれる場所を探して甘える人生ではなく,過去に反省があるのなら向き合う人生を選び,これからさらに頑張ってほしかったのだ・・・などと言えれば良いのだが,そんなことは微塵も思っていなかった.というか彼の進路に興味がない.3浪を決めたのも同志社に入ったのも,完全に彼自身の責任であり私には何の関係もない.どれだけ苦労したか本当のところは知らないが,下手な嫌味に対して優しい言葉を返すほど,私の過ごした2年もまた軽くなかったということである.あと,何回も言うが現役生の方が凄くて私など京大の中では歳をとった少数派だ.そんな周りに気を遣わせるような発言をするくらいなら,もっと本気で勉強するか,四浪して医学部でも目指せば良いのにと思う.ちなみに彼は,その飲み会で他の同級生TKの顔面を殴って空気をおかしくしていた.どうやら何かしらの発言が気に障ったようで,「何で俺が殴られる必要があるんだ!?」というTKに対して「お前が悪いんだろ!」という意味のわからない返しがなされていたが,私のせいで機嫌が悪くなったのではないことを祈...らない.

通えば都,大学受験は手段のひとつ

 さて,この同窓会でも聞いたことなのだが,志望校を下げて合格を勝ち取った学生がよく言う言葉に「自分はこの大学に入って良かった」というものがあると感じている.その直前に何があろうと,一度通い出してしまえば,大抵の場合は「通えば都」状態になってしまうようだ.これは戦いに敗れた自分を騙す甘い文句のように思えるかもしれないが,たとえ辛い戦いに敗れたとしても救いが待っているという希望の示唆のようにも思える.
 この自伝では浪人と大学受験について多くの分量を割いているが,それはこの経験が私の半生で最も大きな出来事のひとつだったからである.確かに宅浪を決意し独学でやり遂げた2年間は私の財産となったのだが,これは決して全ての人に適する道ではなく,平たくいえば進路は人それぞれである.別に,大学受験で志望校のレベルを下げたことで人生が終わるわけではないので,この自伝を読んだからといってハイレベルな志望校にこだわり続ける人間になる必要はないと思う.ある時期には大学入試が目標で,勉強がそれを達成する手段となることがある.だが,その入試を突破することもまた,次の目標を達成するための手段なのだ.ある到達目標を成し遂げるにあたり,その到達に至るプロセスが変わってしまうことは往々にしてあるように思う.そういう意味で,大学への合格を目指した浪人はただの程度問題なのである.合格を果たせばより良い勉強・教育を受ける機会を得ることになるだろうが,引き換えに若さという財産を使ってしまうことはよく理解しておかなければならない.そして,志望校を下げてでも早期に浪人生活を切り上げる判断は,特段珍しいことでも恥じることでもないのだと,付け加えたい.若さをもう1年払うより次のステップに進むことを優先するのは賢い判断である.さらにいえば,宅浪はやはり多くの人にとって無謀な選択で,私自身もお勧めしない.本当に進学したいなら,借りてでも金を作って予備校に通い,一年で浪人を済ませることをまずは考えるべきだろう.社会人になれば,その程度の金はすぐに作ることができるはずだし,その気があるのに返せないということも珍しいだろう.ただ,金なし宅浪でも根性という燃料を投入すれば,やれることがあるということが自伝を通して伝われば嬉しい.私の辿った経路だと東大から京大へ志望校を下げたとも取ることができるし,神大→阪大→京大と毎年志望校を上げていったとも取ることができる.実際に受験した大学という意味で後者の解釈を許してもらえるのであれば,ある種の珍しい例として役立てて欲しいと思う次第である.

凡人が天才に勝つための条件

 と,一見すると上記は上手くまとまったようでもあるが,これだけ多くの分量を割いて一応の逆転体験を書きながら「宅浪はお勧めしない」だけだと少し無責任のようにも思う.もちろん宅浪をお勧めしないことには変わりないのだが,それでも私が合格できた要因を自分なりに整理しておこうと思う.京大の入試には全国からトップレベルの学生が集まるので,競争のレベルはかなり高くなる.私は数学が解きやすいことに活路を見出し,英語の勉強法が上手くはまったことで合格に近づいたのだと当時は思っていた.確かにこれは半分正解だが,大事な要素が抜け落ちた考察でもあると思う.京大は受験者のレベルが高く,合格者の数は限られ私の受けた学科でも半分以上が落ちる.そういった場面において.実は試験の難易度はあまり関係がない.点数が高いものから合格するので,問題が簡単ならば,ただ単に高得点の戦いになるだけなのだ.そういう意味で,2年かかったとはいえ,私は天才と呼ばれる人たちの半分以上に勝っているわけである.ということで,私が合格できたのは,凡人でありながら天才に勝つことができたからなのである.凡人は,一般的に天才には勝てない.これは事実であると考えている.しかし私の考えでは,ある3つの要素が揃った時,例外的に凡人が天才を超え得る.その3つとは,

---(別記事の有料記事に掲載した情報のため無料版では割愛致します)---

大学生活はまたの機会に

 この後,私は大学生活を送ることになるのだが,詳しい話はまた気が向いた時に加筆しようと思う.少しだけ触れておくと,私の大学での成績は比較的良いもので,さくさく単位をとって無事に卒業まで過ごした.大学院入試にも無事に合格し,修士,博士まで進学して博士(工学)の学位を得た.修士課程では2本の学術論文を書いた業績が認められ,学費として借りていた奨学金の半分にあたる60万円の返済免除を勝ち取っている.また,大学院では各専攻の博士課程学生の中で業績トップ者1名のみが推薦される賞を受賞し,副賞として贈られる海外留学費用で英国での国際共同研究を経験することができた.さらに,通称学振と呼ばれる特別研究員制度に選ばれたことで,学生の身分でありながら研究員として給料を得ることに成功し,不安定だった生活はすっかり安定したのである.この制度に私のように書類のみで通過するのは,東大も含めた全国の博士課程に在籍もしくは進学予定の学生の,上位20%程度であった.せっかく掴み取った大学生活だったが,その中身も比較的頑張れたように思う.なお,上で説明した賞や学振は,全て弟もとっている.違いといえば,私が半額免除を勝ち取ったのに対し弟は全額免除だったことくらいである.彼の場合,論文に加えて修士課程の間にフェロー賞まで受賞していたのが評価されたようだ.本当に,彼と比較される兄の私の立場が少しでも伝わって欲しいものだ.ただ,学振を取った学年は私の方が一年早かった.弟は現役合格なので,結局採択のタイミングは全く同じになってしまったのであるが.その後も彼の動向は何かと意識しているのだが,近年はお互いの研究成果を見せ合ったり,書類を添削し合ったりという形で協力する場面が増えてきたように思う.最近だと,全く同じ科研費に兄弟で採択されたりもした.とにかく,2年宅浪の末勝ち取った合格を,ある程度有効に活用できているのだと信じたい.

次回はあとがき

 このNo. 15をもって自伝小説は一つの区切りを迎える.せっかくなので無料であとがきを書く予定なので,ありがたくも読んでくださっている方々には,そちらもお付き合いいただければ幸いである.

K. HISAKAWA

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