
あえて考える,親ガチャ外れを克服する方法
※忙しい人はタイトルと太字部分だけ読めば大体OK!
自分の人生がうまくいかない理由を親ガチャに見出すのは甘えなのか?に対する一つの方向性を示す記事になればと思います.
親ガチャという言葉が流行って久しいですが,皆さんはこの言葉に苦しんでいませんか?親が金持ちだと子供も頭がよく金持ちになりやすい,子供の能力は親からの遺伝で決まる,DV親に育てられると子は悲惨・・・いろいろと情報が錯綜しているわけで,それを裏付けるデータも示されているようです.しかし,親ガチャという言葉の使い方は果たして正しいのでしょうか?というか,意見を発信する側が自分の好きな解釈で使っていませんか?親の収入や学歴,片親であるなどのの環境を無理やり解釈すれば,筆者も親ガチャに外れた人と名乗ることができてしまいそうです.また,そのような意見を発信する負のオーラを纏ったインフルエンサーにほだされて,自分まで諦めムードに飲み込まれていませんか?このような疑問のもと,自分は親ガチャに外れたからもうダメだ,みたいな思考に陥っている人の処方箋になればと筆を取りました.
最後にひとつ.親の収入・学歴が高い/低いと子供の収入・学歴も高い/低いというデータがあるから,このデータで誰かの未来が予測できる!は数学的に間違っていますので,そういった考え方を信じてしまった人はぜひ続きを読んでみてください.
親ガチャという便利な言葉
「親ガチャ」の使い方がいびつに思える
タイトルの通りであるが,親ガチャという言葉の使い方がいささか乱暴であるように思う.というのも,この言葉の根拠の一つとして紹介されるのが,親と子の収入の相関データだったりするからだ.もちろん収入でなくとも,学力やその他の何かでも良い.とにかく,1万人や10万人という大量のサンプルの解析の結果出てきた関係性,という点が引っかかるのだ.つまり,社会全体の大きな流れとして親のスペックが子供に影響を与えること指して親ガチャの当たり/外れならばわかるが,あなたは親ガチャ外れてるから低収入になる,のような個人の未来予測は根拠が薄いということである.
勘違いしてほしくないのだが,親と子の収入に正の相関があるという事実に異を唱える気などない.別に事実をひっくり返そうというのではなく,問題はその次なのである.親の収入が子の収入に影響を与える.だから「親の収入が低いあなたは収入が低くなる」,この大きな数字から作ったモデルを個人に当てはめるロジックがちょっとしんどいと言っているのである.大量のデータを分析した結果の平均値や中央値というのは,ユニークに(たった一つに)定まる.これは,式が一本しかないので当然である.このモデルをして,先の親が低収入だからあなたもきっと低収入になる,と言っているわけだ.だが,この親ガチャ論法にはモデルの信頼度を表すパラメータの存在が無視されているという致命的な弱点がある.分散や共分散と呼ばれる値,もしくは分布関数といった概念だ.
言いたいことは,親ガチャは本来社会現象を指す言葉としてのデータしか持っていないのに,それをなんとなく個人に当てはめてしまっていないかということである.
親ガチャに外れているハズなのに上手くいく人がいるのはなぜ?
親ガチャは甘え,という説もよく聞くだろう.その根拠としてよく挙げられるのが,スペック上は親ガチャに外れているのに高学歴高収入な人たち,つまり例外の存在である.だから,親ガチャを言い訳にせず研鑽(けんさん)を積めば能力を高めることができるということのようだ.最初に戻るが,つまり親ガチャ外れなんて甘えた考えだと言っている訳である.自分の人生がうまくいかない理由を親ガチャに見出している人を奈落の底に突き落とすような冷たい意見であるが,この意見にも実は一理あるのである.
そもそも,どうしてすぐに例外が見つかってしまうのか,ということを考える必要がある.これは,先にいった分散や共分散というパラメータが大きいからではないかと言うのが筆者の意見である.分散とは平均値からのデータの散らばりを表すパラメータなのだが,一般的でもないので少し簡単な例で説明しようと思う.
ある塾に定員50人の進学クラスがあるとしよう.このクラスは毎年同じ先生が,同じ内容の授業を,同じ時間行い,入ってくる学生たちのレベルも全く同じだとする.そして,昨年の共通試験の平均点が100点満点換算で50点だったとしよう.あなたが来年その進学クラスに入学が決まっているとすると,来年の共通試験で取ることのできる点数は50点という予測が立たないだろうか?この予測は一見正しいのだが,実は大きな見落としがある.50人の学生の点数の散らばりを全く気にしていないのだ.もし,0点の人が25人,100点の人が同じく25人の場合,平均点は同じく50点だが分散がものすごく大きなデータということになる.つまり,「50点をとった人など過去に1人もいない」のに,来年のあなたの「点数予測は50点」という検討外れな予測が簡単に立ってしまうのだ.
実際のパラメータは複数あるので「分散」ではなく「共分散」,場合によっては密度関数の考え方を導入した方が良いかもしれない.が,ややこしいのでここでは雰囲気を伝えることを優先する.上記では少し極端な例を考えてみたのだが,現在親ガチャ界隈で横行している予想は大体これと似たようなものだろうと疑っている.モデルの信頼性というのはままぐらつくものなので,その信頼度を示す指標がきちんと準備されている.しかし,テレビやネットの論客たちはみんな数学ができないのか,この議論を飛ばして乱暴な親ガチャ論に飛びつきがちではないだろうか.分散の大きなデータから作ったモデルはアテにならないのである.確かに平均値を見ると親と子の収入には正の相関があるのだが,その周りにはかなりの数の例外が散らばっており,左右をちょっと見渡すだけで親ガチャ論から外れた成功者が見つかってしまう,ということなのだと思う.なぜ「思う」なのかというと,親ガチャ論を真面目に語っている人たちの多くが大量のデータ解析の結果,つまり横軸親の年収/縦軸この年収,のような生データの可視化結果ばかりを示しており,誰1人として分散などモデルの信頼性を示すパラメータを出しているのを見たことがないからだ.もしかしたら分散が小さいのかもしれないし,やはり筆者の予測通り大きいのかもしれない.ただ,一般的な親ガチャ論を展開するなら,分散やそれに類するパラメータには触れて欲しいと筆者は思ってしまう.
親ガチャ外れは脱却できる?
「行動すれば何かが変わる」可能性は期待できる
さて,親ガチャの元になっているデータは分散が大きく,そのデータから作ったモデルで個人の未来を予測することは難しいはずだ,という話をしてきた.では逆に,これまで親ガチャに外れたと認定されていた人たちはその親ガチャ外れ状態を脱却できるのか?という疑問が生まれてくる.もちろん明確な答えはないのだが,あえて言えば「脱却の可能性は現実的な範囲(ただし行動さえすれば)」である.親ガチャ外れに該当していても社会で成功している人はいるだろうし,現に探せば結構すぐに見つかる.筆者と弟も,学力と収入,片親というスペックだけを見れば該当者だろう.つまり,親ガチャモデルによる予測は外乱に弱いのだ.この外乱というのは,偶然やあなた自身の努力による不確定要素で,モデルにとっては想定しづらいものである.勘違いしてほしくないのだが.これは綺麗事やお説教ではなく,観測結果から帰納的に推測した仮説である.ただし,親の収入が低いとこの収入も低い傾向にあるということ自体は事実である.つまり,親ガチャモデルもある程度は当たるだろうがハズレも多い,ということだ.ポイントは,多くの人が行動しないということである.その中で行動を起こすことさえできれば,例外の方,つまり親ガチャ外れの烙印を押されながら将来の成功者の方に入る可能性は現実的な範囲で残されているだろう.
何をすれば良いのか
筆者の主張が仮に正しいとすると,親ガチャ論で予想したあなたの人生がネガティブな結果だったとしても,行動次第で成功者の方に入る可能性が十分残されているということになる.じゃあ具体的に何すれば良いの?という話になるのだと思うが,筆者の思いつく範囲で何かしら書いてみようと思う.
まず思いつくのは大学受験の勉強である.日本人なら,出自に関係なく大学受験で合格点を取ることで国立大学に通うことができる.親の身分や収入,本人の性格や見た目など全く考慮されない.家が貧しければ授業料免除制度が利用でき,給付や貸与型の奨学金を用意すれば4年間通うくらいの都合はつけられるだろう.就活まで乗り切れば,奨学金を返すくらいの賃金は稼ぐことができるだろうし,もし返済が苦しければ変換の猶予,場合によっては免除を申し出ることもできる.筆者が知る限り,勉強して国公立大学に進むのが最も高確率に,いわゆる親ガチャ外れを脱却する手段である.
次に思いつくのが手に職をつける系の資格取得,であろうか.例えば何かしらの国家資格を取れば,就職先の幅が広がることもある.看護師資格や歯科衛生士の資格を持っているとそれだけで多くの場面で求められる人材となることができるので良いだろう.プログラミングスキルを身につけるという流行りにのる方法もあるが,これは目的がないと続かないので,サブスキル的な位置付けで学ぶことをお勧めする.つまり,他の国家資格を取る道をメインロードとし,土日や家ではプログラミングの勉強をしてみると言うことである.このコースは,もちろん大学受験や受かった後の大学生活の一部にしたり,あるいは両立したりすることが可能だろう.念のために言っておくが,野菜ソムリエとかではない.
結局どちらも勉強系になってしまったが,現実的な範囲で考えるとこの辺りが妥当なところだと筆者は考えている.というのも,プロのアスリートになる,株で儲ける,宝くじを買う,起業する,…など,挙げろと言われればキラキラした成功者への道をいくらでも提示可能だろう.だが,極端な成功を達成する確率は親ガチャに外れる確率より低いのでここで示してもあまり意味がないというのが筆者の考えである.例えばプロのアスリートになるには,そもそもある程度の金銭が必要になるだろう.競技の強豪校に入ったり,道具を買い揃えたりと前提が破綻してしまうのだ.宝くじに当たる期待値を高めるには,そもそも無限の軍資金が必要になる.そういう意味で,余計に望みの薄い選択肢は排除したつもりだ.
お手上げのケースもある
実は,これまでの希望に満ちた議論が全く通用しない親ガチャハズレというものも存在する.それは次のような,親の行動が犯罪レベルに悪質な場合である:
親からネグレクトを受けている
勉強すると殴られる
親がアル中で生活が成り立たない
たまにいる「親ガチャの議論がぬるい」という主張の人たちの中にはこういう話を出してくる人もいる.ただ,これはもう犯罪なので,親のスペックと子のスペックの相関データから始まる一般的な親ガチャ議論の外の話であると考えるべきだろう.こういう場合は,残念ながら法的機関を入れて対応してもらうしかなく,上のように分散云々で語っても仕方ないのである.悪いけど.
さいごに
さて,思いつきレベルで親ガチャについて,巷に蔓延(はびこ)る言説が少し違うんじゃないの?という切り口を提供してみた.筆者は親ガチャ論に口を出す気はないのだが,「親のスペックで子の収入が決まる」のような少々短絡的な意見を堂々と述べている方には「分散とか知ってる?」と聞いてみたくなるというのが今回の記事を執筆しようと思ったきっかけである.
大事な観点は次だろうか:
親と子のスペック相関は分散の大きなデータの可能性がある
分散が大きいモデルによる予想は大体当たるが無視できないくらい外れもする
それを示唆するように,親ガチャ外れのはずが成功者,の例がすぐ見つかる
分散が大きければ行動次第で親ガチャ外れを跳ね除け成功者の方に入れるかも
おすすめの行動は大学受験や手に職をつける系の資格の取得
親の行動が犯罪レベルで悪質なケースは本記事の議論の外
親ガチャ外れなんて気にしてもしょうがないという意見はまま聞くが,その説を信じる/信じない にしろ,大事なのは根拠である.本当に当たるならその説を参考にすれば良いが,すぐに親ガチャ外れの成功者(例外)が見つかるようならその理由を探るべきだろう.今回の記事で,そのような切り口の一端が示されていることを願う.
K. HISAKAWA