なぜ小説を書くか
※この記事は”僕なりの本気”で書きました。
僕は”文字”というものの存在を知るとほぼ同時に物語を書いてきた。それが珍しい趣味であるということに気づいたのは小学校高学年になったあたりだった。自意識過剰になるらしい思春期の頃、僕はその趣味を周囲からすっかり隠し通していた。そして通常の自意識に戻った時、「別に隠すものでもないか」と開き直った。それが今の僕だ。
さて、そんな僕は周囲から「何のために書いているのか?」と問われることがたびたびある。僕はその質問に対してなるべく誠実に答えたいと思う。世の中の大抵の人間はそんな疑問を抱いてさえくれないからだ。
使い古してきた説明
プロフィール記事に書いた通り、僕にとって小説を書くという行為は歯磨きやストレッチのようなものだ。そうせずにはいられないので書いている、という側面が強い。概ね「目的かつ手段である」という自己完結的な趣味なのだが、僕はそこから生きるための活力のようなものを確かに受け取っている。
「なぜ小説なんて書く?」と問われたときに、僕はよくこのような答え方をしてきた。しかし実のところ、そこには続きがある。なぜその続きについて話してこなかったのかというと、ここから先は他人を納得させられるという自信がないからだ。
本当の説明
それでも、せっかくなので”その先”について書いてみようと思う。それこそが僕の奇妙な衝動の源泉になっているからだ。
ひとことでまとめてしまえば、僕にとって小説を書くという行為は
「物語の中にしか宿らない”何か”を取り出す」
ということである。川の流れの中にしかせせらぎが生じないように、あるいは創造と破壊のダイナミックな平衡の中にしか生命が宿らないように、心情や出来事の連鎖の中にしか生じない”何か”があるのだ。その”何か”を僕は取り出したいと願う。できることなら誰かにこっそりと見せたくなる。「ほら、これが僕の大切にしているものだよ」と。
小川洋子さんの「薬指の標本」はそうした観点から読むことができる。「題名屋」もそうだ。そのことに気づいているかいないかは別として、僕らは記憶や思い出を大切にして生きている。その物語の中に組み込まれた”何か”を背負ったり引きずったりして歩いている。それは時に不便だし、場合によっては命さえも奪いかねない。それでも僕らは過去を簡単には放り出せない。
こうした物語の中にしか生じない”何か”は、必ずしも自分自身の活動の軌跡にしか宿らないわけではない。それを”創作”として取り出してくることができる。場合によってはその方がわかりやすくなる。何しろ現実の世界は複雑精緻で一筋縄にはいかないからだ。時には物語を介することで見極めやすくなる。それは立体図の問題を平面図に帰着させて考えることにも似ている。
村上春樹さんの『1Q84』のテーマはまさにそれだったと僕は読んでいる。この物語は人気を博したものの、イマイチ何を指し示しているのかが分かりにくいという声をよく聞いた。僕から見れば頓珍漢に見える解説や、細部を偏重した感想などが多く見受けられた。僕の語ることもまたそれらのレパートリーに過ぎないのかもしれない。それでもあえて(多くの人の反感を買うかもしれないが)言わせてもらえれば、趣味で物語を書き続けてきた僕にとって1Q84という物語はとても分かりやすかった。
以下、1Q84について書く。読んだことのない方は次の章までスキップすることをお勧めします。何を書いているのか全く分からない話が続くかもしれません。
1Q84の個人的解釈
多くの人を悩ませたであろう「空気さなぎ」「1Q84」などのキーワードが指し示すものを端的に述べることで、あの物語が全体として何を語っていたかについて語ろうと思う。そうすることによってこぼれ落ちてしまうものがたくさんあることは承知の上で。
「空気さなぎ」は物語そのものを指している。空気さなぎの中には僕がこの記事で何度も強調してきた「物語の中にしか生じない”何か”」が宿っている。天吾にとってそれは幼い日の青豆の姿だった。また、一方で(ずいぶんと飛躍した論理として受け取られることを覚悟の上で思い切って書くと)空気さなぎは女性の子宮のことでもある。物語と子宮の抽象化されたイメージが空気さなぎだ。人の数だけ世界体験があり、大袈裟な言い方をすれば宇宙がある。それらは個別の物語であり、体内に新しい命を宿すということはまさに体内に新しい宇宙を(そして物語を)宿すということだ。だからこそ、1Q84のラストにおいて天吾は自分の生み出した物語を、青豆は彼らの子を抱いて新しい物語のレールへと向かう。そうしたあり方そのものが1Q84という巨大なフィクションのさなぎの中にある。
(ちなみに、『フィクションの繭』という表現は一般的とは言えないまでもよく流通した表現だと思う。しかし、1Q84の文学的表現において、それは”繭”ではなく”さなぎ”であるべきものらしい。そのあたりの迷いもまた1Q84の中に描かれている。それは正確には”さなぎ”ではなく”繭”ではないのか?と。)
個人的体験談
さて、ここから先は個人的な体験について書く。初めて物語を書いた時の体験だ。
文字を習う前後の僕は落ち着きのない子供だった。保育所に入れられていたのだが、僕を昼寝させることは不可能だったと聞く。僕は誰彼の昼寝する頃、隙を見つけては部屋を抜け出し、歩き回った。保育士の方々は最終的に根負けして僕に彼らの「お手伝い」をさせてくれた。ゴミをまとめたり、花に水をやったりする役だ。僕はそれが嬉しかった。
さて、ことあるごとに「落ち着きがない」と叱られて過ごす中、僕の中にはある思いが生じた。
「僕は”落ち着きがない”という状態に”落ち着いている”」
言葉にして周囲の大人に語ると、そうした理屈のことを「屁理屈」と言うのだと教えてもらった。しかし、僕には屁理屈とそうでない理屈の区別がつかなかった。(今だってつかないことの方が多い)そのうち僕はその理屈をちょっと違った形で表現してみることを思いついた。物語にしてみる、ということだ。
かくして僕は生まれて初めての物語を書いた。メモ帳に労働紛争中のミミズみたいな文字を並べ、文字なのか絵なのか簡単には見分けられない挿絵を描いた。段ボールで表紙を作り、一見すると本に見えるような体裁にした。
それは落ち着きのないヘビの物語だった。あちらこちらと彷徨ううちに、やがて”落ち着きのないヘビ”として博物館に展示されるという話だ。それは紛れもなく、”落ち着きのない子供”である自分自身をそのまま受け入れて欲しいという願いの現れだったと思うのだが、そのような読み方をしてくれた大人が果たしてその時いただろうか?
しかし、そのことはあまり重要なことではない。僕はそのような物語を生み出し、その物語は周りの人たちに受け入れてもらうことができた。そのことが嬉しかった。僕はその時、自分のあり方がいつか受け入れてもらえるかもしれないという希望を潜在的に抱いたのだろうと思う。その希望こそが僕にとって重要なものだった。
さて、途中で脱線を踏まえながら長々と書き続けてしまったが、これこそが僕が小説を書く意味だ。僕は自分の書いた長ったらしい小説を誰かが読んでくれるということによって、自分の大切にしているものを誰かと共有できるかもしれないという希望を抱く。その希望は、明日を生きる活力になってくれる。
なぜ小説を書くのか
物語という容器の中にしか封じ込めることのできない大切な何かを、いつか誰かと共有し合えたらいいなと僕は願っている。だから僕は小説を書くのだろう。
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