生命の誕生
僕にとって本日がとてもめでたい日になった。
パパになったのだ。
予定日は来年の1月11日のはずだった。
だが、妻の意志で、計画無痛分娩になり早めの出産という形になった。
朝起きてからずっとソワソワしていて、今か今かと待ち焦がれていた。
麻酔を打ち、促進剤を投与してからというもの6時間。
長い格闘の末、この世に生を落とした。
このコロナという大変な情勢の中、無事に生まれてきてくれた。
僕自身がコロナに罹っていたこともあり、心の底からホッとしている。
母子ともに何事もなく、健康。
本当によく頑張ってくれた。
感謝しかない。
父になるということ
今年で31歳。
今まで考えてこなかった。
いや、考えようとしていなかった現実がとうとうきてしまった。
自分が父になる。
違和感でしかない。
どんな気持ちと言われれば、実感がないの一言。
そこまで考えすぎる必要はないのだろうが、全く父としての自覚を持たないのも、それはまた違うということになるだろう。
父になるということは一体どういうことなのだろう。
今後考えていかなければならない課題が増えた感じだ。
きっと僕みたいな自分のことしか考えていないやつは子育ても大変なんだろうなと思いながらも、頑張っていこうと決心する。
今のところ決めていることは、子供自身から湧き出してきた探究心や好奇心、そういうものにはブレーキをかけてあげないようにしてあげたい。
自由に元気に育ってほしいな。
そして、僕と一緒に遊んで(成長して)欲しい。
こんなことを考えること自体が、父になった証拠にでもなるのだろうか。
赤ちゃんはやっぱりかわいい
ファーストインプレッション。
かわいいの一言に尽きる。
初めて会った時、思わずニヤッとしてしまった。
自分の子だから余計に思うのかもしれないが、産まれたてで泣き喚こうが愛おしくなってしまう。
それが、自身の腕の中でスヤスヤと寝ていると母性が溢れ出てしまって・・。
呼吸が早く、一生懸命目を開けようとして、手でグーパーしている姿はまさに、生を感じさせてくれる。
可愛さの中にもちゃんとお父さん、お母さんにも学びを与えてくれる存在。
赤ちゃんでありながら、お父さん、お母さんの良き先生だ。
沢山学ばせてもらうね。
早くお話ししたいな。
会えない寂しさ
このご時世だ。
出産2時間後に赤ちゃんと初対面。
滞在時間は1時間。
赤ちゃんを抱っこして、妻と出産時の出来事を話す。
赤ちゃん、妻の表情を見て安堵し、嬉しさの余韻に浸るのも束の間。
一瞬にして、病院を後にした。
もうちょっと一緒にいたいモヤモヤ感を必死で押し殺す。
1時間はあまりにも早すぎるし、辛すぎる。
病院に文句が言いたいわけではない。
全部コロナのせいだ。
自身で罹っているから余計に怒りが込み上げる。
退院が年明けの1月1日。
それまで少しのお別れ。
まあ、赤ちゃんにしてみたらまだ寂しいという感情もないだろうし、完全に親のエゴだということは自覚している。
ただ、こういった異常なご時世になっていることは痛感する。
今に始まった事でもないが、早くいつも通りの日常に戻って欲しいと願うばかり。
親なのに自由に会いに行けないのはやっぱりさみしいな。
仲間の存在
親に報告することはもちろん。
仲間にも報告。
みんな当たり前のように喜んでくれた。
特にコロナに罹った自分な為、余計に安堵してくれた友人もいた。
子持ちもいる為、産んだ時の気持ちもよく理解してくれるし、何より仲間と情報共有を気軽にできるのが何より嬉しい。
子育てに関して、きっと詰まる日がくるはず。
そんな時にも頼れる仲間が必要だ。
子持ちでなくたって、遊び友達になってくれる。
そうやって子供を親2人だけでなく、みんなで育てることで色んな価値観を養える。
すごく素敵な事だと考える。
改めて、この場で感謝を述べたい。
ありがとう。
まとめ
親になること、コロナ情勢、情緒、仲間の大切さ。
今年は色んな出来事やニューノーマルな生活、様々な要因が絡み合って目紛しい1年になっている。
そんな中でのハッピーな出来事の一つである赤ちゃんの誕生。
言葉がうまくまとまらないが、本当に嬉しく思う。
親としての実感がまだない中で、仕事にしろ、生活にしろ、色んなことを考えなければならない。
色んな弊害も出てくるだろうが、子供と一緒に成長していきたい所存だ。