適応障害療養中の実家から逃げ、家なし生活が100日を超えていま感じていること
2023年3月7日に適応障害で療養中の家から逃げて、これを書いている今日が2023年6月25日。111日目。つまり111連泊してるってこと。
111連泊て…(苦笑)。
自分が担保できない段階での決断は困難
どう考えてもどっかに家借りたほうが安いし、この生活続けるなら「ちゃんと働けよ」って自分でも思う。
ただ躁鬱の波というのか、気分の上下はあいかわらず激しい。
家はないけど、それでも適応障害の治療中でサインバルタも毎日服用してるし、通院も続けているのだ。
ここまで激しいと自分が担保できず、ある程度自由が利くようにしておかないと結果的にすごい迷惑をかけてしまう。
かといってなんの決まりもないとそれはそれでただ怠惰なだけで、そこらへんのバランスが本当に難しい。
そんな中111連泊とか本当はストレスなんだと思う。普通に考えて頭おかしいし、なにで保ててるのか自分でもわからなくなってきている。
未熟な親に育てられた子は未熟な親になってしまう
最近あたらしく本を読み始めた。
本に線を引くことはあまりしないんだけれど、この本は1ページまるまる線引くくらいの勢いで線を引いている。
ここでは「毒親」ではなく、「精神的に未熟な親」と表現しているが、父母ともどちらにもあてはまることが多く、「そりゃしんどいわ」と読み進めるたびに思う。
そして、その父母も同じように抑圧されて育てられてきたんだなと思う。
それを考えると神戸の母監禁と息子殺害の事件も他人事に思えない。
ギリギリのところで踏みとどまれているのは、もう自分には両親や元妻の要求には応えない、自分のやりたいことをやると決めたからだ。
それでも世間に照らしあわせて、長男や夫、父としての役割を果たせないこと、ひとりで生活していても立ち行けるほどのパフォーマンスを出せていないことに落ち込むことは多い。
内在化(内省)が行き過ぎると外在化してしまう
さきほどの本の話に戻ると僕は「内在化タイプ」らしい。
内在化というのはかんたんに言うと責任は自分にあるとするタイプ。
父の抑圧や母の愚痴で自分がしんどいことを誰にも言えない。そしてそうなることは自分が我慢すればと思っているし、我慢した自分が悪いと思っている。
反対に「外在化タイプ」もあるらしく、これは責任を外に求めるタイプ。
ただ自分でもこのどちらにもあてはまることは多い。
たとえばいまやってる111連泊なんかは内在化で消化しきれず、外在化してしまった突拍子もないことだと。
自分でも内在化タイプだとは思うが、その反動で抑えられない欲求が生まれ、それが外在化につながっていく。
「なんで自分ばかりこんな目に遭うんだろう」というところから、「なんであいつはあんなんなのに自分よりもいい生活できてるんだろう」という感じに。
自分が悪いと思う一方で親のせいにしたり。自分でもよくわからない。
過剰反応や全力をやめるのが策のような気がする
たぶんいちいち反応しすぎるのが原因だと思っている。
バラエティー番組で学ぶのは自分でも不思議に思ったが、こないだやっていたアメトーークのスペシャル「踊りたくない芸人」で新メンバーとして出ていた「ザ・マミィ」の酒井さんが「ずっと力入っててしんどい」って言ってたけど、自分は心の状態がそれなんだなーと。そりゃしんどいよなと。
ああやってかたちに見える全力は番組のなかでも「応援したくなる」みたいな発言があったけど、心の全力は見えないだけに応援はしてもらいにくい。
だとするならば、踊り同様、力抜くところは力を抜くようにしないといけないんだなとは思う。
試行錯誤と無
こないだ聴いていたTwitterのスペース「今宵は夜な夜なデザイナー談義」。
ホストのジェリーさんが「仕事は無でやってる。そこに感情を挟むと…」みたいなお話をされてて「あーなるほどなー」と思った。
「仕事に全力で感情を挟んでいるからしんどいのか」と。
あと恋愛遍歴の話だったけど、「めっちゃ多くの人と付き合って自分に足りない1%のピースを埋めてくれる人が今の旦那」ってお話をされてて、試行錯誤して経験値積んでくの大事だよなと。
その前には「オノミチシェアチャンネル」で510フェスでお会いしたかおりさんの話をオンラインで聞いて「ワクワクすることを仕事って言うけど、仕事は本来しんどいもの」「自分にできることを仕事にしてきただけ」ってお話をされていて、ここらへんに答えがありそうな気がしています。
自分にとって害のないものに触れる
答えがありそうと頭ではわかってるけど身体が動かないというのは、おそらく長年蓄積された強烈なトラウマがあり、そこを癒やさないことにははじまらない。でも時間だけが過ぎていく気もしていて、その事実自体がなかなかしんどい。
となると自分にとって害のないものに触れるという経験を経て自信につなげていくのがいいのかなと思っていたりします。
それは畑で土に触れること。
これを書いている前日の6月24日、丹波にある友人の家に行き、草を刈り、土を耕し、イモの苗を植えてきました。
坂口恭平さんが「畑を始めて50日目でほぼ躁鬱が治った(注:もちろんその後も波はおありだが)」とツイートされていて、また4月に行った熊本市現代美術館で行われていた坂口恭平展で流れていた友人の橙書店田尻久子さんはインタビュー映像のなかで「光を描くようになったのはおそらく畑をやり始めた後なんですよね」とおっしゃっていて、折から土に触れる生活をしたいと思っていました。
昨日実際に草を刈り土に触れて「ああしんどいけどいいなぁ」と感じられました。
安心できる無害の場所をつくり成功体験を重ねてたたかう場所に出る
いま思えば僕には安心できる無害の場所がなかったんだと思います。外でも家でもどこに行っても疲れてしまう。本来家や家族は安心できる無害の場所のはずがそうではなかった。
しかもそれが40年くらいずっとだから、必要以上に怯えていた。
ようやくその事実に気づき、自分の生活を取り戻しはじめてまだ3ヶ月。
安心できる無害の場所をつくって、成功体験を重ねてたたかう場所に出て行けるようになれたらいいなぁと思っています。
もう余力ないけど。。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?