「一年」をテーマに十曲
春よ、来い
風と共に
いつか見たかげろう
風になるまで
太陽をつかんでしまった
夏が来て僕等
通りすぎただけの夏
九月になったのに
がんばれがんばれ
新宿を語る 冬
■「一年」をテーマに十曲
「一日」の次は必然的に「一年」、つまり、春夏秋冬です。春から冬までではなく一年の始まりが冬、また、終わりも冬なので、冬、春、夏、秋、冬という順番で十曲を選び表してみました。なんとなくの個人的な一年のイメージは寒さに耐える冬、桜の開花と合わせて行動力が加わる春、暑くてうんざり、でも、終わると思うと寂しい夏、プロ野球の日本シリーズが行われる秋、M1グランプリが行われる冬、およそ、かいつまんで一年を表すとそのようになります。選んだ十曲は必ずしもこれらが反映されているとは限りませんが背景にあるのはこれらと思うとまずまずの選曲になったような気がします。しかし、夏が強調される結果になってしまいました。必ず入れるバンドやアーティストは初めから決定しているのでその関係で夏が強調される結果になってしまいました。つまり、ストリート・スライダーズとミッシェル・ガン・エレファントとゆらゆら帝国は季節に因んだ曲が少ないということを今回、選んでみて知りました。発見も楽しめた「一年」というテーマ、付け加わると夏の曲が多いことで温暖化を示したことになりました。
「春よ、来い」
「春よ、来い」は1994年に発表された松任谷由実の楽曲、教科書に載るくらいの名曲です。寒いとこの曲が想い浮かびますが、最早、条件反射というレベル、一月、二月、三月の寒い時期は慢性的に脳内で再生されている状態です。加えて寒さが緩んで桜が咲いても同じことが言えます。つまり、自分自身の意思に関係なく皮膚感覚、視覚に誘導される特殊なケースの珍しい曲です。一方、真夏の暑さ、瞬間でそのような曲が浮かばないのは桜のように秋になってもテンションが上がるようなものがないからと結論付けました。紅葉では桜ほどの威力はないということですがそうなると桜の存在というのは絶大です。付随して「春よ、来い」も桜を意識した曲調、桜がひらひらと溢れ落ちるような風情を感じさせます。これにはお正月のコンビニやスーパーで流れている音楽にも同じことが言えます。「春よ、来い」はお正月や桜と連動、加えて和を意識した歌詞及び言葉選びによって聴く側を日本人ということを自覚させることに成功しています。特にそれが目的ではないと思いますが、国歌である「君が代」みたいな雰囲気を醸し出し良心を呼び寄せる作用があります。「君が代」は決意を改め身が引き締まる作用がありますが「春よ、来い」を聴くと背筋を正して奉仕の意欲が湧いてきます。たぶん、学校での掃除時間に「春よ、来い」を校内放送で流すと条件反射で隅々まで綺麗に片付くと思っていますが教科書に掲載することで生徒にいくらかの美化意識を高めることに成功したと思います。
「風と共に」
「風と共に」は2017年に発表されたエレファントカシマシのシングル曲、NHKの音楽番組「みんなのうた」で放送された曲です。歌詞にはひとひらの花びら、桜が散ってしまった少し後にそのひとひらの花びらが住まいのベランダや共同通路に落ちていることがあります。人格のないひとひらの花びら、つまり、意思とは関係なく遠くからここまで風に運ばれ飛んできたと思うと感慨深いものがあります。そのひとひらの花びらと同列に位置付けられているのが夢、それをひとかけらと表現、つまり、大それたことではなくてもっと身近で日常的なこと、この曲は些細なことにに囚われ思い悩んでいる我々に勇気やヒントを与える役割を果たしています。そして、気持ちが沈んでいると涙も誘導、エレファントカシマシの曲にはいくつかのそのような曲がありますが「風と共に」はその中の一つ、これもひとひらの花びらと言えるのかもしれません。サプライズで合唱団の子どもたちがこの曲を歌い宮本を驚かせ泣かせていたのも印象的でした。かつて宮本は合唱団に所属、その縁で「みんなのうた」で採用されました。歌詞にはあの頃から風は木々を揺らしていたとなっていてさりげなく関連性を滲ませているのも素晴らしいです。合唱団の子どもたちはいずれ桜の花びらのように離れ離れになりますが、これもまた、ひとひらの花びらに当てはめることも可能です。きっと、新しい自分に会う為、各々が風と共に旅立つことでしょう。
「いつか見たかげろう」
「いつか見たかげろう」は1997年に発表されたストリート・スライダーズのシングル「Shinin’You」のカップリング曲です。かげろうとは虫ではなく陽炎のほうと解釈しましたが虫の可能性も否定できません。そうだったとしても違和感もなくて結果、思考を刺激、詮索を楽しんでいます。陽炎を調べると春の季語、夏のイメージだったので少し以外です。一方、虫のほうは種類によって異なりますが夏から秋、春も見られるらしいです。「いつか見たかげろう」の印象を決定付けているのは俺たちの前髪を巻き上げたあの風が愛しいという歌詞、不意の風が気持ち良い瞬間をそのまま表しているような曲です。ストリート・スライダーズは歌詞や曲タイトルに風を選ぶことが多いですがこの曲も該当、尚且つ曲調や印象と抜群の相性を示しています。反してギャップがあったのはシングル・ジャケットの四人の写真、それまで見たことのない笑顔に大変、驚かされました。この笑顔は曲名と密着、微笑んでいたかげろうという歌詞に説得力を与えていますがこの曲のプロモーション・ビデオも同様でフレンドリーなハリーは意外、曲のイメージに合う振る舞いで以外な人物と談笑していたのも新鮮でした。やはり、プロモーション・ビデオを観ると陽炎のほうが正しいような気がします。確かに漢字の見た目に反して通りの先で笑っているように見えます。
「風になるまで」
「風になるまで」は1994年に発表されたブランキー・ジェット・シティのアルバム「幸せの鐘が鳴り響き僕はただ悲しいふりをする」の収録曲、後にシングル・カットされた曲です。歌詞に夏の朝、それに誘導されて夏の風を想像させられます。想像させるのは風だけでなくて歌詞に登場する彼、むしろ、こちらのほうがミステリアスで想像が膨らみます。彼は自身のナイフにキスをしてくれないか?と言いますが最早、病的、そして、彼は嬉しさのあまり震え出すという歌詞に度を超えたものを感じずにはいられません。必然的に「ディズニーランドへ」の彼を想像させられます。同一人物かどうかを考えたときに思うことはブランキー・ジェット・シティという街の中での出来事なのでそこにディズニーランドがあるとは思えないという結論です。ナイフにキスをねだられる僕は街を出て行きます。行き先は未定、望んでいるのは海沿いの街、到着は夏の朝、この描写が清々しくて再出発に憧れます。抽象的な歌詞なので聴き手は勝手な解釈をすることになりますが個人的な想像をするなら良心から病院へ勤務、良心で補えない現実、最終的に街を離れるという筋書き、見送りに来たのは仲良くなった患者、ナイフにキスをねだる彼です。彼は絶え間なく流れる車の色をずっと言い続けますがこれにも動揺させられます。この曲が収録されている冒頭のアルバムはタイトルが意味ありげ、勝手な解釈をすると良心や正義の憧れ、それに踏み込めない壁や罪悪が感じられますがこれについても「ディズニーランドへ」を想像させられます。
「太陽をつかんでしまった」
「太陽をつかんでしまった」は2002年に発表されたミッシェル・ガン・エレファントのシングル曲、翌年の2003年に発表された「SABRINA HEAVEN」にも収録されています。この曲もミッシェル・ガン・エレファントの解散を印象付ける曲、ただ、この曲が発表された時点での解散の知らせはなかったので半信半疑、正式な知らせを知ると実に納得させられる曲でもありました。歌詞には太陽をつかんでしまった男はライオンの付いたプールで死んでいたとなっていて解散を仄めかしていたことになります。ミッシェル・ガン・エレファントは死を連想させる曲が多いです。アベフトシやチバユウスケの旅立ちを考えると実に皮肉です。死を連想させる曲は多いですが季節を連想させる曲が以外に少ないミッシェル・ガン・エレファントです。見落としもあるかもしれませんが挙げてみると夏の「キラー・ビーチ」、秋の「セプテンバー・パンク・チルドレン」、無理矢理に当てはめるなら春の「ドロップ」、この曲は映画「青い春」の主題歌、また、桜の花びらの落下をイメージさせられます。そして、夏は「太陽をつかんでしまった」、ブライアン・ジョーンズをダイレクトに連想させられますが命日は七月三日です。
「夏が来て僕等」
「夏が来て僕等」は1989年に発表された真島真利(マーシー)のアルバム「夏のぬけがら」の収録曲及びオープニング・ナンバーです。誰もが秘密を持つ汗ばんだ季節という歌詞、「夏が来て僕等」は楽しいだけの夏休みではなくて心の片隅に淡いけど確実にある気持ちをしっかり表現しているのがとても素晴らしいです。お祭りや花火大会は金魚すくいや花火を見るのが目的ではなくて夏休みで会えない誰かを見つけたいという期待があります。この曲の核心はそれにつきますが、自転車で遠くまで行ったことや友達とアイスクリームを食べて笑っていたのも夏休みだったことを思い出されます。子供の頃の夏休みが懐かしい、一方では二度と体験できないという実感や無念が「夏が来て僕等」、ノスタルジィが当てはまる曲です。因みに1989年と言えばエレファントカシマシは「浮世の夢」を発表、このアルバムは春をダイレクトに感じられるアルバム、「夏のぬけがら」とセットで楽しんでいるような傾向があります。どちらかを聴けば意識はもう片方に向いていることが度々、少し似ているのはお神輿や花火を見ながら意識は日焼けしているはずの誰かのことを想い浮かべているような感じかもしれません。
「通りすぎただけの夏」
「通りすぎただけの夏」は2003年に発表されたゆらゆら帝国のアルバム「ゆらゆら帝国のめまい」に収録されている曲です。季節に限定すると夏の終わり秋の始まりほど淋しいものはありませんが「通りすぎただけの夏」はタイトルが示すようにその淋しさを的確に表しています。合わせて、ゆらゆら帝国の凄さをさりげなく示していて、最早、季節とは無関係なことも含めて好きな曲です。歌詞に注目すると小舟が風に吹かれてだんだん遠ざかるという表現、夏を小舟に当てはめたことに情緒があります。加えてグラスで氷が溶けたという歌詞も同様で夏を氷に当てはめたのも素晴らしいです。夏の終わり秋の始まりは淋しいですが変な話、淋しいと思えることに対して安心させられるような妙な気持ちが心の片隅にあります。つまり、血の通った普通の人間としての感情が備わっていることを確認できてほんの少しだけ嬉しくさせられます。たぶん、文学、芸術というのはそのあたりと関係があるのかもしれませんがよく言われる芸術の秋という表現も理解できそうです。「通りすぎただけの夏」の歌詞、他に好きなのが知らない彼女と彼は理想の二人になるという箇所、夏の終わり秋の始まりも淋しいだけではないと思いました。
「九月になったのに」
「九月になったのに」は1972年に発表されたRCサクセションのアルバム「楽しい夕に」の収録曲です。暑くてうんざり、そんな気分をそのまま歌にするとこうなるという好例が「九月になったのに」、付随して汗が溢れシャツを濡らし肌にベト着く嫌な感じや耳障りな蝉の鳴き声が聴こえてきそうな曲でもあります。曲タイトルは秋を連想しますが分類するなら夏の曲、夏の暑さの苛立ちをここまで再現したとなると妥当、一方、不遇やミュージシャンとしての宿命も反映されていて苛立ちの要因はむしろそれらのように感じられます。この曲はアコースティック・サウンド、この曲に限らず「楽しい夕に」というアルバムは高音圧で絶妙な音加減、実に気持ちが良いです。演奏も素晴らしいと思いますがスタジオの特性やエンジニアの技師等の貢献は極めて大きいと思われます。2000年代のある雑誌の企画で日本のアルバムに限定したオール・タイム・ベストで一位になりました。「シングル・マン」や「RHAPSODY 」だったら理解できますがまさかの「楽しい夕に」の一位、ファンとしては嬉しかったし選んだ人たちも素晴らしいです。しかし、それほど、この一位による影響で後の評価が上がったような感じをしないのは残念、言わば、一位になったのに、そのような「楽しい夕に」であります。
「がんばれがんばれ」
「がんばれがんばれ」は1996年に発表されたSION のシングル曲、飲料水のCMに使われた曲です。嫁いだ娘を持つ母親という立場で書かれた歌詞は新鮮、でも、以前からSION はそのような気配は感じられたので予想が当たったような気分にもさせられた「がんばれがんばれ」でもありました。さだまさしの「秋桜」を連想させられる曲で歌詞も秋桜を選んでいるので意識したのかどうかは気になるところです。さだまさしの「秋桜」は結婚で母との別れを惜しむ娘の立場から書かれた歌詞なので「がんばれがんばれ」とは正反対の立場、また、「がんばれがんばれ」は結婚した後の歌詞なのでこれも正反対、両曲のそれぞれの娘と母親の性格は割と似ていて関係性も面白いです。さだまさしの「秋桜」とSION の「がんばれがんばれ」を続けて聴くと最適な並びですがこれに気付いていそうなミュージシャンが福山雅治です。調べると両曲をカバーしていて「秋桜」は自身のカバー・アルバムに収録されているみたいです。これもまた、予想が当たったような気分にさせられて嬉しいです。尚、SION と福山雅治は2005年にコラボレーション・シングル「たまには自分を褒めてやろう」を発表しています。
「新宿を語る 冬」
「新宿を語る 冬」は1993年に発表された仲井戸麗市(チャボ)のアルバム「DADA」の収録曲です。ジャンルはレゲエに位置付けられる曲、夏のイメージを選んだことで冬の寒さを和らげることに成功、付随して歌詞も含めてクリスマスのムードに心が弾む曲になっています。耐えるしかない12月ですが楽しいことを見付けて寒さをしのぎたいという心理がこの曲を好きにさせる理由なのかもしれないです。一方、新宿とチャボという組み合わせに思い出があることも関係があるからなのかもしれません。初めてのチャボのライヴ体験は「絵」というアルバムが発表された1990年その年の三月、場所は新宿の日清パワーステーションでした。この日はキヨシローも少しだけ出演という幸運、ところが全く終演の気配はなく11時を過ぎたところで最終電車が気になって退出することにしました。この日は独り、新宿駅を目指しましたが道に迷ってしまいました。新宿に加えて夜というシチュエーション、大変、狼狽えたことを覚えています。結局、始発を待って朝まで営業をしているビリヤード場で過ごすことになりました。結果的にその日、最も印象に残ったのが夜の新宿という恐怖でした。以上が自身の新宿を語るでした。