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9回目の挑戦で四段に合格できた話をしよう

昨日、県内の昇段審査が開催された。
僕は受けていないし、応援にも行っていない。
しかし、やっぱり結果は気になるものだ。

最近よく一緒に稽古をしている人が四段を受けていた。
彼は何度目の挑戦だろうか。
知っているだけで、3回?4回?

彼の実力がどれくらいかと言うと・・・
仮に僕と試合をしたとしたら、僕は全く勝てる気がしない。
スピードもパワーも腕の長さも脚の長さも若さも、何もかも負けている。
もちろん、イケメン度でも完敗だ。
恐らく年収も既に負けていると思われる。

そんな彼からインスタのDMが送られてきていた。

『感触は良かったのですが、ダメでした。』

文面からは落ち込んでいる様子がうかがえる。
その気持ちはよくわかる。
僕自身も、何度となく味わってきた。

なんであいつが合格で、自分が不合格なん?
あいつには一本も打たれてないし、有効打突3本くらい打ったし。

不合格になると、毎回そんな風に思った。

四段、受けたらいいやん!

僕が四段を受け始めたのは大学を卒業し、就職した23歳の時だ。
本当は四段なんて受けるつもりなどこれっぽっちもなかった。
僕の財布の中身と同じくらい何もない状態だったのだ。

四段なんて絶対に無理だ。
そう、思っていた。

実はこの頃、自分の中での生涯目標が四段だった。
だから、なおさらである。
23歳で目標を達成できるわけがないと思っていた。

どうして受ける気になったか・・・
その切っ掛けは、

『四段、受けたらいいやん!』

という、何気ないK先生の言葉だった。

えっ?
四段なんて、受けられるの?
こんなんで受けてもいいの?

口車に乗せられ、申し込みをしてしまった。

初めての四段審査

今でも覚えている。
初めて四段を受けた時、立合い相手の一人目は女性だった。
そして、グループ内ではその女性だけが合格した。

鍔迫り合いから全く離れてくれない。
イラッとしてしまった。
実力的には互角だと思ったが、結果的に不合格だった。

確かに悔しい気持ちもあった。
しかし、それ以上に感じたのは

あっ、このくらいで四段って合格できるんや!

ということだった。
このことが原因で、四段が何なのかもよくわからず、安易に考えてしまうことになる。

2回目から6回目くらい

初めて受けた四段の審査で、ある程度の手応えを感じた。

次は合格できるはず。

そう思い、3か月後の審査にも申し込んだ。
結果は不合格だった。

同様に3回目、4回目と申し込んだ。
残念ながら不合格は丘となり、山となり、やがて大きな山脈を築くまでに成長することになる。
こうなってくると、もう、何が何だかわからない。
その内、

四段なんて受からない

とさえ考えるようになってきた。
社会不適合者のようなものだ。
剣道不適合者なのだ。

そうなると、昇段審査を受ける事自体にも疑問を感じるようになる。
しかし、周りに流されて申し込み続けた。
人の流れに逆らえずに右往左往しつつも前に進み続けるしかない子供のようだった。

もう、剣道なんてやめよう・・・

どれだけ稽古をしても、やはり不合格となる。
もう、昇段審査どころか、剣道自体にも嫌気が差していた。

もう、剣道なんてやめよう。

そう思った。
剣道なんかより、楽しいことはたくさんあった。
職場の同僚と過ごす休日のバーベキューや彼女とのドライブは何よりも楽しかったのだ。

他の人が遊んでいる時に、剣道なんてしていられない。
そうなると、剣道よりも遊びを優先することになる。

しかしながら、週に1、2回程度の稽古は続けた。
いや、2回はなかったかもしれないが・・・

そして、また昇段審査に申し込んだ。

そんな気持ちで合格できるわけがない。
当然、また落ちた。

本格的に「剣道やめたい欲」がピークに達していた。
昨今の電気料金高騰くらいの勢いだったと記憶している。

剣道は出会いで変わる

6回目の不合格をいただいた後だったかと記憶している。
職場の近くの道場で稽古させていただくようになった。

びわ湖の対岸だ。

実は、びわ湖を挟んだ向かい側の土地は、昔から剣道が盛んな地域であった。
面白いことに、距離的にはそれ程離れていない。
びわ湖の向かい側は今では隣の市なのだ。(平成の大合併により)
それなのに、文化圏は全く異なっていた。
文化圏が異なるので、ほとんど交流も無かった。

たまたま知り合いの知り合いがその道場の稽古に参加するというので、連れて行って貰った。なんと、職場から車で5分のところだった。

たった5分の距離なのに、小さな水たまりが向こう岸の見えない湖くらいになった。
急激に世界が拡がる瞬間とはこういうものかもしれない。

文化圏が異なれば剣風も全く異なる。
「剣道」という括りでは同じはずなのに、こうも違うものなのかと驚いた。

そして、誰もが強い。
僕のような下手糞を相手に稽古しても、一切手を抜くことが無いのだ。

いつもの稽古会なら、どんなに強い先生でも最後は打たせてもらえる。
しかし、そこでの稽古は違った。
一本も打たせて貰えないのだ。

中でもI先生との出会いは雷に打たれたような衝撃を受けた。

I先生と出会ったのは、I先生が六段に合格された直後だった。

『旅行のつもりで家族と行ったら受かったんや。
試しに受けてみよと思っただけやのに。』

実に軽いノリである。
I先生にとっての昇段審査とは、そんなものなのだ。

I先生は、高校時代に試合で負けた記憶が無いと言う。
それが嘘か誠か、今となっては調べる術はない。
人の記憶なので、どこまで正確なのかはわからないし、忘れているだけかもしれない。だが、そんなことはどうでも良いのだ。

ちなみに、I先生はO体育大学の出身らしい(恐らく中退)。

『試合で負けたことないのに、先生が全然認めてくれんのや。
面白くなくなって辞めたわ。』

と言っていた。
剣道部の稽古についていけなくて退部した僕とは住む世界が違う人だった。

しかも、I先生の剣風は、今までに僕が出会ったどの先生とも違っていた。
大学の先生に嫌われるような、汚い剣道を想像されただろうか。
しかし、決して汚い剣道ではない。

I先生の剣風は、思い切って打ち、打ったら打ち切るというものだった。
あなたも経験したことがあるだろう。
打たれた側も気持ちが良い、スッキリした打ちなのだ。
もちろん、そこに小細工は全くなかった。

ただ、極端に間合いが近かった。
構えたら中結の交差する距離なのだ。
その時点で既に攻め込まれている。
四段連続不合格の僕ではもはや成す術がなかった。

しかし、そんなI先生との稽古は楽しかった。
たまに、二人っきりで稽古することもあった。

憧れとはちょっと違う。
言葉に言い表せないが、学ぶことばかりだった。

剣道をやめたいという考えは、気が付いたらどこかに消えていた。
もう一度剣道と向き合おう。
自然とそう思えた。
いや、I先生に一矢報いたいと言った方が正しいかもしれない。

何より、I先生との稽古を重ねることで、何となく四段に近付いている気がした。

でも、落ちた・・・

I先生と稽古するようになり、四段に近付きつつあることは確かだった。
しかし、その後の昇段審査でも不合格となった。

ただ、不合格だった立合いでも、確かな手応えを感じるようになる。

そして、
9回目の挑戦でようやく四段に合格することができた。

I先生との出会いから、3回目の挑戦だった。
たぶん・・・

ちなみに、その翌日から入院したのは、また別の話だ。

ここまで、二段を2回、四段を8回の不合格となっている。
この時点で既に10回だ。
二段の不合格については下記の記事を読んでいただきたい。

「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」(チャップリン)

こうやってnoteに書けるのも、不合格の経験があるからだ。
全部一発合格の人が羨ましいとは思う。
しかし、逆にそういう人たちは不合格の経験ができないのだ。

スラムダンクでも、こんな場面があった。

スラムダンク名言

言わずと知れた山王工業、堂本監督の名言だ。

不合格の山もいつか大きな財産になるはず。
きっと、近い将来、自分の経験を基にアドバイスをしてあげられる日が来るだろう。

あなたは、あなたの物語では主人公だ。
失敗や挫折を味わい、そこから這い上がるストーリー。
最高だと思う。

喜劇として語れるようになるまで、何かに打ち込んでみよう!

手前みそかもしれないが、こんなことを書けるのも、失敗続きだったからに他ならない。

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