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引かれたネズミ

今日は、ナイジェリア ラゴスにある西アフリカ最大のスラム街マココに行く。

マココは海へと続く湾に面した水上のスラム街で、水深4メートル程の柱の上にかろうじて家を建てて、そこに人が住んでいる。

ここの地域は元々、ナイジェリアの西海岸地域から漁師や船乗りたちが漁業目的地に住み着いたのが発端との事。
そのため、この地域では魚が安く手に入る。
とれる魚については、細かくは聞けていないがバケツいっぱいに積まれたものすごい数のナマズが取れていた。

この漁師たちは選んでここで最低限の生活を送っている。
また、ラゴスのどこかから流れ着いた孤児達が集まっていた。
スラム街や孤児とはいえ、NPO法人が建てた学校や医療施設もあるようで、特別生活に苦しんでいるわけでもないらしい。
また、マココ出身でラゴスの都心部へ巣立っていく若者もいる。
ただ、この環境で一生を過ごす人の方がまだ多い。

かといえば、生活環境はやはりスラムな訳で、水は暗く濁った灰色で、
家屋と家屋の間はゴミだらけ。
ゴミのポイ捨てに関しては、国民性と一括りにしたくはないが、マココ地域以外でも習慣的になってしまっている。

10年前にもナイジェリアへ訪れた時に、いとこの家で飲み終えたファンタのペットボトルをゴミ箱見つけられずしばらく手に持ちながら遊んでいたら、
いとこがそのボトルをとって窓から投げ捨てた。
東京の郊外で燃えるゴミ・燃えないゴミを分別して捨てていた学生時代の自分にとっては、かなり衝撃的だったのを覚えている。

水に関しては、もちろんながら飲料水は買い貯めないと行けない。
これは、スラム街の中も外も変わらない。
それ以外の日用水は雨水ないし、近くの井戸から組み上げた水をタンクにためて節約して使っている。
電気に関していえば、ラゴス州の電力会社から引かれている電気を使っているが、これに関しては国全体でまだ電力供給網に不安定さが残っており、
ここ5年で停電はほとんどなくなりだいぶ良くなったというが、僕がきてから10日ほど停電が続いたり、電気が戻ってきても15分に一度停電することもざらにある。原因は近所の電柱の破壊や機械故障などそれぞれ。
こんなことが週全体であるのなら、スラム街の供給網の不安定さはいうまでもない。
電力による恩恵についてはまた別の記事にまとめてみたいと考えています。

水に浮かぶ木造の家に、昼は黒く濁った水に浮いた排泄物やごみ、燃やされているごみや何かの匂いの中、夜は暗闇の中照らされる携帯の光を頼りに、もしくは何軒かに一台ある自家用発電機のひっきりなしエンジン音と家の光の共存の中に、確かに老若男女が暮らしている。

水路には、スーパーがわりに物売りが今にも沈みそうな小舟いっぱいに商品を詰めて一生懸命に日用品やお菓子に飲み物を売っている。
水路沿いの小学校からは、何かのカウントダウンをしているのか、子どもたちの力一杯の掛け声が聞こえてきた。

彼らが月に稼ぐ給与は200,000ナイラに届けば良く、日本円にしてたったの2000円弱。
為替や物価の違いがあれど、それは、外国人を見つけたらしつこく物乞いをするか、盗みまでも行かずとも落とし物を探しについてくる理由を物語っている気がした。
何分かに一回、身の回りの金品の確認を急ごうと思えば、水路ですれ違う反対から来た小舟に乗った少年に「イエーイ」とハイタッチを求められたり、家の窓からまだ幼稚園児程度の小さな女の子とその母親が延々と見えなくなるまで手を振り続けてくれたりする。

小舟を必死に漕いでくれているお兄さんの眼差しをみながら、彼らの肉体的な力強さとそれでも降りかかる生きづらい環境、おおらかさと貪欲さの二律背反する状況が可視化された気がした。
確かにあの水路に人は住んでいて、子どもたちは育っていて、でも生活環境への満たされなさや苦しみはあり、かといってそれに甘じているのか村全体でその生活が当たり前になっていて、自分の当たり前が彼らの前では通用しないのは当然ながらわかった。

ホテルへの帰り道、相変わらず舗装されていない道路で引かれたネズミを見つけた。
車に轢かれて、何度も潰されたあとでペしゃんこになり毛並みに砂埃が混じりながら、長いしっぽと頭や歯の形がまだの残っていた。
力強く動き生きながらも、コントロールしきれないインフラや天候に左右される明日の食事と妥協には、確かな生きづらさがあることを思いだした。

それでも、次の日の朝にはさらに風化が進んだ同じ死体をみて、
なんとなく絶え間なく次へ次へとどこか普遍的な進行方向へ進み、相反する何かを繋ぎ止めようとする、マココのみならず、国全体の発展する姿があるように感じた。

冒頭挿絵は、遠く船の上から手を振ってくれる親子の写真です。


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