祈り
ナイジェリアに滞在して、約1ヶ月たった。
縁があって、ここ3週間ほどはラゴスにあるAgo地域の日本カレーを売りにしているレストランで働かせていただいている
(無給です!色々現地について教えていただいたり、滞在中の身辺整理で助けてもらってもいるので何もいえないが、これははっきり言いたい。「無給です!」と。レストランについてはまた今度記事に書かせていただきます。)
Ago地域での生活もだいぶ慣れて、近所の行きつけのスーパーや屋台もできたりした。そして、明日ナイジェリア東部へ約8時間のバス移動をかけて、おばあちゃんに会いに行きます。
3週間の間、最初の10日ほどは停電が続き、レストラン運営に影響が出たりと燃料価格高騰による生活難に改めて直面した。
食材や余物は冷凍保存が効かず、だめにしたり買い直したり、それでもお腹をすかして仕事おわり来てくれるお客さんのためにスマホライトのみによる営業を強いられながら、お客さんと笑い話をするスタッフを見ながら不思議な感覚がした。
また、レストランで必要な食材の買い物やちょっとした遠出にレストランスタッフと出かける時は、軽自動車にながら道中で路端や高速道路の路肩で相乗り待ちの人をガンガン乗せて小遣い稼ぎをするなんてこともした。
それなのに、その軽自動車はナンバープレートを発行していないがために3度警察に止められて、軽い賄賂で見逃してもらったりもした。
そんなことを思い出しながら、3週間だけだったが少しずつ慣れてきた近所の街に寂しさを感じつつ、最後の晩餐探しをしながら歩いていました。
途中、うちのレストランのお米の買い付けでお世話になっている小売屋さんを通りかかり、「明日朝のバスで東部のImo Stateへ出かけてきます」とご挨拶をした。
そしたら、予想はしていたがものすごい形相で"Why?!"と聞かれた。
実は東部の地域ではイボ民族がナイジェリア政府からの独立を訴えるべく暴動や無差別誘拐事件が起きている。
この運動は、かつて1960年代後期起きた同様の独立運動から内戦に発展したビアフラ戦争からとり、ビアフラ運動とも呼ばれている。
そして、うちの父親や小売屋のおばちゃんもイボ族出身で、イボ族出身の彼らでさえ地元に帰るのを躊躇するほど、最後の大統領選以降ここ2年で治安は悪化している。
おまけに、今月はかつてのビアフラ戦争勃発した月でもあり、数週間で民衆と政府部隊の衝突が激化していて外出規制が出されるほどになっているという。
小売屋のおばちゃんは、東部へ行く理由、本当に行くのか否か、チケットの有無を聞いてから、僕を止めることはできないと悟ったのか最後に「君は神を信じるか、そもそもクリスチャンか?」と唐突に聞いてきた。
一応、親が熱心なクリスチャンだったこともあり、ここでは「神の精霊とご加護はあると思います」と答えた。
すると、おばちゃんはレジから僕の前へ出てきて、説教と祈りを始めた。
「神は精霊であり、それらが私たちを導き、私たちを危険からも守ってくれる。そしてそのご加護自体、私自身がイエス・キリストの名を通して求め従う必要がある。いい、ここからちゃんとアーメンといって私に続いてね」
この後、「神の精霊が彼の望む目的地に導きますように、イエス・キリストの名を通し、アーメン」みたいな文章と復唱が5文くらい続いた。
おばちゃんの目線は僕の目と天井の間を行き来していたが、僕を見る時の目力には勝てる気がしないどころか、若干半笑いで引いてしまっている自分がいた。今思うとそんな自分が悔しく切なく感じる。
今回の一人旅はものすごく楽しんでいるが、やはり住みにくさは感じている特に街のインフラ整備が遅れていると、人々は生活の中に自分の行動によるコントロールが効かない部分がかなり多くなるのだと思う。
自分の祖母にお金を貯めて10年ぶりにたった3日会いに行くのさえ、
命の危険が伴い、周りは止めるほどだ。
そりゃ、父も僕の渡航計画を聞いてから眠れなくなるわけだ。
小売屋のおばちゃんは最後に「気をつけて行ってきてね」と満面の笑みで送り出してくれた。
小売屋を出ると今度は男の人が路肩で、1平方メートルほどの布を地面に強いて、その上で北北東の方角へ土下座をする形でお祈りをしていた。
たくましく日々を走り抜くここの人々への尊敬の念と、
神へ祈り助けを乞うほどの経験をせずに引かれたレールを歩いてきて勝手に自立したつもりでいた自分への恥ずかしさを感じた。
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