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撃たれたのは「トランプ」だったのか?ー政治家の「政治的身体」に目を向けて

撃たれたのはトランプの身体ではない。トランプの「政治的身体」だ。

先日演説中のトランプ氏が何者かに銃撃されて傷を負った。幸い傷は浅く命に別条はなかったようだ。

このニュースがセンセーショナルだったのは、物理的な生命に対する危険性によるものだけではなかった。トランプ氏は銃撃された後、ボディガードに囲まれながらわずかながらその場にとどまり右腕を空に掲げたのだ。そのヒロイックな映像への収まり方が見る者に衝撃を与えたのだ。

この時トランプに何が起こったのか。

それはトランプ氏の物理的身体に対する侵襲から政治的身体に対する攻撃への置き換えが起きたのだ。

どういうことか。

内田樹はフーコーの「政治的身体」ついてこう説明する。

「政治的身体」は生理的・物理的な実体である身体とは別の水準に確固として存在する、「意味によって編まれた身体」です。それは信仰や政治的イデオロギーが骨格をなし、血液の代わりに記号や象徴が環流しているような身体です。

内田樹「寝ながら学べる構造主義」

トランプが銃撃され耳に傷を負ったのは生理的・物理的な実体に対する侵襲だ。だがその直後トランプが腕を空に掲げた瞬間、「政治的」に意味が編成されたのだ。

それは物理的身体を離れた別個の水準としての政治的身体への攻撃であると意味付けられた瞬間だった。

そこで私たちはどうすべきか。

トランプ氏の物理的身体を労わりながら、これからやってくる政治的身体へのイデオロギー的言及に厳しく目をやるという二重の態度を器用に取ることだ。


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