自責と他責
ある部署は自分たちの目標のために行動する
またある部署はそれに対して自分たちのミッションのために反発する
そこにまた別の部署が仲裁に入りその場をしのぐ
もはや小さな(根は深いが)揉め事は常態化し、個別調整という言葉はもはやルーティンになりつつある。
常に変化し、高い目標に向かう組織においては仕方ないことなのだろう。
みんなそれぞれが自分の、そしてチームの正義を振りかざし議論している。だから誰も間違っていないし、唯一無二の正解なんて無い。
頭では分かっていても、解せないし、胸が痛い。胸が痛いのは、誰に対するものでもなく自分に対して。
分かっていてもそれを解決することのできない自分の無力さに。
本来の業務が忙しい、そんなことは自分の仕事じゃない、それも分かっているし、みんなもきっと自分に対してそんなことは期待もしてないし責めることもない。
でも自分の中ではなぜか、その社内のいざこざを自分の責任と捉えてしまい、毎日胸の痛い思いをしながら業務をこなす。
見えたしまったものは全て、自分の責任だと感じてしまう。そう感じてしまった以上、何もできない自分は加害者なのだ。イジメにおける傍観者と同じ。
見て見ぬフリは本当につらい。
かと言って問題解決に食い込んでいけるかと言うと、行けない。これ以上の仕事量を請け負うのはもはや恐怖だ。体と心を壊した経験があるだけに。
業務を減らせばいい。捨てることも大切。
これも頭では分かっている。書店に行けばそんな事が書いてある本はいくらでもある。
けど自分がそうすることで、結局それは別のメンバーがやることになる。
みんな土日も持ち帰りもサービス残業も厭わず一杯一杯の中でやっていて、自分だけが業務を捨てることもできない。
上司もしかり、上司が一番余裕がない。マネジメントどころではなく実務で余裕がない。
こんな状況で誰に頼り、どうやって会社を良くしていけばいいのだろうか。
そもそも自分のような一社員が、こんな大きな会社を変えようなんて思うことすら馬鹿げてるのかもしれない。
ここまで書くともはや愚痴でしかない。全くもってみっともない。
転職したい。
当然そう強く思ったこともある。でもそれは多少心に余裕のあった時だ。
時間も心も余裕がなくなると、そんな感情すら失せてしまうと最近気付いた。
ましてや今転職することは、見て見ぬフリどころの話ではなく、逃げであり裏切りだ。そう思ってしまう。こんな気持ちで転職活動をしても、良い結果が出るはずない。
後ろ向きな自分も、弱い自分も、変えてくれる人なんていなくて、自分でどうにかするしかない。それも分かってる。そうやって今までも乗り越えてきた。
答えは結局、自分の中にあるのだ。見えていないだけで。
みんなハッピーに仕事をしてほしい。
ありがとうがあふれる会社にしたい。
嘘なんてない会社にしたい。
個々が自立して考えられるようにしたい。
こんな理想を実現するのは何年かかるか分からないし、できないかもしれない。
掲げる目標が大きすぎるのかもしれない。
でも自分の譲れない目標を改めて思い出せた。
目先の事しか見えなくなると、思考も視野も狭くなる。
目標に近道なんてなくて、積み重ねと継続。すぐに結果なんてでない。
自分が笑顔になって
自分がたくさんありがとうを言って
嘘はつかず
自立して考える
自分がそうすることこそ、今はっきりと分かる自分の中の答えだ。簡単なことだった。
だいぶ前向きになれた。
明日からも頑張ろう!
書いた文書見返す余裕もなく、原文書きなぐりのまま...
まぁいいか!