フェーズ3 〜本当に辛かった日々

文化的な最低限度の生活を送れない

会社の待遇や環境は今思えば劣悪であったし、一人暮らしをしていた家賃(6.5万)を引くと生活保護受給者と同じような水準で生活をしていた。交友に使えるお金はほとんどない。
余談であるが、当時は食べていくことで精一杯でNHKの支払いができなかった。定期的に勧誘は来たが、給与明細を見せるといつも帰って行った。(しかも今思い出したが、給与明細は経理の手書き。)つまり支払能力が無いと見なされたのだ。嬉しいような、悲しい記憶である。
今はもちろん、コンテンツへの感謝も込めてきちんと支払っている。
改めて言うが、これは昭和の片田舎の話ではなく2007年の関東ど真ん中での話だ。

絶望

会社のブランドも知名度も無く媒体は古くてダサい。なので当然広告としての結果もでないので、顧客からのインバウンドは皆無。なのに競合より価格が高い。毎日飛び込み営業を20〜30件はこなしていたが、仕事の話が1件でもできれば万々歳だった。しかも私の担当エリアは新規参入エリア。立ち上げ2ヶ月で担当の先輩2名は音信不通で消えていった。新規参入エリアにニート上がりの社歴2カ月の自分1人。この土地に縁も所縁も思い入れも何もない。プラスに感じられる要素は一つもなかった。こんな環境でどうやって売ればいいのか、これを絶望と言わずして何を絶望というのか。というくらいに当時は落ち込んでいた。

覚悟と開き直り

でも3年はやると決めた。生きて行くにはやるしかなかった。もうニートの孤独はゴメンだ。時間はかかったが大きな気付きはあった。「営業は商品じゃなく、自分を買ってもらえ」。聞いたことのあるキーワードが、2年ほどたったのちにようやく理解できた。それまでは会社の文句ばかり考えていたし口にしていた。できないことを会社の責任にしていた。ただある日読んだ本に胸を刺された。「無理だと思っていることは世界中の誰がやっても結果は同じですか?」。すぐに自分の力不足だと感じた。できない言い訳を探すスキルだけが高くなっていた。全く意味の無いスキルしか、この手には残っていなかったのだ。

失敗
試行錯誤
また失敗
考えて考えて
やっと成功
でもまた失敗して
また考えて
うまくいって

自分一人でこの経験をできたことは何にも変えがたい経験だ。教えられて理解できるものではない。本当の気付き以降は成長したと思える。今もなお自分の礎となっている部分がこの期間に醸成された。シンプルなことではあるが、シンプルなことほど意外と気付いていないのだ。

フェーズ4に続く...

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