自己紹介と近況報告とB’z presents UNITE #01初日レポート



私の今までの人生は決して幸福だったとは言えないでしょう。

私には小学校以前の記憶がほとんどないんです。
記憶とすら呼べない程うっすらと覚えている事は機関車トーマスか何かのテレビを兄と見ていたら「音がうるさい。」と怒鳴られ母が私と兄に向かって包丁を投げつけて来た事や何らかの理由で母を怒らせてしまいベランダに閉め出され鍵をかけられた事です。
私は母の顔すら覚えていません。
以前はそんな母をひたすらに憎んでいました。
ただ詳しくは後述しますが今私は躁鬱病を抱えているからなんとなく思ったのですがもしかしたら自分がお腹を痛めて産んだ子供に強く当たってしまう程のストレスを私の母は抱えていたのかもしれません。
子育てなんて誰もが未経験だからそのやり方を間違ってしまっただけでは無いだろうかと思うようになりました。
離婚の理由を最近になって父に聞くと母の不倫が原因で父がもう母と一緒にいるのが嫌になったかららしいです。
不倫はいけない事だと思います。
家庭をむちゃくちゃに破壊する行為だからです。
テレビではいつも芸能人の不倫が人気ですね。
でも、これももしかしたらなんらかのストレスを母が抱えていてその逃げ道が不倫だったのかもしれないと思うともう憎もうという気持ちにはなれませんでした。
以前は殺したいほどの憎悪がありました、もし私の人生がもう這い上がれない程のドン底に落ちたとして母が新しく家庭を持って私より幸せにしていたら殺してやろうと思っていました。
ですが、私自身が精神病になった事で母の狂気とも取れる凶行にも何か理由があったのでは?と思うと憎しみは和らいでいきました。
離婚に伴い私と兄は父方に引き取られおじいちゃんとおばあちゃんの家で暮らし始めました。
おじいちゃんはいつも私に冗談を言うひょうきんな人でおばあちゃんはいわゆるドラえもんののび太のおばあちゃんみたいなステレオタイプのおばあちゃんでは無く何かあったらすぐキレる、自分の思い通りに行かないとすぐキレる、でも数日経てば必ず許してくれました。
後述しますが私がいじめられた時はすぐに学校に怒鳴り込みに行って「ウチの子に何するのよ!」と怒ってくれるガッツと優しさを併せ持つ人でした。
性格はキツいからもしかしたら私の母はおばあちゃんと相性が悪くストレスが溜まって虐待や不倫に走ったのかもしれないと思う事もありますがなんやかんやで私はおばあちゃんが大好きです、育てて貰った恩に比べたら日々の小さな喧嘩なんて大した問題ではありません。
今でこそ私の中で性別は曖昧な物になってしまっているけど結婚願望は私にもありましておばあちゃんにひ孫の顔を見せてあげる事が一番の孝行になると思っています。
性別は曖昧になってしまっているけど今は女の人が好きなのでこんな私を好きになってくれる女性がいれば是非とも結婚して子供を作って欲しいと思います。
おばあちゃんが生きている間に。

話を戻しましょう。

幼稚園と小学校低学年の頃、私はいじめを受けていました。
身長が高いくせに運動がまったく出来ず母に捨てられたショックで自分に自信が無くていつもおどおどしていていたからいじめの恰好の的となっていました。
そんな私を変えてくれたのが2つあります。
それが吉本新喜劇やお笑いとB'zとポルノグラフィティなどの音楽です。
吉本新喜劇やお笑い番組を見てその真似を次の登校日で学校で披露するとみんなが笑ってくれました。
今までの嘲笑ではなく本当の心の底からお腹を抱えて笑ってくれました。
あの瞬間の気持ちよさったら他に変えられない。
私は人前に出て目立つ事が大好きになりました。
それが後にバンドを組んでライブをする事に繋がるのでしょう。
高学年になると自ら学級委員に立候補して全校生徒の前でスピーチをしその途中でギャグを飛ばしみんなを笑わせました。
だから、吉本新喜劇やお笑いにはとても感謝しているし未だに土曜のお昼は吉本新喜劇を見るのが日課ですしこれからも見続けると思います。
ついこの間、石田靖さんと私が好きな芸能事務所スターダスト所属の大阪のアイドルたこやきレインボーの共演する新喜劇を見に行ったのですがこれが本当に素晴らしかったんです。
これも後述しますが私が愛知県で働いている時は毎日たこ虹の歌を聞いてホームシックになって泣いておりました。
吉本新喜劇にもたこやきレインボーにも私は借りがあるから応援し続けたいと思っています。

そして音楽です。
私の父は悪く言えば歳の割にはミーハー、よく言えばテレビ好き、新しいもの好きです。
(最近も父からヒゲダンを教えて貰いました。)

小学校低学年の頃ドライブ中にその当時よく流行っていたB'zのPleasureⅡやBIG MACHINE、GREENを流してくれました。
私は幼稚園の頃からその時まで音楽が大嫌いでした。
音痴だしタイミングよく楽器を鳴らす事が出来なくて苦手意識があったからです。
B'zは私の人生の中で初めて受けた稲妻でした。
ultra soul、野生のENERGY、IT'S SHOW TIMEなどの楽曲に衝撃を受けました。
後にけなたき少年はこれがロックという事を知るがそれはまだまだ先のお話。
特に野生のENERGYの歌詞に感銘を受けました。
このまま真っ平らな人生を歩むと子供ながらに夢のない事を思って生きていました。
幼少期母から虐待を受けていたので将来の夢や希望なんて持てなかったんです。
そんな時本当に野生のENERGYの歌詞のように晴天の稲妻のように君(B'z)が現れました。
生まれてはじめて夢中になるほどカッコいいものを見つけましたを
ゲームよりずっとずっと面白くてカッコいいものを見つけました。

そして小学校5年生の時臨海学校の出し物で俺は漫談をみんなの前で披露しました。
手応えはしっかりとありみんなを笑わせた自信がありました。
自分のステージが終わり他の演目を見ているとクラスメイトの友達数人がラジカセとマイクを持ってきて歌を歌い始めました。
その時聞いたのがポルノグラフィティのアゲハ蝶。
なんて素晴らしい歌詞なんだろうと私は思いました。
B'zの稲葉さんの歌詞とは違い詩的で美しいと感じました。
臨海学校が終わってから帰ると私はすぐにポルノグラフィティのCDを借りにTSUTAYAに自転車を走らせました。
この頃からB'zやポルノグラフィティだけでなくロックというものに興味が出始めました。

それから数ヶ月か一年ぐらいの間にポルノグラフィティがテレビで特集され私はテレビに齧り付いてそれを見ました。
ポルノグラフィティの地元因島で故郷を振り返りライブをするというものでした。
それを見て私は晴一さんに憧れるようになりました。
B'zも松本さんの事が気になりだしました。
ギターというものに興味を持ったからです。

私の家はあまり裕福ではなく塾や習い事は行かせて貰えず周りの友達と比べて誕生日やクリスマスプレゼントも質素な物が多かったです。
私は父の部屋で毎日エレキギターについてパソコンで調べました。
後ろから父が見ているのを確認しながらあえて見続けてある日とうとう父に「ギターがやりたい。」とお願いしました。
父は友達の弟が昔使っていたYAMAHAのエレキギターを借りて来て私に与えてくれました。
それからはもう毎日ギター三昧。
B'zやポルノグラフィティは弾けるようにならなかったけどギター触ってる時間が他の何より楽しかったです。
ですが、これが父からの最後のプレゼントとなりました。

小学校高学年の頃、父が再婚しました。
父よりも12歳も年下の若い女の人がお嫁に来ました。
おばあちゃんに女の人は頭を下げ「私は自分の子供は要りません、なので一緒に暮らさせて下さい。」と言いました。
家族が1人増えました。
未だに新しいお母さんとは思えてはいませんが家族であるとは思います。
おばあちゃんが言うには「鈍臭くて気遣いが出来ない、前の嫁の方が良かった」と言いますが私からすると優しくて穏やかで暴力を振るったりしないので父の新しい奥さんは好きです。
はじめからこんな人と結婚してくれたら良かったのになぁと思った。
でも、ここから弊害が生じました。
悲しきかな人間の性。
父は私と兄から興味を失ってしまいました。
奥さんとは仲が良く楽しくいつもお喋りしています。
おばあちゃんが言うには前の嫁とはこんな仲良くなかったといつも言います。
夫婦仲が良いのは素敵な事だと思いますがはっきりと私と兄へ興味を失ってしまったようです。
例えば誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントをくれなくなりました。
私はずっと文句を言わずに黙って我慢していましたが20歳になった時、周りの友人がみんな貰っているから成人祝いを下さいと言ったら「そんな金ないわ!」と怒られました。
自分の稼ぎが少ないからと言って子供に当たらなくてもと思いました。

進路相談にも乗ってくれなかったので好きなように選ぶ事ができましたが相談はしてもらえなかったです。

私の父は自営業でリフォーム業者を営んでいます。
父の奥さんは派遣会社でサラリーマンをしています。
いわゆる共働きです。
めちゃくちゃ貧乏という訳ではないですがおばあちゃんとおじいちゃんの年金も使ってやっと毎月暮らしているらしいです。

私はみんなの前で漫談をやったり今も毎日Twitterでふざけた事を言ったり友達と一緒にいるとボケかツッコミかで言うとボケに回る方なんですけど父は私の話で笑った事がない。
私はおしゃべりが好きで友達と何時間でも話せるし対面でも電話でも話す事が大好きです。
だが父は元々無口です。
父から話かけてくる時はだいたいおばあちゃんを通して「部屋を掃除しろ」と言う時だけです。
血の繋がった親子なのに全然似ていない。
顔はよく似ていると親戚に言われるのですけどね。


それから学生時代、私は早熟でした。
いつも好きな女の子が居ていつもイキ告(いきなり告白)してフラれて来ました。
今思えば母親がいないから欠けた部分に愛情を注いでくれる人が欲しかったのだと思います。
家族から愛されてる自覚も無かったしいつも好きになってくれる女の子を求めていました。
母に虐待されたトラウマで女性に少し恐怖感があるのだけれどそれでも欠けた部分にハマってくれる人が欲しかったんだと思います。

高校になると何人か彼女が出来たがみんなに「愛が重すぎる」と言われ振られました。
未だに「愛が重すぎる」って言葉の意味はわからないです、好きになったのだから全力で好きな気持ちを伝えているだけだし見返りなんて求めていないのに。
わからないです。

でも、私の高校時代にはイマイチな恋愛も出来たが素晴らしい体験が出来ました。
それが軽音楽部への入部です。
入学式の日に中学の友達が同じサッカークラブに入ってた別の中学の男の子を呼んできて三人で中学の友達の子の家に行きスマブラをして遊んですぐに仲良くなりました。
その子は私のクラスメイトだったので初日からクラスメイトと友達になれたのはとてもラッキーでした。
私は新しい環境が苦手でプレッシャーに弱いから中学の友達には本当に感謝しています。
友達になったクラスメイトから「部活はどうする?俺たちはもちろんサッカー部だけど。」と聞かれたので私は食い気味に「軽音楽部!」と答えました。
次の日実際にクラスに分けられて学校の説明などがはじまった。
プリントを回す時に前の席の子に話かけてみました。
彼は中学の時はサッカー部だったが高校ではなんと楽器を始めたくて軽音楽部に入るらしいんです!
やった!と思いました。
私はすぐに自分も軽音楽部入部希望だと返事をして握手しました。
彼とは大学も同じになり今も友達でもう12年の付き合いになります。

それから昨日出来たサッカー部の友達が休憩時間に他のクラスから自分と同じ中学の男子を私の前に連れて来てくれました。
なんと彼も軽音楽部入部希望で中学の頃からバンドをやっていたらしいのです。
経験者が来ました!しかも彼はベース!一緒にバンドが組める!
私達はすぐに仲良くなりました。

説明会が終わり部活紹介を受け実際に軽音楽部に行くと優しい先輩達が出迎えてくれました。
だが、これはその年からの取り組みだったらしいです。
元々私の高校の軽音部は部活動として成り立っておらず他校では当たり前のパート別練習等が無く自分のバンド練習日だけ来て他のバンドとは関わりも無い状態だったらしいのですがそんな環境をある人が変えてくれました。
それがとあるOBです。
そのOBはOBと言っても私から見て4〜5歳年上とかでは無く初めてウチの高校に軽音部指導に来た時には今の私ぐらいの歳だったので高校生とはかなり歳が離れている方でした。

そのOBはここでは話す事が出来ないとても運命的な理由で軽音部の指導にやってきていました。
私の2個上の先輩が1年生の時に軽音部に来たらしくまず最初に横の繋がりを作り同じ学年で別のバンド同士と仲良くなる事から始めたらしいです。
次の年、つまり私の一個上の先輩が入った時は上手く接する事が出来なかったらしいです。
なのでさらにその次の年つまり私の代の時には放課後学校の近くにある大きな公園に部員全員で行って1人ずつ自己紹介をして鬼ごっこしたり怖い話したりして遊びました。
夏にはBBQもしました。
私は中学の時に部活動をしていなかったので初めて出来た同い年の部員も一個上の先輩も二個上の先輩もOBも大好きになりました。

ですが、入部してすぐに問題が生じました。
音楽性の違いです。
私はその時B'zとポルノグラフィティとTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTとBLANKEY JET CITYとニルヴァーナとセックスピストルズしかバンドを知らなかったです。
なんとか音楽の話題の輪に入ろうと必死でみんなの聴いてるバンプやラッドやアジカンやワンオクを聴きました。

この時から私は柔軟に何でも受け入れる事が出来るようになったと自分では思っています。

ですが、それは自分の中だけ思っていただけで私はどうやら態度にとても問題があったらしいです。
初めは二個上の先輩からとても嫌われていて「なんなんアイツ?」と思われていたらしいのです。
後になってOBから聞きました。

OBは「いや、アイツは変われる」と私を信じて何かアドバイスする訳でもなくただ私の成長を見守っていてくれました。
二個上の先輩はよく学校の外、つまりはライブハウスでライブをしていたのでそれにくっついていって他校のバンドとも仲良くなりました。
この時の経験を生かして自分が三年生になった時に後輩が他校のバンドとイベントを打ってライブする時には率先してサポートするようになり他校の後輩も出来ました。

話を戻すとそれから私も先輩になり今度は後輩が出来ました。
その直前に私はバンドメンバーと音楽性の違いに喧嘩をしてバンドを辞めていたので少し浮いてる先輩、自分のバンドがないからいつも練習室に来ている先輩としてすぐに後輩と仲良くなれました。
あまりギターを弾いてる姿を見せた事も無いのに慕ってくれる後輩達がか可愛くて仕方なかったです。
それは三年生になってもう一学年後輩が出来ても同じでした。
それに加えて、私が高校三年生の時には卒業した一個上の先輩と一緒にオリジナルバンドを組みました。
喧嘩して辞めたバンドの子達と仲直りはしたけれど彼らは既にオリジナル曲を作っていたのでやっと追いつけたと思いました。

高校時代はこんな感じで彼女は出来ましたが長続きはせずバンドは学祭に出るためだけに即興で組んで部活動はあまりせず先輩とバンドを組んで楽しく過ごしました。
進路は音楽の専門学校と大学どちらに進学するかでとても迷った結果、同じ学年で一番活躍してたバンドの子達がほとんど音楽の専門学校に行ったので天邪鬼な私はあえて大学進学を選びました。

そして高校の卒業式。
誰にも卒業アルバムの後ろのページには落書きしてもらわず即帰宅してガラケーからiPhoneに機種変更したという寂しいエピソードがありますが逆にとても温かいエピソードもあります。
当時流行っていたSNS、mixi(懐かしい)にOBがこんな日記を書いてくれました。


"今年の卒業生に、
1年生の頃どうしようもなかった奴がいました。

ただのクラスメイトなら、
あいつ嫌い。とかで済むんでしょうが、
年上から見て、ましてや学生の世代に対して、
好きも嫌いもないです。

どう受け止めるか、
どう伝えるか、
考えるしかないです。

自分も同世代ならほっとくというか、
変われない年齢ってのもありますし。

年齢のせいにしてはいけませんが、
若いうちはどうとでもなると思います。

今だから言いますが、
こいつが1年生のときに、
当時の3年生から、
なんなんあいつ。みたいな話も色々聞かされました。

いや。あいつは変われる。
って、言い続けてたのはいいんですが、
自分が1番近い距離で接して任しとけってほうが簡単なんですが、
全部自分がやっても意味ないし、過保護になってもダメかなと。

小さなきっかけや言葉をいっぱい与えて、
あとはそいつ次第みたいに見守ってきたつもりです。

まだまだ発展途上ですが、
見せてあげたいです。

一匹狼みたいだったあいつが、
友達や後輩に囲まれてる姿を。"



"誰のおかげ、
誰のせい、
そんなことはどうだっていいんです。

結果を出したのは自分自身。

高校3年間で楽器が上手くなりました。
そんなことよりおっきな成長を見せてもらいました。

音楽やバンドにおいて1番大切なモノは
演奏力ではないと思ってるのですが、
その思いが1番伝わって、
実行してくれた人だと思います。

気持ち的な面で伝えたことはいっぱいありますが、
ここまでカタチにしてくれるなんて。"


"何回も本気で怒ったし、
何回も本気で褒めたし、
何回も本気で笑いました。

今だから言えますが、
出会った頃はどうしようもない奴でしたが、
問題児って言われるような人のほうが本気になるもんです。

問題ないならほっときゃいいだけですしね。

そこは俺に似なくていいのに
ってとこまで色んなことを受け継いでくれました。

音楽を通じて音楽を学ぶ為に出会った筈なんですが、
音楽以外のことを伝えるほうが多かった気もします。

実際楽器の上手い下手なんてどうでもいいと思ってます。

どんな気持ちでどんな思いを込めて
どんな音を奏でるか。

確かにうまけりゃ幅は広がりますが、
下手でも楽しめるし楽しませれるし、
上手くても楽しそうじゃない人も、楽しませれてない人もいます。

音楽を教えるってのは、
理論がどうこうとかでは伝わらないと思ってるし、
気持ちの面の話をすることが多いです。

それが自分の練習法だったから仕方ないです。
楽器弾いてる時間は人並みですし。

それにしても、
高校時代、先生よりも助けられた恩師。って、
なんか学校の先生に悪いですね。

もしも話は結果論ですが、
出会ってなかったらどうなってたんでしょう。

高校生活楽しめてなかった。
軽音部辞めてた。
学校辞めてた。
音楽辞めてた。

シラネ。

付いてきてくれたのも
結果を残したのも自分じゃないし、
出会わなかったほうが
もっと楽な生き方出来てたんじゃないかな
とも思いますし。"



本当にこれを見た時涙が止まりませんでした。
私の事をこんなに気にかけてくれる人がいるってはじめての経験だったので本当に幸せでした。
高校でのどんな恋愛や経験よりもこの言葉で成長できたと思います。

「一匹狼みたいで自分以外は全部敵!」みたいな姿勢だったらしいのですがそんな自覚は全く無いんですけどね。笑


そして大学
「ウチの軽音団体は全部ダメだから俺がサークルを新しく作る!」とか抜かしてた自意識過剰で頭の悪い奴の口車に乗せられて既存の軽音サークルには入れませんでした。
そのサークルは彼自身の頭の悪さが自爆して自然解散してしまいましたが忘れられない人と出会う事が出来ました。
それが私の今のところ最後の彼女です。

そして夏には先輩と一緒にやっていたバンドが活動の限界を迎え解散しました。
それぞれ大学が違うので距離が遠過ぎて続ける事は不可能でした。
もう連絡がつかない先輩もいますが未だに連絡を取れる先輩も含めて私はこのバンドメンバーが大好きです。

バンドが解散して大学生活に集中するようになると友達グループができました。
そこに前に入って自然解散したサークルで出会った女の子がいました。
よく笑いよくお酒を飲みよく遊ぶダンスサークルの女の子でした。
出会った当初はお互いにパートナーが居ましたがお互いにあなたがパートナーだったら良いのにと言い合っていたらお互いちょうど別れたタイミングでお酒の勢いでセックスをして付き合いはじめました。
付き合いの始まり方はいわゆる大学生みたいで最悪でしたが私は彼女が大好きでした。
根っこから明るい人だと思い込んでいました。
彼女の裸を見るまでは。
彼女の二の腕は剃刀で切った跡まみれでした。
私も中学生の時に生きづらさを感じた事があり自分の手首を切った事がありましたがそれはいわゆる反抗期に親と上手くいかずストレス解消がてらに切っていました。
今ではその傷跡を見るたびに親から貰った大切な身体を傷つけた事を後悔しています。
ですが、彼女のそれは私とは比べ物にならない量でした。
彼女の実家の自室にはベルトが吊るしてありいつでも自殺できるようにしていたと言うのです。
そうです、いわゆる"メンヘラ"というヤツです。

彼女は料理が出来ないので私もできないながらもインターネットで検索して見よう見真似で自炊をして彼女に振る舞い半同棲生活が始まりました。
というより始めざるを得ませんでした。
私が実家に帰ろうとすると彼女は必死に止めてきます。
なんとか説得して家に帰ると二の腕を切った写真を送信してきました。
「彼女から目を離してはいけない、俺が守らなくちゃいけない。」と私は思いました。
いわゆる共依存というものですね。
ですが二人の共同生活はすぐに終わりました。

2月頃、大学生の春休みが始まると彼女は休みの間は実家に帰ると言いました。
私は夜遅くまで頑張ってお弁当を作り朝にはそれを持たせ彼女を見送りました。
それからしばらくした日、彼女からLINEが来ました。
「別れよう」と言われました。
突然の事でしたが私はホッとしました。
やっと心配事だらけの日々から解放されると思ったからです。
ただ、彼女は実家に帰って元カレとセックスをしていました。
元カレに抱かれたから気持ちが戻ったのです。
私はその日から未だに女性を心の底から信用する事が出来ません。
あんなに愛して尽くしたのにどうして?
まだハタチにもなっていない私には耐え切れませんでした。

さらに最悪だったのが大学一回生の時に出来た友達グループの中で彼女が私の悪口を回しました。
自分の浮気を棚に上げてです。
そして友達は私の元を離れて行きました。
私はひとりぼっちになりました。
私の心はヒビだらけになってしまいました。

そのあとはすぐライブの予定がありライブに集中する事で彼女の事は忘れようとしましたし、同じバンドのドラムの子の事が好きになったのですぐに心の隙間が埋まりました。

ライブは上手く行き楽しかった一回きりのバンドも解散しました。
私はドラムの子と二人で飲みに行ったりしてデートをして告白をしました。
高校の時はよく別れていたけど彼女はいつもいたしつい最近まで彼女いたし何の不安も無く付き合えると思っていました。
ですが、彼女の答えはNOでした。

今思えばライブをしなくなり人前に出なくなり前のメンヘラ彼女との共同生活で食生活が乱れめちゃくちゃに太ってしまっていたのでそれが原因かもしれません。
でも、彼女は本当に優しく元気で快活な子でメンヘラでは無かったのでそうじゃないところが合わなかったのでしょう。
今までの彼女はメンヘラかメンヘラ気味の女の子ばかりだったのですぐに付き合えましたが彼女は普通の女の子だったので振られたのはかなりショックでした。

でも、それよりもショックな事がありました。
一回きりのバンドで一緒だったギターの友達と飲みに行った時の事です。
彼はちょうど人生初の彼女が出来たばかりで私は元カノと別れたばかり好きな女の子に振られたばかりでその日は結構な量のお酒をお互いに飲みました。
それがいけなかったのかもしれません。
彼と私の好きだった女の子はとても仲が良かったのですが、彼が口を滑らせました。
「あの子からお前の事どうしよってLINEで相談来てほんまに大変やったんやからな〜!」
と。
それを私に言う意味はあったのでしょうか。
未だに私はこの言葉に傷ついて深く心を抉られ続けています。
二人だけの秘密にしておいて欲しかった、私のせいで好きな女の子に迷惑をかけて悩ませてしまっている事実に私は耐え切れず一気に酔いが醒めて行くのを感じました。

私は元カノを寝取られ友達も奪われた事と酔っ払った友達が口を滑らせた事で人間不信になってしまいました。

それに加えて以前に高校の先輩と人生で初めて居酒屋に行った時に自分のキャパシティを知らずにバカスカ飲んでテーブルにゲロを吐き散らして先輩達にめちゃくちゃ迷惑をかけた事と酔っ払って口を滑らせた友達のせいで私はお酒が大嫌いになりました。
元々下戸の家系の生まれでビール一杯で頭が痛くなるほどだったので何も苦しくはありませんでした。
ただこの下戸が後々私を苦しめる事になります。
お酒が飲めてストレス解消をする事が出来たならば鬱病にはならなかったかも知れません。

それから私はとりあえず友達を作るために1回生の冬から軽音サークルに入りました。
サークルのメンバーは同級生も先輩も暖かく迎えてくれましたがもう既に交友関係は定まっておりみんなパートナーがいました。
それ自体は私にとってどうでも良かったのです。
何故なら元カノを寝取られ好きな人に振られ迷惑をかけてしまったばかりで恋愛をする気には到底なれなかったからです。
ですが、どうしても大学生でパートナーがいると友達との遊びよりもパートナーを優先する人が多いので遊び相手に困りました。
そこで私は他のサークルなどに入りました。
私の大学には6つの軽音団体がありましたがそのうち4つに入りましたし残りの2つにも友達を沢山作りました。
このおかげで大学時代は暇になる事は無かったです。
そのほとんどは卒業後に付き合いは無くなってしまい大学卒業しても未だに遊んでる大学の友達はゲームとアイドルとヘヴィメタルが好きな友達一人くらいですが。
なんやかんやで大学を遊び呆けた私は4回生になったもののほとんど単位はありませんでした。
卒業ギリギリでした。
それに4回の春に久々に好きな女の子ができました。
それまではリアルの恋愛に飽きてアイドルを追いかけるという趣味に没頭していたので2年ぶりくらいの恋でした。

いつも困り顔でほっとけない可愛らしい女の子でした。
ですがその時私はもうサークルでしかライブはしないし恋愛に興味が無くなっていたし遊び呆けていたので食生活は不摂生で体重は120キロを超えていました。
彼女のハタチの誕生日のお祝いにお酒を飲みに行きそこで冗談交じりに「俺と付き合ってよ」と言うと彼女は「痩せましょたきさん!」と返事されました。
答えになってないぜ姉さん。
そこから私はダイエットを始めました、7月からダイエットを始め10月頃には70キロ代まで体重を落としました。
ひたすら歩いて炭水化物を取らない生活をしていました。
ですが努力も虚しく彼女からのLINEは返事が来なくなってしまいました。
そこからまた徐々にリバウンドをしていきます。

春学期の最後をダイエットに費やしたので秋学期は本当にギリギリでなんとか30単位取って本当の本当にギリギリのギリで卒業しました。
もちろん就職活動なんてしていません。
何故なら音楽をするつもりだったからです。
就職せずに音楽をする事を家族に伝えると怒られましたが最終的には応援してくれました。

卒業後は作曲やスタジオ練習などをしながら漫画家を目指してる後輩のコネで工場でアルバイトする事にしました。
その工場はうさぎの主食となるチモシーという牧草をアメリカから輸入してきて検品して梱包しネットショップで売る工場でした。
私の担当はアメリカ特有のずさんな管理をされた牧草をふるいにかけて検品し不要物や異物(銃弾が入っている事もありました!)を取り除いて袋詰めし綺麗にしてから段ボール箱に詰める仕事でした。
社長が元バンドマンという事もあり私をえらく気に入ってくれて本当は3日間の研修の後に本採用か決まるのにいきなり本採用して頂けたり特別に休暇をくれたり大変良くしてもらいましたし同僚や先輩や上司は少し苦手な体育会系でしたが基本的には優しく接してくれました。

9ヶ月程働いた時、転機が訪れます。
まず最初に起こった事は私が応援している私立恵比寿中学というアイドルのメンバーである松野莉奈さんが突然お亡くなりになりました。
大好きなアイドルグループの大好きな子が亡くなったショックで私は会社を休みました。
今回の記事はあくまで私の自己紹介とB'zについてのお話なのでアイドルについてのお話は割愛させて頂きます。
彼女への思いは曲にしてるのでTwitterID @hinotori_raidenを検索してYouTubeで聞いてみて下さい。

とにかくショックでしたし何もやる気が出ず私はベッドで横になって泣いていましたがずっとこのままではいけない!と思い私に出来る事を探しました。
私は音楽家を志す者、彼女の為に曲を作ろうとしました。
ですが何故だかギターが上手く弾けません。
手が痒くて痒くて仕方ないのです。
よく見ると手のひらに赤い斑点がびっしり出ていました。
元々工場のバイトでは常に牧草をふるいにかけて検品する際に大量の埃が出てそれを吸っているので身体にアレルギー性の皮膚炎が出来ていましたがどうやら金属アレルギーも併発してしまったようでした。

呆然としました。
好きな人を失った喪失感とギタリストという夢が儚く散りました。
ギターは私の全てでした。
今は回復して薬のおかげで多少は弾けるようになりましたが昔みたいにいっぱい練習してスタジオ入ってライブしてバンドするなんて事は出来ないでしょう。
少しでもギターを弾けるようにしたいという思いから私は工場を退職して大学時代のアルバイト先だったレンタルビデオ屋さんに戻りました。



今度はギターじゃなくてパソコンで音楽を作るDTMをして音楽家を目指そうとしてMacBook Proを買いました。
しかし、そうすると欲しい音源等が沢山出てきて当時のアルバイト代では賄えなくなりました。
それと同時期に私が理不尽なクレーマーから怒鳴られ恫喝されている時に店長から無視された事があり「あぁ、この会社は従業員を守ってくれないんだ。まぁそれがバイトか仕方ない。」と思って私はレンタルビデオ屋さんを辞めました


次に私はお金をたくさん稼ごうと思いましたが既卒で途中入社となると中々就職活動が上手くいかず更に体重はリバウンドしまた100キロを超えていたので70キロ代の時に買ったスーツでは就活なんてできませんでした。
そんな時転職エージェントに愛知県への引っ越しを勧められました。
派遣会社に就職し正社員としてトヨタ系の会社に派遣されるという期間工とは違う雇用形態で正社員として働ける仕事を紹介して頂き私は初めての一人暮らしを開始しました。

愛知県の豊川市というところに住みました。
娯楽はマクドナルドとカラオケまねきねことコンビニしかありませんでした。
毎週末には高い電車賃を払って名古屋まで出て遊びに行かないと何もありませんでした。
仕事はというと通勤に往復2時間以上かかり勤務時間は7:30〜21:30で家に帰るのは22時過ぎでした。
さらに夜勤も週替わりでありました。
家にいる時間は7時間ほどで最低でも6時間は寝ないと仕事になりませんでした。
余った1時間で洗濯とお風呂と食事と掃除を全てこなしました。
パソコンを開いて音楽を作る余裕はありませんでした。

さらにいけなかったのが上司Aと上司Bの仲が最悪でどちらかの言う事を聞くと別の上司から怒られ「誰にそんな手順で作業しろって言われた?」と聞かれて上司の名前を答えると上司同士の喧嘩が始まります。
私はいつも板挟みで精神的にまいってしまいました。

仕事自体もずっとネジを止めるだけの仕事と聞いていたのに私は工場外から運ばれてきた荷物を綺麗に並べて必要な上の階に運ぶ仕事で1日3万歩歩かされ重い物を何度も持ち上げたりして腰を壊してしまいました。

最終的に私は会社の最寄り駅についても階段を降りれなくなり改札内のトイレで嘔吐し下痢が止まらなくなり会社に行けなくなりました。

症状を上司に伝え何かに行けば良いのか聞きましたが上司からはわからないとしか答えは貰えませんでした。
とにかくここで働き続ける事は出来ないと判断したので私は腰痛を理由にたった4ヶ月で愛知県から逃げ出すように帰ってきました。
今思えばこの時から鬱病の兆候は出ていました。

愛知県から帰った次の日私は新しい仕事をネットで探しました。
何せ腰を壊したので今までのように肉体労働は出来ないのでデスクワークを調べました。
すぐにデータ入力の派遣会社を見つけ応募すると今日面談があると言われたのですぐに電車に飛び乗って会場へ向かいました。
普通に電車には乗れるようになっていました。

データ入力のテストを行った結果は不合格。
DTMは操作出来ますがブラインドタッチなんて出来ないのに今思えばなんでデータ入力の仕事を始めようとしたのか理解できませんがその時は必死にデスクワークを探してようやく見つかったのがそれだったのでしょう。
派遣会社の社員さんからデータ入力の代わりにコールセンターはどうか?と提案があった。
聴くと普通のコールセンターと違いスマホの使い方をお客さんに教えサポートするセンターでなおかつ有料のプランなのでいわゆるクリーマー等はほとんどいないと言われました。
コールセンターは怒鳴り散らされ謝罪しまくる印象がありましたがそれならいけそうだと藁にもすがる思いで働き始めました。

出勤初日、上司に言われました。
「ウチのセンターで一番重要な事は出勤率、つまりはセンターの稼働率です。有料のコールセンターなのでお客様をお待たせするわけには行きませんなのでみなさんにやって欲しい事はまずは出勤です。応対品質などは二の次です。毎日元気にここに来て定時まで居て下さい。無理に残業もしなくていいです。ただ来る、まずは来る、幼稚園児でも幼稚園に通えます。誰でも出来ます。」

なんて緩いセンターなんだろうと思いました。
他の上司もみんな優しくて同僚は変わった人が多くてお客さんも優しいおじいちゃんおばあちゃんが多くてはじめて仕事にやりがいを見つけました。

ボクシングをやってる同僚にある日言われました。
「俺はボクシングやってるけどお前は今まで何やってきた?そうか、音楽か。ええやんけ。続けろよ!」
と励まされました。

僕はこのコールセンターで正社員になる事を望んでいましたが音楽を諦めるつもりもありませんでした。
年齢も20代後半になりそろそろまともに働かなくちゃいけないと思いました。
音楽の恩師や友達は沢山いますが誰も音楽との折り合いの付け方は教えてくれませんでした。

そんな悩みを抱えていたある日、またアレがやってきました。
最初は仕事中に下痢が止まらなくなりました。
次に電車で出勤してる途中でフラフラになったり動悸がしたりトイレで嘔吐したりまた下痢が止まらなくなったりしました。
前に愛知県で働いていた時と同じ症状です。
だんだん早退や遅刻、続いて当日欠勤が増えて行きました。
私は幼稚園児でも出来ることが出来なくなっていました。

かかりつけ医に胃腸の薬を頂いても治らないので大きな総合病院でいくつも検索をしても肥満による脂肪肝以外異常は無いと言われました。
脂肪肝なのは体型みたらわかるだろ関係ないから今わざわざ言うなよと思いました。
また胃腸の薬をもらいましたが全く効果はありませんでした。

ある日上司に呼び出されて言われました。
「たきさんの事を心配して言います、どうか心療内科へ行ってください。うつは心の風邪とも言います心配です。軽い気持ちで行ってきて下さい」と。

確かに高い検査代を払って脂肪肝しかわからなかったので心の問題かもしれないと思って私は会社から一番近い心療内科へ行き長い問診票を書き長い待ち時間を待ちました。

すると先生からこう言われました。
「貴方は重度のうつ状態です、適応障害に当てはまります。死にたくなかったら今すぐ会社辞めて休んで下さい。」

信じられなかった。
自分が精神病なんて。
一瞬ニルヴァーナのカードコバーンや中島らもと同じ病気なった事が少しだけ嬉しかったが会社を辞めるわけには行かないので通院してお薬を貰いつつ仕事を続ける事を選びました。

最初は薬を飲むととても元気になって朝は早起きして早出して夜は一番遅くまで残業する事が出来る様になりました。

ですが、それも1ヶ月たらずでまた元の症状に逆戻りし更に酷くなりとうとう契約の解除を言い渡されました。

私は契約解除のショックでベッドから起き上がる事ができずそこから1日も出勤できず結局契約終了の日を待たず仕事を辞めました

それが去年2020年の7月。
そこから一年間ずっと引きこもり風呂とご飯と煙草買いに行く時以外の時間は全部ベッドの上で寝転んで暮らしていました。

そしてここでは割愛しますが外に出られるようになります。これもTwitter@hinotori_rardenの上げてる動画Overtureをご視聴ください。
あまり何度も話をしたくないので、すみません。

なんとか生きる力を取り戻した私は自分の好きなことをとことん極めようと思いました。
やっぱり音楽しかないと思いましたがMacBook Proはうつで給料が少ない時に携帯代の支払いをする為に売り払ってしまいました。
あるのはあまり弾けなくなってしまったギターとメルカリで5本セット1850円だったブルースハープだけでした。
ふとその時部屋に貼ってるフライヤー(チラシ)が目に入りました。
それはB'zのチラシでした。
小さい頃にB'zを初めて聞いた時からずっとB'zには力を貰っていました。
B'zが私に歯を磨かせてB'zが私にドライヤーをかけてB'zが私に靴を履かせてくれました。
稲葉浩志さんはずっと私の中で一番カッコいい男性でした。
ずっと稲葉さんになりたいと思っていたのに私は今まで何もせずに生きてきました。
しかもうつで引きこもってた時に煙草買うついでにコンビニでパスタも大盛りで食べて一日中四食も食べてたので体重計に乗るとエラー表記が出るほど太ってしまっていました。
こんな自分を変えたい、そうだ稲葉さんになろう。
と決めました。
まずダイエットをはじめ1ヶ月で25キロ落としました。
歌の方は昔から音痴ですが歌は身体さえちゃんとしていれば楽器要らずですし、ボイトレの本にはちゃんと練習した事ないなら音痴なのは当たり前と書いてありました。
私はボイトレ教室に通い始めました。
稲葉さんのようなハードロックボーカルになるのが私の夢です。
私は音楽に今まで何度も音楽に特にB'zに人生を支えて貰って生きてこれました。
うつの時はそれを忘れて音楽を聞けず塞ぎ込んでしまいましたが今は音楽が好きなことを思い出したのでまたうつの波が来てもultra soulで吹き飛ばしてやります。



そしてもう一つ夢があります。
それは美しくなる事。
私は美しいものが好きで美しさに惹かれ自分も美しくなりたいと思います。
自分の記憶にはありませんが親戚のおばちゃんが言うには私は小さい頃ずっと男の子向けアニメを見ずにセーラームーンばかり見てセーラームーンの真似ばかりしていたらしいです。
そして私はロック以外にアイドルも好き。ヒップホップも好き。YouTubeも好き。
YouTube好きすぎて自分でもやりたくなりコールセンターで働いててまだ元気な時にiPhoneだけで作り始めました。
ヒップホップもアカウントを作ってポエトリーリーディングラップを始めました。
私は好きな事は自分でもしてみたいし憧れの人にはなりたいと思うのです。
好き=なりたいなのです。
だから、私はアイドルにもなりたい。
つまり可愛い女の子になりたい。
うつで会社に行けない時、友達からオススメしてもらった女児アニメプリパラばかり見ていました。
稲葉さんをはじめとするロックスターにファッションなども憧れますけどアイドル、可愛い女の子のお顔やメイクやファッションにも憧れるようになりました。
自分の性というのがよくわからなくなりました。
恋愛対象は女性ですがたまたま今まで好きになったのが女性だっただけでもしかしたら男性も好きなるバイセクシャルかも知れないですし本当は男性が好きなゲイかも知れませんし性同一性障害のレズビアンかも知れません。
とにかく私は女性の服装やメイクに憧れを持っています。

最近それを親に話すと「いい加減にしろふざけるなやめろ普通にしろ自立しろ」と言われました。
私は何もふざけてなんかいません。
私は私の思うように好きなように生きたいだけです。
以前うつが苦しい事を相談した時は「お前はうつになりたいって言って立候補したんか?ちがうよな。お前の好きなようにしたらいいよ。」と言ってくれたのに以前言った事とは矛盾しています。
どっちやねんと思いました。
父は私達息子に興味無いくせに説教は一丁前にします。
自立しろ?ふざけんなと思いました。
父は若い頃に700万も借金をしておばあちゃんに全部肩代わりさせたそうです。
さらにその後も借金をし続け自己破産もしていますし車を買う為に親戚からお金をまた借りています。

その事実を私が知らないと思って自立しろなんて説教たれてくるのでしょう。
さらに私が借りていた大学時代の奨学金は父が管理していたのですが200万円ほどあった手をつけていないはずの預金が消えていました。
問い詰めると「生活費に使った。」と言われました。
両親共働きで祖父母の年金もあってそれでも生活費が足りなくなるほどの贅沢な暮らしはした覚えがありませんし、そのお金は私が今後返済しなければいけないお金ですし、私名義の口座から勝手にお金を引き出して使う事は普通に犯罪です。
私はもうこれ以上犯罪者かつ祖父母のスネ齧りつくしジジイと暮らしてはいけません。
自分の親のスネをむしゃぶりつくして子供の口座から奨学金勝手にパクって家事はおばあちゃんに押し付けて自分は嫁と仲良く暮らしてる。
そんな奴に説教されるいわれはありません。
私も兄も父を親だと思っていません。

私は今は就労継続支援B型施設という障害者向けの事業所に通って働けるほどに回復しましたがうつ病は完治するものではないので自立なんて出来るわけがないのです。
ですが、ただでさえありのままの私を否定し理解してもらえない人とこれ以上一緒に暮らす事は出来ません。
なおかつ犯罪者の祖父母のスネ齧り尽くし毒親です。
今話題の親ガチャとかいうヤツですかね、最悪のを引いたと思いますよ私は。

私はすぐになんとか家を出る方法を探しました。
すると障害者向けのグループホームという物を見つけました。
ワンルームで初期費用も無く家賃は障害者補助で安くなり家具家電付き引っ越しも無料でお手伝いしてくれる所を見つけました。
新しい職場、今よりもお給料の良い就労継続支援A型事業所に転職する事も決め見学も終えハローワークに紹介状も書いて貰いました。
近々面接があります。

私は新しい環境で生きていく事に決めました。



そんな中スマホでメールチェックをしているとB'z presents UNITE#01のチケットを御用意できましたという文字列が飛び込んで来ました。
私の友人はみんなチケット外れていたしSNSを見ても落選ばかり見たのでまさか私が当たるとは思っていませんでした。


B'z presents UNITE#01は特別な公演です。
今世界中を恐怖に陥れ苦しめているコロナウイルスは本当に最悪ですがコロナでもなければB'zが主催してミスチルとGLAYと対バンするなんてあり得なかったでしょう。
そして緊急事態宣言下での開催。
つい先日マスクとハメを外した客が騒いでしまったせいで日本の音楽ファンの信用は残念ながら地に落ちてしまいました。
スポーツ観戦は許されても音楽ファンは信用が無いので大きな会場でのイベントは自粛すべきというムードが流れ始めていました。
ですが、B'z presents UNITE#01は開催されます。
日本の音楽業界のトップにいるグループ達の本気を見ている気がします。
何が何でも無事に開催して音楽業界を盛り上げようという強い意志を感じます。

そんな公演に行かせて頂けるなんてこんなに光栄な事は無いです。


私の今までの人生は決して幸福だったとは言えないでしょう。


母親に虐待された事も虐められた事もモテなかった学生時代も彼女寝取られ人間不信なった事も愛知で働いて腰と心壊れた事もコールセンターで働いて鬱なって1年引きこもった事も父に奨学金をパクられた事も今までの人生における全ての不幸はこのチケットを勝ち取る為だったと思えば大したは事ないです。

今朝は5:30に起きました。
いつもは0時前に睡眠薬を飲み7:30に起きる健康的な睡眠時間をキープしています。
ですが、流石に身体も頭も心も今日という日に緊張してしまったのでしょう。
二度寝出来そうに無いので私はこの文章を書き始めました。
本日B'zが対バンするミスチルを聴きながら。
お恥ずかしい話ですが私は日本で音楽やってる人間なのにあまりミスチルには詳しく無いです。
友達がカラオケで歌っていた歌や一度バンドで練習した事のあるyouthful daysやいわゆる超有名曲しか知りません。
ロックンロールは生きているが一番好きです。
今日やってくれたら嬉しいなと思います。
Apple Musicの初めてのMr.Childrenってプレイリストを流して予習しております。

B'zが日本で今も生き続ける唯一無二で最強のハードロックバンドならば、
Mr.Childrenは日本一良い歌を出し続けるポップバンド。
フィールドは違えどロックンロールの名の下で第一線で今も戦い続ける日本一同士の対バン。
興奮しない訳が無いです。

今ここまで休憩無しで書き続けてふと時計を見たらもうすぐ12時になりそうです。
とりあえず一旦お昼ご飯を食べて休憩してきます。

お昼ご飯食べ終わって12:30
Mr.Childrenのツアー2018-2019 重力と呼吸の公式動画を見ながらSNSのチェックをしています。
ミスチルのライブを予習せずに行くのは流石に失礼なのでせめて一本ぐらいは見ておかないとという気持ちです。
知らない曲ばかりでしたが全部めちゃくちゃにクオリティが高く全部良い曲しかなくて草生えました。
そりゃこのバンドめちゃくちゃ売れる訳やわなぁと思いました。

ミスチルのライブを見終えまずは本町へ
今日は町田商店のポイント3倍デーだからです。
にんにくは控えめにしました。
プリチャンのライブで起こった事件インターネットミームとなった2階3列4番になりかねないのでね。笑

家系ラーメンの画像と一緒にB'zのHOMEの歌詞をツイートしたけど全然ウケなくて逆にウケてしまった。
家系だからHOME、なぜ伝わらない?笑
一般人にまで認知があるB'zの曲ってどこまでなんですかね?
PleasureⅡに入ってる曲なら全部通じると思ってたんですけど(笑)

秒速でラーメンを食べ終え森ノ宮まで戻ります。
まだ私の番号の開場時間までは余裕があったので森ノ宮から大阪城公園内を通って城ホまで向かう事にしました。
スタバによって期間限定の何らかの冷たいドリンクを飲みました。
美味しかったです。

家出る前から信じられないほど緊張しているのでB'zもミスチルも聞かずにあえて私立恵比寿中学だけ聴きました。
エビ中のライブも来週に控えておりそちらは席が近いのでもう既に興奮していますがそれはまた別のお話。
今回の記事のテーマは私とB'zの話。

城ホ付近にたどり着くとうじゃうじゃ人がいてビビりましたがみんな騒がず静かにしてマスクを外す人もいないので安心しました。
しかし、コロナ以降でこんなにも人が集まっているのは初めて見ました。
これだけの人が居て必ず感染者は0で終わらす。
そういう運営の気合いの入り方が見えます。
厳しく目を光らせるスタッフ。
皆が必死。
そうだよなブラザー、生きていくだけだよな。
兵は走るよな。
と思いながら物販へ。

すっかりもう人だかりは無くなっておりわずかな列があるのみ。
少し待つだけでスムーズにお目当ての商品が買えそうです。

それにしても年齢層の幅が広いですねB'zやミスチルのお客さんは。
私より若い人達や私の親ぐらいの歳の方まで老若男女問わずに居る。
まぁそれがお互いに日本一レベルであるが所以なのでしょうね。

グッズ販売購入券を入手したところでちょうど聞いてるエビ中の曲が‪金八DANCE MUSIC‬になりました。
この曲はMステに出たいと歌う曲でTAKが作ったあのテーマソングがサンプリングされており思わずテンションがブチ上がります。

お目当てのフライトタグを無事ゲット
思ってたよりサイズがデカくてビビりましたがキーチェーンと同じところにつけました。
カッコいいです!

入場待機列はゆっくりと進み開演の時間が迫ってきます。
この瞬間なんですよ。
この瞬間からいざ開演して最初の一音目が発信され空気を震わせ私の耳に届くその瞬間が一番生を実感します。

チケットは会場内で席番号わかるタイプで交換してからよく確認してなかったので係員さんに言われるがまま案内してもらうととなんとスタンド一列目。
しかもステージの真横。
その時のTwitterからの引用↓

嘘やろwww
スタンド一列目www
ステージの真左www
神席過ぎるwww
死ぬwww
もう今日死んでも構わんwww

いや、もうね、笑うしかないですよこんなの。
コロナやから声出されへんけどこんなにいい席引けるなんて…。
本当に今までの俺の人生の不幸全部ありがとう。
急に不幸から幸福への振り幅がデカすぎます。
高低差凄すぎて耳キーンってなるわとは本当にこの事です。

過ぎた時間は全てDestiny
2021/09/18の神席を生んでくれた。

以下はまずミスチルセトリです。
B'z超(ウルトラ)速報さんのサイトから引用しています。


Tomorrow never knows
GIFT
himawari
MC
口笛
MC
Everything (It’s you) B’zと共演
others
DANCING SHOES
SINGLES
Brand new planet
innocent world

櫻井さんの透き通った声は一瞬で会場を支配しました。
これが日本一のポップバンド。
凄まじいオーラ、カリスマ性を放っていました。
一曲目のTomorrow never knows
たった一曲、たった一声で城ホをミスチルの物にしてしまいました。
櫻井さんが下手に来るともうほんとに凄く近い距離
私と櫻井さんの間には何も無い5m圏内には確実に居ました。

二曲目のGIFT
これがトップレベルのバンド
これが本物の中の本物
何てクオリティなんだと思いました。
スカウターがいくらあっても割れ続けます。
大号泣してしまいました。
あまりにもカッコ良過ぎる。
このレベルにたどり着くまでどれほどの努力をしてきて継続してきたのか図り知れない。
私もそちら側で歌いたい。
でも、一瞬で叩きつけられる力量の差。
挫折というよりもう一瞬で憧れの人の一人になりました。
櫻井さんに完全に魅了されました。
私も歌で人を笑顔にしたり心動かして感動させて泣かせたりしたい。
アイドルと変わらない。
最近ひろゆきさんが言ってた事を思い出しました。
音楽ももちろん好きだけどそのグループの人柄も好きになるみたいな感じのお話。
その通りだと思いました。
人を笑顔にして感動させる存在、それは歌って踊ろうと楽器を演奏しようと変わらない。
そういう存在を私はアイドルと定義付けたい。
B'zもミスチルも私にとってはアイドルです。
私もそちら側へ、アイドルになりたい。

三曲目 himawari
このあたりで凄い事に気がつきました。
ライブをする会場が大きい方が音は悪くなる事が多いのですが城ホのクセにめちゃくちゃ音がクリア。
ドラムのハイハットスネアキックの3点、ベース、テレキャスターシンラインの歯切れの良いシングルコイルサウンド。
全てぶつからず分離して聞こえました。
これはもちろんミスチルがプロでなおかつトップレベルのバンドマンであるからというのもありますがその音作りを担当しているローディやPAも凄まじい技術の持ち主だと言う事がわかりました。
照明も×印のオレンジがゆっくり回ってゆっくり移動する特殊なライトを使いこなしていました。

業界トップのバンドはそのチームもトップレベルだと言う事を思い知らされました。
それと同時にまずミスチルやB'zという演者、ローディ、PA、照明という舞台を作る人たちがいて、もちろんそれ以外にステージを文字通り作る人達や警備の人たち、物販スタッフ、チケット確認するスタッフ、検温するスタッフ、マネージャーetc…
もう私には想像も付かない人数がこのライブに関わってる事を感じました。
このコロナ禍という人と人との接触が極力控えなければいけないという世の中で想像もつかない人数の人間が関わって開催する事すら危ぶまれる世の中で絶対に開催するぞという強い意志を持って音楽業界を盛り上げようとしてこのイベントを作り上げた事を感じまた涙が溢れました。
日本の音楽業界のトップの大人達がこんなにも本気になっている。
これには開催に込められたそれぞれのアツい思いを感じずにいられませんでした。

MCで櫻井さんはこう仰いました。
ミスチルも二年半ぶりのライブでエネルギーが爆発してる。
これまでのキャリア、情熱、技術、そして愛を込めて最高の思い出を作ると。
やはりこのライブは普通じゃない。
半端じゃ無い熱量がこもっていると感じました。

四曲目 口笛
この櫻井さんのボーカルレベルになれるなら命すら惜しくない、なんでも差し出すから私もそちら側でライブさせて欲しいと本気で思わせてくれました。
あまりにも高すぎる壁、いや雲の上の存在を見上げていました。
ふとアリーナの客席の方に目をやるとみんな笑顔で幸せそうでした。
きっと私も同じような顔をしているのでしょう。
やはり人を笑顔にできる存在なのでミスチルはアイドルですよ。


再びMC
会場のお客さんと「繋がった」感がすると櫻井さんは言いました。
続けて、「このUNITEはビッグバン。B'zとミスチルの対決だと捉えてくれても良い。それなりの覚悟を持ってぶちかましてやろうと思ってる。負けたくない。そういう気持ちはロックだからあるけれど。何に勝つ?何に負ける?相手はB'zじゃない。みんなが抱えている世の中の不安とかをぶっ倒す事。それが今日の勝利。」と言いました。

私はUNITEが真の日本一決定戦だと思っていました。
バチバチの鍔迫り合いだと思っていました。
私の考えは余りにも浅はか、余りにも幼稚、チンケでした。
トップレベルの人達はそんなところで勝負していない。
ミスチルとB'z、この二組で力を合わせて世の中の不安に勝とうとしているのです。
こんなんもうマーベル映画のヒーローじゃないですか。
B'zもミスチルもマーベル映画ならもちろん主役級、キャプテンアメリカとアイアンマンぐらいの存在。
つまりこのUNITEはアベンジャーズなんだと私はそう思いました。

そして櫻井さんはこのイベントの主催者達B'zをステージに呼びました。
TAKと稲葉さんがステージに姿を現しました。
稲葉さんを見た瞬間涙がまた溢れ出て止まりませんでした。

稲葉さんが下手に来ると私のテンションは臨界点まですっ飛びました。
この後B'zの出番になったらテンション上がり過ぎて叫んでしまって出禁になっちゃう心配をしました。笑

さらにTAKのあのワウ半止めのようなトーンでギターソロが入ります。
あの毎日聴いてるあのレスポールのトーンです。
最高でした。

曲が終わると稲葉さんは「最高のロックバンドのショーを楽しんで下さい!」と仰いました。
稲葉さんが最高のロックバンドだと認めているのがマジでヤバいなと思いました。

次の曲の最後で櫻井さんが一旦退場し次の曲で戻ってきました。衣装チェンジです。


そこからも素晴らしい曲が続き最後のinnocent worldは本当に楽しかったです…。


私はつい数時間前、今朝からミスチルのファンになったんですけど普通に余裕でぶっちぎりで私の人生で一番良いライブを見せて貰いました。
これが日本一のバンドの凄さかと思い知らされました。
ちなみにそれまで私の人生で一番のライブはB'zのエンドレスサマーの時です。

転換のBGMでビートルズのCome togetherが流れていました。
洋楽は詳しく無いので全然BGMの特定は出来ませんでした(泣)

さぁ私の中の一番の座を奪われたB'zは取り返せるのでしょうか。
正直Everythingでコラボした時の稲葉さんは歌も伸びきって無いし顔色も良くなくて「あれ?」と思ってしまいました。
嫌な記憶が蘇ります。
実際に現地にいた訳では無いですがHINOTORIツアーの喉の不調を思い出しました。

しかし、それは杞憂であった事を一曲目で一瞬で思い知らされました。
それに櫻井さんがMCで仰っていたように戦うべきは対バン相手じゃなくて社会の不安ですからね。
どっちが一番とか考えている私がお子ちゃまなだけで本人達はもっと雲の上から俯瞰して世界を見ています。

UNITE
イチブトゼンブ
MC
love me, I love you
有頂天
MC
今夜月の見える丘に
Calling
LOVE PHANTOM
MC
BANZAI
MC
ミエナイチカラ 〜INVISIBLE ONE〜
MC
兵、走る
アンコール
さまよえる蒼い弾丸※桜井和寿(Mr.Children)と共演
ultra soul




一曲目、UNITE
サイレンのようなSEからB'zのターンは始まりました。
最近一部分のみが先行公開された新曲ですね。
ギターソロの前が少しTHE CIRCLEを彷彿とさせる宗教臭のする感じでとても良かったです。
あとステージの火が凄く熱いです。
やってる本人たちはもっと熱いんだと思います。
火を見ると人間の本能的に本当に心が燃え上がりますね。

さっきの500000000倍は稲葉さんの声が出ていました。
この数十分で完璧に仕上げてきたのでしょう。
これがトップレベルプロの技かと思いました。
顔も20歳は若返って見えます。
50代後半?嘘でしょ?
TAKが少し前髪が短くて可愛かったです。

UNITEのギターソロ前のコード進行がTHE CIRCLEのような宗教臭い感じで私の好みでした。

二曲目 イチブトゼンブ
私も1〜2ヶ月前からボイストレーニング教室に通う素人に産毛が生えた程度の実力と知識のボーカルですが以前のエンドレスサマーの時の私は歌の練習なんてした事も無くもちろん知識なんて皆無でした。
今少しやり始めたからこそわかります。
稲葉さんは高音の鼻腔への抜け方が異常に良いです。
そしてミッド〜ハイあたりが特徴的で強くギターで例えるならギブソンSGのようなイメージです。(伝われ)

そして稲葉さんの衣装ですが緑色のシャツがバットマンのヴィラン、ジョーカーみたいで怪しい魅力を引き出しています。

MC
TAKがEVHモデル、アーム付きギターに持ち替えました。
そして稲葉さんはMCになると突然老けます(笑)
「私は煽りますがそれには声で応えないで下さい、その分みんなの分も私が声出しますから!」と稲葉さん。
もうこの世にある音楽全て稲葉浩志の声でええわと思いました。

三曲目
love me i love you
目の前に稲葉さんがお越しなされて私は舞い上がってしまいました。

四曲目
有頂天
懐かしい、ちょうど私が行ったエンドレスサマーツアーの時のシングル曲
TAKはギターを黒のレスポールにチェンジ
ゼブラ柄のPU
この曲の最中稲葉さんは上着をお脱ぎになられて緑色のシャツがより目立つようになってさらにジョーカー感が増していました。
そしてシャウトの伸びが本当に凄い。

五曲目
今夜月の見える丘に
モニターに映る映像がモノクロに。
サビ終わりの「寝ないよー」の伸びが凄いです。
攻めたセトリからいきなりのミドルバラードで空気を変えますがギターソロでこの曲は一気にハードになるのでまた空気をソリッドな空間へと誘います。

MC
「この一年苦しみの中もがきながら今考えられるベストなショーがUNITE。人前で音楽やれる喜びを噛み締めてやります。」

長めのアレンジが効きまくったキーボードソロからの鍵盤始まりと言えばの定番曲
六曲目
LOVE PHANTOM
ラストのサビでまた稲葉さんが目の前に来て私は思わずパンケチャしまくりました。
オタクなので…(笑)
でも、推しジャンは我慢しました。
何故なら推しは稲葉さんだしB'zはボーカル一人なので歌ってる時ずっと飛び続けるのはしんどいからです(笑)

七曲目
Calling
稲葉さんのアカペラ「ウォーウォーウォー」から始まりました。
ラスサビの「この声が聞こえるかい どうか苦しまないで」というフレーズで私は号泣しました。
大丈夫です、稲葉さんの声は聞こえています。
ここにいるみんなが、いや世界中の誰もが、そして稲葉さん自身も今はコロナに苦しめられています。
ですが稲葉さんは「どうか苦しまないで」と歌いました。
今の状況に突き刺さりました。
そして最後には「I Calling You!」の連呼シャウト。
これがめちゃくちゃかっこいいんですよ…。

MC
「去年は無観客でやり、勉強になりました。
今回は目の前にお客さんがいて、お客さんがいると今は本当に感無量」だと仰っていました。
そして手拍子の要求。
あの曲ですね。

八曲目
BANZAI

そしてまたTAKがEVHモデルに持ち替えてアームをギュイーンと鳴らしてロックなサウンドが弾けました。
そこから始まる
九曲目
ミエナイチカラ

MC
「感謝しか出て来ない。
音楽をやる楽しさ、喜びを感じています。」

十曲目
兵、走る
この曲はあまり細かいところは覚えていません。
何故なら途中で稲葉さんと目が合い、そして目が合った刹那稲葉さんが私に向かってニコッと笑ってくれたのです!!
いや、こんな嬉しい事ありますか?
ただでさえ稲葉さんと私の間に誰も居ない神席で今までの不幸がチャラになったのに私の人生の中で一番の推し永遠のスター稲葉浩志さんが私に向かって微笑んでくれました。
私、今日死ぬかもと思いました(笑)

ここで本編は終了し一旦メンバーははけます。
私はもうすぐにiPhoneを取り出してTwitterに稲葉さんからレスもらえた事を自慢しました。

そしてTLを遡る間も無くアンコールスタート。

「やる前は手拍子だけで不安だったけどみんな思い思いに揺れたりしてて楽しい」との事。

そして櫻井さんの登場。
両雄、兵が並び立ちます。
ミスチルの曲に参加したつい先程のように以前はエアロスミスの曲にB'zが参加した事はあるがB'zの曲に他のボーカルが参加するのは初めてとの事。
櫻井の前に無し!

始まったイントロはオリエンタルかつドヘヴィなギターリフ
十一曲目
さまよえる蒼い弾丸
まず一番は先に櫻井さんが歌い稲葉さんが次
サビは一緒に
二番は逆に稲葉さんが先で櫻井さんが後

とても素晴らしいコラボだった。
コーラスではなくユニゾンで同じピッチの音程を発声していてなおかつ高いキーなのにこんなに個性あふれるミックスボイスの組み合わせ。
本当に耳が幸せでした。
日本トップクラスのボーカリスト二人の歌を同時に聞けるなんて贅沢過ぎました。

櫻井さんが去り
「ありがとうございましたB'zでした!」
と稲葉さんが言いました。

もう次の曲はわかりますよね。
まだ今日やっていないB'zを代表するあの最強のキラーチューン。
初めは囁くように何度も同じ二つの英単語を繰り返し、段々とシャウトに変えていく。

そうです。
私の人生のテーマソングであり何度も助けられ何度も私を立ち上がらせてくれた曲。

十二曲目
ultra soul

「Hi!の掛け声のところはジャンプで!」との事だったので会場が一つになって「ultra soul Hi!」で飛びました!

最後はいつものアレンジ、原曲よりultra soulを何度も繰り返し爆発音と共に曲を終えました。

ミスチルのメンバーを呼び記念撮影。
ミスチルのドラマーの方がとても笑顔で楽しそうにしてるのが印象的でした。

それからまたミスチルが先にステージをはけ、B'zのバンドメンバーだけで定番の「せーの!おつかれー!」

稲葉さんとTAKだけステージに残り、サポートメンバーがはけるのを待ってから稲葉さんがTAKにマイクを渡しました。
「みなさんにお会いできて嬉しい」との事。

稲葉さんは最後に「ここまで紆余曲折あり色々な人の協力があった。この音楽の力は次に繋がる。今日はまっすぐ帰って家で喜びを噛み締めてください。我々もそうします!」と言い今日の公演を締め括った。

今朝は5:30ぐらいに起きて
"私の今までの人生は決して幸福だったとは言えないでしょう"って言葉からこの記事を書き始め自分の不幸だった人生をつらつらと綴り、そんな私でもB'zとミスチルの対バン当たって良かった〜って言いたいだけだったのに、
席は最前列やわ、人生で一番好きなB'zの、この世で最も憧れる男である稲葉浩志さんと目が合いニコッと笑顔をしていただきレスを貰いました…。

いや、こんな一気に人生捲る事ありますか!?!?!?
無いですよね?
本当に今までの私の人生において起こった不幸や最悪な人々どうもありがとうございました。
私はとんでもない幸せとうつ病を吹き飛ばし希死念慮を消し去るような生きるエネルギーを滾らせて今解き放ちました。
奇跡が起こりました。
もう一人じゃない。
ブラザー、生きていくだけだよ。
音楽最高。

櫻井さんが言った言葉で私は目が覚めました。
今回の対バンは対決じゃなくて協力してみんなが抱えてる社会の不安に打ち勝つ事。
それが今回の対バン。
ほんとにまるでB'zもミスチルもマーベルヒーローの映画で、このイベントはアベンジャーズでした。

そしてお客さんの笑顔を生めるのがアイドルとするならB'zもミスチルもアイドルだ。
キラキラと輝くみんなの憧れの対象。
これがアイドルじゃなくて何なのだ!
B'zもミスチルも日本が誇る最強のバンドでありアーティストでありアイドルです。

私も歌を歌う人間です。
うつ病も不幸だった人生も全部歌にするつもりです。
私は一年間引きこもり音楽が好きだったことすら忘れるほど希死念慮に支配されていましたがもう今は音楽の力を信じる事が出来ます。
ここからは私から音楽への恩返しのターンです。
私の味わった地獄のような一年間がもっと長い間続いて無限に希死念慮が湧いて苦しんでいる人がきっとこの国には何千人ももしかしたら何万人もいるかもしれません。
あの苦しみによって死を選んでしまう人が0人になるその日まで私は自分の命が続く限り歌い続けます。
私も死のうとしていたからあの苦しみは痛いほどわかります。
でも、生きてたら私の今日のようなこんな素晴らしい一日が来る事もあります。
B'zが言うところのEPIC DAY(人生最高の日)は生きていたら必ず来ます。
本当に死ななくてよかった、生きていて良かった。
そう思えるように苦しんでる人達にも好きなものを思い出して欲しいし何も無いなら私を好きになって欲しい。
いつか私の歌で人を笑顔にできるようにそんなアイドルのような存在になりたいです。


まだ明日の公演もありますし、GLAYとの対バンもありますが今度はUNITE#02として二人組ロックバンド同士のポルノグラフィティやTAKと親交のあるYOSHIKI率いるX JAPANと対バンなんてどうですかね?

そして何よりも一日でも早くまたB'zのライブで大声で稲葉さんと一緒に歌いたいのでコロナが収まる事を祈ってこの記事を終わりにしたいと思います。

以上が私の自己紹介並びに近況報告、そして私とB'zについて、B’z presents UNITE #01 大阪城ホール公演1日目についての記事となります。

ライブレポと軽く自己紹介と近況報告をしようとしたら2万7千字を超えてしまいました。
普通に私の大学時代に書いた卒論より長いです。

本当にここまで読んで頂いてありがとうございました。
お身体に気をつけてお過ごし下さい。

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