マイノリティとして生活すること
イギリスでの大学院生活を終えた今、ポルトガルに滞在している。人種に紐付く外見に注目したときに、ポルトガルでの生活がモザンビークで滞在した時の思い出が少し蘇ってきたので、雑記として残したい。
イギリスで生活していたブライトンという南部の街は、寛容的な街として有名で、人種とはまた異なるが、国内で一番大きい(多分)とされるレインボーパレードが毎年開催されている。また、(恐らく)イギリス経済が多くの移民によって支えられているように、いわゆる西欧系の白人だけでなく、多様な人種が入り混じっている。
それと比較すると、ポルトガルに滞在する人種のバランスは偏りがあるように感じる。書いていて思うのは、そこまで大きくない経済のこの国に移民として働きにくる人がいないからだと思う。当然か。
けれど、アジア系の外見を持つことは彼らにとって珍しいことで、街中を歩いていると自分の方をじろじろ見られる。注目を浴びるという意味ではなく、なんだか嫌な視線が集まる(主観)。
やんちゃそうな若者の"集団"や”車に乗っている”お兄さんには、自分自身のことを馬鹿にするとうな発言を直接受けた。近くの人が自分のことを話題に何か話していることに気がついたりすることもある。
気にしなければいいんだけれど、なんか気になる。これは、めちゃくちゃストレスである。モザンビークにいたときも同じことを感じていて、日本へ帰国したときに目立たないことの楽さを痛感したなあって。
一方で、自分がマジョリティな日本という環境にも、同じストレスを抱える人がたくさんいると思うとモヤッとする。
追記: こんなことを書いておきながら、こういう感情って自分の内から生まれてくる感情かもしれないとも、ポルトガルを去る直前に感じている。ポジティブな感情のときはそんなに気にならない一方で、ネガティブな感情のときはすごく気になるし、負のサイクルになる。外のことを見ているようで、自分の内の弱さを知り、心に潜むもう一人の自分と対話したようなイメージすらある、ポルトガルでの滞在。Obrigado。
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