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0217 五浦美術館の美しき景観と歴史 -いわき帰郷❹

to 知られざる素敵な美術館探している方

地元福島県いわき市から南下すること40分(30km)、太平洋をのぞむ茨城県天心記念五浦美術館がある。記録と記憶。

概要 - 景勝地と歴史のうえに建つ

北茨城市五浦に1997年に開館。岡倉天心や横山大観をはじめとする五浦の作家たちの業績を顕彰するとともに、優れた作品が鑑賞できる美術館。

天心や五浦の作家たちに関する様々な資料を所蔵、研究。「岡倉天心記念室」でそれらを紹介している。

美術館のある北茨城市の五浦は、1906年(明治39年)に日本美術院第一部(絵画)が移転。岡倉天心や五浦の作家たちが活躍した歴史的な地。

美術館の建築設計は、美術館、博物館、駅舎など数多くの公共施設の設計で知られる内藤廣によるもの。

北茨城市は、県都・水戸から約70km、首都・ 東京から約160km、福島県との県境に位置。五浦海岸の大小の入江と美しい松林は「日本の渚100選」に、海岸の波音は「日本の音風景100選」に選ばれている景勝地。
https://www.tenshin.museum.ibk.ed.jp

岡倉天心とは?

1863年- 1913年(大正2年)。日本の思想家、文人。横浜生まれ。福井藩出身の武家で、1871年に家族で東京に移転。

東京美術学校(現・東京藝術大学の前身の一つ)の設立に大きく貢献。のち日本美術院を創設。

近代日本における美術史学研究の開拓者。英文による著作での美術史家、美術評論家としての活動、美術家の養成、ボストン美術館中国・日本美術部長といった多岐に亘る啓発活動を行い、明治以降における日本美術概念の成立に寄与。

「天心」は岡倉が詩作などの際に用いた号。生前には「岡倉天心」と呼ばれることはほとんどなく、本人は本名の岡倉覚三 (Okakura Kakuzo) で通していた。

1863 横浜で生まれる
1880 東京大学文学部卒業
1887 東京美術学校幹事に
1889 東京美術学校開校
(現・東京藝術大学美術学部)
1890 東京美術学校初代校長に
1897『日本帝国美術歴史』の編纂主任に
1898 日本美術院を設立
1901-1902 インド訪遊。タゴール等と交流1905 渡米(その後数回渡米)
1906 美術院の拠点を茨城県五浦に移す
1906 ニューヨークで英語で『茶の本』出版
1913 新潟県赤倉温泉の自身の山荘にて永眠

美大志す方は是非 - 海風と歴史感じ

今回はレンタカーにて。
車以外は少し大変。
木をふんだんに使った
落ち着いた内装
館内マップ- 公式HPより
大きな窓から絵になる
太平洋の景色。
瀬戸内とはまた異なる
雄大さをもつ。
岡倉天心の肖像レリーフ
一重の眼差しと髭。雰囲気をもっている。
美術館内。
史料も充実。
その一部。
滄海広場から。
西日の中の建物が美しい。
車で3分ほど。
岡倉天心のお墓がある。
六角堂を望む
五浦美術文化研究所。
天心記念館。コンパクト。
天心が晩年を過ごした邸宅もある。
シンプルで趣あり。
震災で流された六角堂の
復興プロジェクト。
東日本大震災の翌年2012年に
再建された六角堂。
六角の形は、中国庭園の東屋を参照。
ここで、瞑想にふけていたという。
六角堂より

まとめ - 歴史ある海の見える美術館 -

岡倉天心は、1903年に五浦を訪れ土地を購入している。その心理は測れない部分もあるが、静かで自然豊かな景勝地である五浦を、次の拠点としたことは、来てみてよくわかった気がする。

日本の美術史そのものがつまった空間。都心から離れている。離れたからこそ感じられる太平洋の空気と自然と美術の融合。瀬戸内海アートとは一線を画す。クラシカルで重厚で歴史を潮風がつつむ。美術を志す者の聖地のようなところではないかと思った。

歴史ある海の見える美術館でした。

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